第18話 トクメイ

 始和は敢えて清水公園駅前の繁華街で交番の近くの漫画喫茶に入っていた。

 警官の弟が勤務から外れているものの交番が目の前なのは比較的安全だと考えた。

「噂ノ深層」編集部が殺人事件の現場として立ち入り禁止になってしまった。

 当然、自分のデスクもパソコンも使えなくなってしまったのだ。

 そこで漫画喫茶に潜んで情報収集と次の身の振り方を模索していた。


(犯人らしき写真は公開されるかは未知数だ、だけど塁と竹春刑事には届いている)


 簡易的ではあるが個室タイプの部屋でテレビのニュース番組を追っていた。

 先輩編集部員と芳歳の事件は連続殺人事件だと報道されていた。

 遺体の状況は一般には公表されてはいない、だがその手口は一緒であった。

 まだ意識が残っている被害者の頭部を首を起点にして捻じりきる。

 その恐怖と苦痛は相当なものだろうと想像させられた。

 そして犯人への恐怖、人間とは思えない残酷さと実行力の高さ。


(生きたままの人の首を簡単に捩じきる技術なんて存在するのか…)


 そんな事を思っている時にテレビでは明るいCMが流れてきた。

 どうやらギャルの恰好をした芸人が首を掻き切るポーズをしていた。


「明日の夜ミルクラテの下剋上なるか乞う御期待!」


 それは女性芸人大会の番組宣伝だった。






 竹春は本日の合同捜査を終えて駅前の中華料理屋で遅い夕食を取っていた。

 本当は徹夜で始和の動向を追いながら待機するつもりだった。

 だが珍しく田無が徹夜で調べたいから宿直すると言ったので退署していた。


「ミルクラテの下剋上なるか乞う御期待!」


 ギャルメイクでハーフのインフルエンサーが組んだ芸人ユニット。

 ミルクラテの姿を最近は、よくアチコチで見掛ける事に気が付いた。


(今回ばかりはプリフルも厳しい状況だな…)


 まるで優勝する事が既成事実みたいな番組宣伝である。

 しかしそれは既成事実というよりは既定路線と言った方が早いモノだった。


(そしてオレ達も、どんどん厳しい状況になってきてるしな…)


 捜査本部は犯人が女装している男性の可能性が濃くなった事で方針を変えた。

 捜査対象を清水公園駅の繁華街の、その手の店の従業員にも拡げたのである。

 清水公園駅には阿吽連合の本部ビルが存在し、それも悩みの種だった。

 当然の話だが、その近辺で警察に協力的な人間を探すのが先ず困難だった。

 聞き込みの段階で、いつも以上に態度が硬化している事に気付いていた。


(何か在ったか、それとも何かを隠しているかのどっちかだな)


