発達障害家族

第1話 私が決めた家族

よく赤ちゃんは、空の上からどこの家族にしようかなと観察して、自分で選んで魂を降ろすと聞く。私の魂もきっと自ら選んで決めたのだろう。

しかしこの家族は、私にとって生きて行く上でとてもツラい家族だ。神様と相談し、私自身が試練を乗り越える為に、選んだのかもしれない。


私は幼少期はとても大人しかった。

ちびまる子ちゃんのようなおかっぱ頭に、おデコ半分の長さの前髪。いつも母親が切ってくれていた。

私は三姉妹の末っ子。三姉妹はみんな母親に髪を切ってもらっていたから、全員同じ髪型だった。

塾もピアノ、そろばん、習字と三つ通っていた。

姉二人は頭も良くとても器用で、学校での授業も塾も要領良くこなしていった。

習字では金賞を取るのがごく普通だったし、そろばんも一発合格で二級まで取り、中学に入り忙しくなった為、途中で辞めた。ピアノの腕前も良く、発表会では最後の方で、客席を魅了していた。

私は褒められて育つことはなく、自分の意見も言える環境でもなかった。

それは三姉妹とも同じだったかもしれないが、姉二人といつも比べられ「お前は一番駄目な奴だ」

と、罵られることが多かった。

実際私は要領が悪い。親の思うような良い子でいなければならなかったのだが、塾も中途半端。姉たちのような賞を取ったこともない。

習字は頑張っても銅賞。そろばんは三級まで。二回二級を受けたが合格せず、ピアノは簡単な曲、せいぜい毎月学校で歌う合唱曲(童謡)、卒業式で校歌を弾く程度だった。

私はそれだけでも自分の中では自慢だったが、両親はそれでは納得いかず、姉と同じような出来栄えではないと、私に「出来の悪い子」の烙印をいつも押していた。


私の両親は従兄弟通しで結婚。

当時は戦時中だったので、よくある話だったらしい。

男子が少なく戦争で亡くなると、その兄弟と結婚する。今考えるととても驚くことだ。

しかし当時にしてはきっと、なんでもありだったのかもしれない。

そして父親と母親は結婚。父親は二十三才、母親は十九才という若さだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る