ネクタ・ボーイズ

紺野しぐれ

CASE:Ku

ワイルドキャット

「いいじゃん、減るもんじゃなし」

「減る。減るッたら減る」


 ナンパのようなこのやり取りを何度持ち掛けたか。

 そろそろ数えるのも億劫な程には。

 「里親制度」の噂を聞いたのはほんの三月前。一杯引っ掛けた後の駅前で路上演説を前に「胡散臭い」なんて感想を抱きながら、妙な好奇心を隠し切れずにその場で契約書にサインした。

 クーリングオフ期間が設けられているのだからまあいいや、なんて酔っ払いの思考にしちゃまともな判断力は残ってたと自分を褒めた。

 結果的に言えば、そんなものは必要なかったわけだが。


「お前なあ、すこしぐらい親孝行しようとか……」

「朝も晩も世話してるじゃないか、おれは『母さん』かッての」

「だからだな、そこに夜の営みを加えろって言ってるんだろ? そうすりゃ正真正銘、お前がオレの『嫁』だ」

「………そんなの願い下げだ」


 頬を膨らませて、クゥはそれはそれは不本意そうにぼやいた。

 思春期真っ只中のこの子はまだ十五を迎えたばかりの男の子でしかない。

 そういう意味では表向き、無体を働きかけているのはオレの方だと言えたろう。


「特技を活かさずしてどうするんだ、全く」


 彼が高級娼の身上だと知ってしまったからには、このオレの好奇心が触れずに居られる訳がなかった。節操もなけりゃ節度もない、なんて称されるオレだが、それでも強引な手段を取ったことは一度もないんだぜ。