 竹春は刑事の勘で何かの残り香を嗅ぎ取っていた。






 予定時刻を少し過ぎて橘紅葉が病院から帰宅してきた。

 橘病院の車を運転してきたのは副院長の早緑、月鳴神会の幹部でもある。

 ほんの少しやつれ、その顔色も悪かったが紅葉は笑顔でドアを開けた。

 出迎えたのはアヤメと五月にナツハであり、そこに健午の姿は無かった。


「母さん、ただいま戻りました。

 五月にナツハちゃん、とても心配させてしまったわね」


「紅葉、暫くはユックリと養生なさいね」


「ママ…お帰りなさい」


 ここ暫く厳しい表情ばかりだったアヤメも五月も笑顔だった。

 ナツハは、いつもの笑顔で出迎えた。


「お帰りなさい…ワタシもさっき戻ったばっかりなんです」


「これでパパが居てくれれば勢揃いなんでしょうけど…パパは?」


「あれ以来、余り部屋から出てこなくなっちゃって…。

 病院も早緑さんに任せっきりになってしまっていて」


「院長も紅葉もユックリ休む事です、やがて事件は片付きます」


 アヤメの言葉に紅葉は少し驚いて、その表情に翳りが浮かんだ。


「まだ犯人は捕まっていないのですね…」


 捕まるどころか、その犯人像すら掴めていない。

 犯人は、まるで最初から何処にも居ないかの様だった。

 だけど、どんどん遺体だけが積み重ねられていた。






「待ちに待ったゴールデンウィークのゴールデンタイム。

 明日の夜ミルクラテの下剋上なるか乞う御期待!」


 そのCMが終わると同時にコッコとユキは、お互いを見た。

 何故か、お互いの視線から目を外せなくなっていた。


「こんな番宣、在り得ないっしょ」


「まるで視聴者全員でミルクラテを応援してるみたいじゃん」


「だよね、これ忖度も度が過ぎてるよね…」


「ゼニーズ事務所だからってさ、そりゃコッチは弱小だけど」


「もう負けが確定している様なもんじゃん」


「負けるの悔しいよね…」


 そう言いながら二人は、お互いの視線が変な事に気が付いた。

 二人共、視線が廻っているみたいに見えていたのである。


 ぐるぐる、ぐるぐる

 ぐるぐる、ぐるぐる


 しかし、それが不自然な事だとは思えていなかった。

 そして、その視線に連れて自分の中の何かが始めたの廻り始めたのだった。


 ぐるぐる、ぐるぐる

 くるくる、くるくる

 狂う狂う


 そんな二人の頭の中、同時に幼い子供の唄が聴こえ始めていた。

 そのテンポは段々と遅くなり、ついには呪詛の様に鳴り響いていった。


「負けて悔しい花いちもんめ」


 その後の歌詞は、まるで圧し潰されたみたいに聴こえなくなっていった。

 二人の感情も振り廻され圧し潰されていった。






 圧し潰される様な圧迫感を感じて塁は跳ね起きた。

 此処の所、頻繁に同じ夢を見ているらしかった。

 らしい、というのは目覚めると夢の内容を忘れている為である。

 只々、起きた時の感触が同じ圧迫感なのだった。

 忘れたというよりも、まるで夢が覚えるなと言っているみたいに。


(また、いつもの夢か…)


 塁はスマホを手に取り時間を見た、どうやら寝落ちしていた事が分かった。

 その後、睦から送られた写真を眺めた。

 それは距離が離れていて拡大してもハッキリと見えない代物だった。

 兄は、そこに写っている人物が犯人の可能性が高いと言っている。


(でも普通のサラリーマンにしか見えないな、それに女装もしてないし)


 そう思いながら、その人物を眺めていた。

 その内に、その口許が微笑んでいるみたいに見えてきた。


(あれ?さっきより何だかハッキリ見えるな…)


 その時、写真の人物が塁の方を振り返った気がした。

 焦った塁はスマホを落としそうになってしまった。


(えっ、どういう事なんだ…?)


 塁は、まだ夢を見ているのかと頭の隅で考えた。

 まるで塁自身が、その夢の中に居る気がしていた。

 どちらにしても、それが悪夢なのは間違いなかった。






 ユキに竹春刑事からのラインが届いた、それをコッコと一緒に開ける。

 そこには明日の「レディワン」の激励が彼らしく書かれていた。


「嬉しいねぇ…ワタシ達にもファンは居るって事だ」


「捜査中でも休憩を取ってTVで応援してくれるってさ」


「アリガタイよねぇ…イイとこ見せたいよね」


「負けたくないな」


 コッコは小道具として借りてきた日本刀の方を見た。

 つられてユキも見る、そして短い沈黙が流れた。


「もしミルクラテを刺しちゃったとしても竹春さんに捕まるなら…」


「それな、もしかしたら優しくしてくれるかも」


「だよね」


 そして二人は添付されている写真を見た。

 雑居ビルから出てきたピンボケしている人物の姿を。


「この写真の人に見覚えは在りませんか、だって?」


「良く見えんくない?」


「だよね…」


 その時、写真の人物が二人の方に向いて見えた。


「ええっ!」


「これ動画じゃないよね?」


 その人物の口許が微かに動いている様に見えた。

 それは、やがて声となって二人の耳に届いてきた。


「勝って嬉しい花いちもんめ…

 負けて悔しい花いちもんめ…」


 ユキとコッコは、また目が廻る感覚に襲われていた。

 二人の中の何かの歯車が廻り始めてしまい、もう止められなくなっていた。


 ぐるぐる、ぐるぐる

 くるくる、くるくる…






 ナツハと紅葉の快気祝いの途中で自室から健午が姿を現わした。

 妻である紅葉が席を立ち頭を下げながら言った。


「あなた、ご迷惑をお掛けしました。

 怪我の具合は、どうですの?」


 健午は手の平に包帯を巻いていた、それは穂張涼に襲撃され斬られたものだった。

 和装の上からは見えないが胸にも刺された治療の包帯が覗いている。


「もう少し休ませて貰う事になるが大丈夫だ、お前も休む事だね」


「はい、そうさせて頂きます」


 五月は父である健午の返答に軽く吐き気を覚えていた。

 健午は同席しているナツハに声も掛けていない、その事に気付いていた。

 それどころか健午はナツハに視線さえ向けていないのだった。


(自分が兄である院長と最低な企てをしたせいで、こんな事態を招いたというのに)


 健午は橘麦秋と共謀して自分達の娘を交換し自分達の愛人にしようとした。

 かつて自分達の妻で企てた事を、あろうことか娘で実行しようとしたのだ。

 その計画に気付いたナツハの母、早苗は自らの命を絶って抗議告発した。

 早苗の自死を受け母であるアヤメがナツハの世話の為に上京してきたのである。

 それが今となっては呪われた日々の始まりだったと言えなくもなかった。


「お母さんとナツハちゃん達にも、ご迷惑を掛けました。

 五月も大変だったでしょう、ありがとうね」


「大変なのは、これからですよ紅葉」


「ワタシには五月ちゃんが付いてくれてますから」


「…」


 アヤメに続いたナツハの言葉に五月は何も返せなかった。

 それどころか軽く胸騒ぎさえしたのが不思議だった。


「それじゃ私は休ませて貰うとするよ」


 健午の、その言葉を合図に快気祝いの宴は幕を閉じた。

 健午は再び自室へと閉じ籠りに戻った。

 アヤメと一緒に麦秋邸に戻ろうとしていたナツハに五月が声を掛けた。


「明日、境さんが遊びに来てくれるから」


「弥生ちゃんに会えるの楽しみだな、お見舞い以来だもの」


 ナツハは五月に笑顔を返した、それは眩しい程の明るさだった。

 五月は、その眩しさを伊達の眼鏡で受け止めていた。

 反射したレンズの下に隠れた瞳は何かを見通そうとしていた。

 だけどナツハの真意や心らしきものは覗けなかった。


(もしかすると最初から、そんなものは無いのかも知れない)


 弥生が健午邸に訪れてからナツハに連絡する予定になっていた。

 五月は弥生にだけ訊きたい事が在ったのである。

 それは以前にナツハから聞かされた漫画の主人公の台詞について、だった。






 阿吽連合の事務所で時雨は昨日の出来事を頭の中で纏めていた。

「死神」と称される程の武闘派でありながら、その思考形態は極めて緻密であった。

 昨晩、終電の時間になっても飛鳥署から目当ての刑事は姿を現わさなかったのだ。


(見逃したか…)


 総本部から秘密裏に動く様に申し渡されていた。

 それで個人で動くしかない訳だから目が行き届かないのも無理は無かった。

 だが警察関係者をターゲットにしている以上、表立って動けないのも確かだった。


(パンピーなら拉致っちまえば簡単に口を割らせられるってのに…。

 相手がサツじゃ、おいそれと無茶は出来ねぇしなぁ)