 無論、それじゃあ面白味が減るから、だけどな。

 しばらくの間クゥの横顔を観察していたが、視線に気づくとくるりと背を向けて布団へ潜り込んでしまった。

 男独りやもめの部屋にベッド二台は狭いって言ったのに、一緒に眠ると盛大に蹴落とされること数回。仕方なく買い与えたベッドのため同衾も叶わない。

 何度かは勢いで組み伏せてみようだとかは思ったが、実行には至っていない。

 ぐしゃぐしゃに泣かせて、懇願させてみたいのは事実だが、オレは無理矢理は好まんのだ。


 翌朝、いつものように珈琲の匂いで目覚め、ダイニングに立つクゥの頭をわしわしと撫ぜた。少しだけうざったそうに上目に見上げながら、振り払うことはない。

 三月での成長だった。

 実のところ、こういう懐かない生き物を飼い慣らすのがオレは好きなんだ。

 クゥが家に来る前までは駅前の野良猫を相手にしていたぐらいには。

 基本的に気が短いオレでも、可愛いものを可愛がることは出来る。

 長い長い我慢の間は、余所にご褒美を用意しなきゃならんけれどもな。


「なあ、今日ちょっと遅くなるから先寝てろな」

「飲み会?」

「そ、飲み会」

「こないだみたいにリュカんとこの旦那困らせンなよ。あんときホント大変だったんだからな……」

「おう、土産買って素面で帰って来れるようにするよ。……つぅかその言い方じゃオレが酔い潰れたみたいじゃねえの」


 朝食は珈琲とシリアルのみ。軽く平らげたら、スーツの上着へ腕を通して、出勤。

 いってら、の短い声を受けて扉を閉める。

 いい嫁をもらったと思う。可愛いし、可愛い。だからこそ問題だった。先週の同僚の愚痴酒の内容を思い出す。


「……他所の事とやかく言えたもんでもねぇ」


 堅物真面目の同僚に、したり顔で説教をした自分が情けない。もちろん、その時だって自分を叱り飛ばしている心地ではあった。


「扶養義務は三年ぽっち、か」


 十八になれば扶養義務は終わり、以降は里子との相談の上同居生活の継続の有無が決まる。

 オレの場合は、このまま行けばクゥの方から出て行くと言い出すのが目に見えていた。

 現状、完全にオレの独り相撲だ。悲しい。

 本人を前にしたらいくらでも軽口を叩けるが、心根を吐き出すなら本心はそんなに単純なものじゃなかった。

 同僚・聡が吐き出した葛藤こそは、オレ自身が抱くそれと同じ類だ。愛欲に性欲。

 ただ一つ大きく違うのは、そこに相手の同意があるかないか。

 想像しては虚しさに苛まれる。

 ちくしょう、いいよな聡は。口の中で呟いた。

 こんな日は夜の歓楽街で酒を煽って、別嬪を抱いて発散するに限る。元よりクゥがうちに来る前から「そういう」習慣だったんだ。別に寂しくなんかない。

 ……別に。


 滑らかな女の肌は、育ちのいい猫のビロウドの毛並みのようで抱き締めているだけで気持ちがいい。

 だのに、わざわざ感覚を鈍らせる酒を煽って挑むこの矛盾が心底馬鹿馬鹿しい、とオレは思うわけで。

 腕の中で果てた姿に以前なら満足を覚えていたと思う。クゥが、あいつがうちに来るまでは。

「変わったね」。そう言われることを恐れて、同じ店、同じ相手を選ばなくなったことも。

 自分では嫌という程その変化に気付いている。知らしめられていてうんざりしている。だから、赤の他人にむざむざ突っ込まれるなんてことは遠慮したかった。

 人間ってのは厄介な生き物だ。代替品でどうにかなるならその程度でしかないのだと分かっているのに、洞を放って置けない。

 無駄話を必要としない女が好きだ。シャワールームへ消えたところで、独り服を着込んで。

 ……石けんの匂いに敏感なクゥのために洗う必要性のない行為を、なんてのがどれ程馬鹿馬鹿しいものか。

 考えながら、両手指を神経質に手洗い場で執拗に洗い流して店を後にする。


「……みやげ」


 真っ暗な部屋の中、ベッドサイドのランプの灯りに照らされた範囲ではシーツに丸まった姿しか見えない。が、暗さに慣れた頃浮かび上がった表情は、拗ねた猫そのものだった。


「忘れた。……悪ィな」


 半分の嘘。コイツが拗ねるのと同じように、オレも大人げなかろうがヘソを曲げてる。口にしてから徐々に自覚した。


「もういいだろ」


 自分への諦めのような、許しを乞うような。ため息に混ざった本音にクゥの紅い眼が揺れるのを見た。

 上着を脱ぎ捨てて、喉元を緩めた時にはもう衝動が背を這い上る。


「抱きたいなんて言わねぇ、抱かせろ。今すぐ」

「ば、……」


 馬鹿じゃないのなんて言わせるかよ。そんなことはオレだって思ってるよ。口に出せない感情が頭を巡って、手に信号を送る。クゥの小さな後ろ頭を撫でて――灰黒く伸びた襟足を強引に掴む。

 その頤へ、首筋へ唇を這わせて――噛み付く。びくりと小さな体躯が跳ねるように震えた。

 ああ、まるで狐や狼になった気分だ。これからどうやって味わってやろうか、じわじわと沸き上がる嗜虐心、きっとこれこそが本当のオレなんだろう。

 妙に満たされた心地がした。

 絶命前の小動物のように浅く呼吸を逃がしながら震える身体を引き寄せれば、両手で胸を押し返す反発を見せる。軽く歯型を残すぐらい顎に力を加え、外耳の輪郭をなぞるように舌で触れて。……恐らくこのぐらいの愛撫に反応するぐらいには仕込まれてるだろ、なんて思案を思う。


「――は、……ッ、は、ッ……あ」


 堪え切れないとばかり、小刻みの呼吸が音になる。胸を押し返す指がシャツを掴む。そんな小さな反応一つが、どうしようもなく愛しい。襟足を掴んだ手は、それでも緩めない。きっと、放したが最後だ。


「お前にはオレをやるよ、クゥ」


 鼓膜へ届ける呟きには息を飲む音だけが返る。脅えているようにも、覚悟をしているようにも取れた。


 夢のような時間だった。あいつは終始声を押し殺して、娼の上げる歓喜ひとつ漏らさなかった。そのくせしっかりと体感は仕込まれていて抗いようがない悦を感じさせて、一層オレを煽ることになった。

 ……のに。


「いでッ。……おいお前今蹴ったか? 蹴ったよな?」


 寝起き様のひと蹴りで初同衾のベッドから危うく落ち掛ける早朝。肩越し振り向いた先のねめつける目は完全に軽蔑に満ちている始末と来た。


「うるッせえ、早く起きろ。寝過ごしてンだよ」


 オレの反応も待たずさっとベッドを降りる様子は、まるでいつもと変わらない日常風景だ。

 もしやオレは都合のいい夢でも見ていたんじゃねえのか。一抹の不安を覚えたが、次の瞬間そんな心配は吹き飛んだ。


「い……ッた」


 床へ放り捨てた下着を穿き直そうとしたクゥの背が緊張したように竦み上がる。褐色の肌の太腿にだらりと垂れ落ちる精液を目の当たりにするまでコンマ、秒。

 久しかろう腰の痛みに座り込み、自分から流れ落ちて来たそれを指ですくってわなわなと震える表情は恥ずかしさで涙ぐんですらいて。

 思わず心中決めるガッツポーズ、にやけ顔に飛ぶ平手。……多分、それでもいいとちょっとだけ思った。

 まぁ、見てろそのうち。

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