 時雨は厄介な問題を押し付けられた、と感じてはいた。

 だが、この事件の成り行きに個人的に興味を覚えていたのも事実だった。

 橘病院関係者の連続不審死は地元である組でも話題になっていた。


(ホント不思議なコロシだよなぁ、どれもこれも誰も得をしていねぇ。

 金が動いている匂いがしねぇ、だが恨みにしちゃあ行き当たりばったりだ。

 それぞれのコロシが全く繋がっていねぇとは思えねぇし)


 時雨は保険金の流れを調べさせていた、だがそれも徒労に終わった。

 金の流れに不自然なモノは見られない、そうなると裏社会の常識を外れていく。


(橘病院の裏には月鳴神会が潜んでいる、それは間違い無い。

 だが月鳴神会と病院に取っては事件はダメージしか残らない)


 阿吽連合はバックの後援団体に亜細亜天和了連盟を据えている。

 勿論その事実を踏まえて、そちらの線でも事件を俯瞰して精査していた。


(確かに天和了と月鳴神は反目しているだろう、どっちも一神教だからな。

 だからと言って警察を使ってウチの組に仕掛けたりするってのか?)


 組を潰そうとするには余りに規模が小さい仕掛けであった。

 秘密裏に所持していた拳銃を一丁だけ盗む、それだけだった。


(別に組の名前が書いてある訳じゃないし、どういうつもりなんだか…。

 こんなリスクを犯して迄、警察のする事とは思えねぇ。

 だとすると、こいつは個人的に動いてるって可能性がデカい。

 だがその用途が見当も付かねぇ、それが一番おっかないトコだ)


 その上、最近は組が管理している風俗店に警官が頻繁に訪れている。

 それもオカマバーや女装専門の特殊な店舗が、その対象だった。


(犯人像がソッチ系だってのか?どうしてそう考えたんだ?

 この事件は訳が分からん要素が多過ぎんだよ、…ったく。)


 その時、時雨の背中を感覚的な何かが這い登っていった。

 

(だけど凶悪な何かが、その口を開けて待ってんだよなぁ)






 陽が落ちて夜も更けてきた。

 ナツハと紅葉の快気祝いの宴も終わりアヤメ達は麦秋邸に戻っていった。

 それよりも早く健午は既に自室に引き籠りの続きをしにいった。

 五月は久し振りに母である紅葉との二人きりに内心、喜んでいた。

 ナツハと母が戻ってきた事で、より家族を守る意識が強くなっていた。

 母を目の前にしているのに五月には母性愛の様なものが芽生えていた。

 そんな事を知る由もない紅葉が優しく話し始める。


「五月、少し表情が硬くなってしまっているわね…。

 もう大丈夫だから安心して連休を楽しんでね」


「うん、もう何も心配してないわ」


 そう五月は答えた、だが彼女の心の中は心配事で溢れていた。

 父である健午の邪で醜悪な目論見と、それを知らない紅葉への配慮。

 未だ逮捕どころか人物像も特定出来ていない犯人への畏怖。

 逆風に曝されている病院と月鳴神会の今後の行方。

 そして彼女の心を何よりも不安定に揺らし続けているのは…。


「所で五月、実は今日のナツハちゃんの事なんだけど…」


 まるで彼女の心を見透かしたみたいに紅葉が話を続ける。

 五月は思わずナツハの話題になって少なからず動揺した。


「ナツハちゃん…が、どうかしたの?」


「ええ…彼女も今日の退院でしょう?まだ完治していないんじゃ…」


「どうして、そう感じたのママ?」


「ママも一応、看護師だったからね。

 ナツハちゃんを見ていて、ちょっと心配に見える所が在ってね」


「ナツハちゃんに?」


 五月には、それ程ナツハの状態が悪くは見えていなかった。

 看護師だった母からの思いも寄らない言葉にも少なからず動揺した。


「ナツハちゃんは怪我をしたのでは、ないのでしょう?」


「ええ…精神的なものでの入院って聞いてるけど」


「なのに、まるで麻酔が効いているみたいに見えて…」


「麻酔?」


「アネスシージアって言うんだけど」


「アネスシージア…」


「鎮痛剤を打った時の状態、症状っていうか。

 感覚麻痺っていうの、ほんの少しだけど心身喪失してるっていうか」


「ナツハちゃんが…」


 五月には思い当たる所が在って、それを言い当てられていた。

 言葉の出て来ない五月の頭を軽く撫ぜて、そっと紅葉は部屋を出て行った。

 ソファに沈み込むままに身を任せ、そのまま五月は目を瞑った。


(ナツハちゃんは、おそらく自分で自身の感覚を麻痺させている。

 自分で心に鎮静剤を打ち続けて、そして中毒を起こしているのかも)


 五月は自分の心がギュッと苦しくなった事に驚いた。






 時雨の元に組の縄張り内に在る風俗店から続々と連絡が届いていた。

 その全てが同じで警察の店に対するマークが厳しい、との意見だった。

 それもゲイ関係や女装専門の店に集中していて、それが奇妙だった。


(奴等にゃLGBTの精神なんて在りゃしねえってのか、ふざけんな。

 捜査の段階で差別するなんてアップデイト出来てねぇな)


 確かに連続殺人事件に関してのマスコミの辛辣さは見えていた。

 それに反して世間の興味は薄れつつある、もう連休に入ったからだった。

 だが時雨には、その捜査の方向転換が見当違いに思えて仕方がなかった。


(サツは何かを掴んだ、それは間違いねぇ。

 だが、その情報は公開どころかコッチに入っても来ねえ。

 パクられたチャカと関係が在るとも思えねぇ、どうにもならんな)


 確かに時雨は組の上層部の命令で盗まれた拳銃の行方を追っている。

 だが、その裏に何かが隠れているのも感じ取っていた。


(さもなければ何か、とんでもないモノが潜んでる気がすんだよな…)


 潜り抜けてきた修羅場の数は組でも一、二を争う程の武闘派である。

 何かが自分の周りを取り囲んでいるのが感じられた。

 しかも、その範囲は段々と狭められつつあるのも感覚的に理解していた。

 死神と呼ばれるだけの者である。






 塁が再び目を覚ましてしまった時、既に日付が変わっていた。

 本日は日曜日、本格的にゴールデンウィークに突入していた。

 一時的な措置で特別捜査班に組み込まれた塁は、やはり疲れていた。

 悪夢を見る回数が頻繁になってきているのも、また彼を疲弊させた。


(何で、あんな蛇の夢なんて見たんだろう?

 しかも、やたらリアルで不思議な位に見覚えが在るなんて…)


 それは大きな蛇の夢だった、しかも見覚えの在る神社の境内が舞台である。

 塁の目の前で、その蛇は何かを呑み込もうとして口を膨らませ動かしていた。

 何を食べようとしているのかは分からないが、まだ生きているみたいだった。

 ふいに、その蛇の口許から羽が飛び出したてきた。

 鳥である、その翼を羽ばたかせて食べられまいと藻掻き苦しんでいた。

 だが蛇は何事も無かったかの様に喉を動かして呑み込み続けていた。

 やがて羽は口の中に収まり見えなくなっていった。


(助けて)


 その時、塁にはハッキリとそう聞こえた気がした。

 次の瞬間、強烈な悪寒と吐き気に襲われて目を覚ましてしまったのだった。

 ベッドの上で震えの止まらない身体を沈めていた。

 これ程の恐怖を伴った嫌な予感は初めてだったかも知れないと感じていた。

 予兆。






 いつの間にか寝落ちしていた始和は悪夢によって叩き起こされた。

 簡易個室スペースとはいえ漫画喫茶である、もし叫びでもしていたらと思った。


(嫌な事件ばかりで無意識的に相当疲れているな。

 いや…取り憑かれているといった方が近いかも)


 どんな夢だったか、その内容は思い出せなかった。

 寝落ちする前に開いていたサイトが、そのままモニターに映し出されていた。

 それは有名な匿名掲示板であり、そこで情報提供を呼び掛けていたのである。

 始和は藁にも縋る思いで月鳴神会に関する情報を集めていた。

 それは自分自身が生き延びる為に必要だと強く感じていたからである。


(あれ?寝ている間に随分と返信が書き込まれているな…)


 その書き込みの殆どは、もう既に始和が熟知している事柄ばかりだった。

 かつて彼が記事にして「噂ノ深層」に掲載した物も、そのまま書き込まれていた。

 そんな中、幾つか興味を引いた目新しい事柄も在った。

 匿名故に、その情報の精度は未知数な物ばかりではあったけれど。


『もう随分と前の事にはなりますが、お聞き下さい。

 私は屋久島に住んでいる者です、そこで島の記事を書いております』


 それはそんな文章で始まり、その屋久島というワードに始和は喰い付いた。

 彼と仲間達が地獄を覗いてきたばかりであり、しかもまだそれは続いていた。

 終わりが見えない覚める事のない悪夢。


『月鳴神会の発足集会に参加しました、その事を書きます。

 鳴神菖蒲が有名ではありますが、そもそも教祖ではありません。

 宗教団体ですらない月鳴神会の単なる会長に過ぎません。

 確かに人の心を読み解くカウンセリング技術は突出していたみたいですが』


 この時点で書き込んだ者が月鳴神会のアンチだと分かったので少し警戒した。

 単なる陰謀論者である可能性も感じられたからである。

 だが、そこから先は始和の予想を遥かに超える事が書き込まれていた。


『教祖というより象徴といえるのが鳴神菖蒲の二人の孫娘であります。

 この子達は島では一切、素性を明らかにしていませんでした。

 鳴神菖蒲は、この子等の力を持ってすればと会の設立を考えたのです。

 この子等の能力は、とても恐ろしく信じられないものでした。

 他人の心を操り、いとも簡単に死に至らしめる事が出来るのです』


 始和は予想していたとはいえ、やはり目を疑わざるを得なかった。

 精神的な暗殺者。

 しかも小学校に上がる前の少女達が、と書かれているのである。

 さっき迄、自分が見ていた悪夢以上の恐ろしさであった。






 竹春は捜査上で知り得た警察の情報をも書き込み、その動向を待っていた。

 それは捜査にとって全く役立つとは思えない噂レベルのモノではあったのだが。

 勿論、匿名のままにしておいたのは言う迄もない。

 その証言は事件当時の屋久島の警察関係者が集めた情報だった。

 それでも、もし誰かの何かの情報と化学反応を起こせればと願ってはいた。

 その匿名投稿サイトに書き込みを続けていく、それも過去の証言の引用である。


『その少女達の外見は、まるで双子みたいに瓜二つ。

 お姉さん的な少女だけが眼鏡を掛けていた、それだけが区別出来る特徴でした。

 その姉風な少女の能力が、とにかく桁違いに恐ろしいものだったのです。

 一度会っただけの大人に暗示を掛けて、その後に死に至らしめる。

 自死故に全く事件性は無く、その殆どが顧みられる事も無かった』


 竹春は自分で書き込みながらも、その内容が未だに信じられなかった。

 そんな幼い少女が果たして自分の意思で大人を殺すなんて出来るのか、と。

 そして、その事実に対する精神的な呵責は何も無いのだろうか。


『力により反勢力を一掃した月鳴神会は設立される事となりました。

 孫娘たちは母親達と共に東京に移住、現在も在京と思われます。

 最近立て続けに起こっている月鳴神会に関係している連続殺人事件。

 それにも何らかの関係が在ると思われ、その捜査は続行中であります』


(続行中と言うよりは難航中だけどね、だって被害者側なんだから)


 書き込みを続けながら竹春は苦虫を嚙み潰した表情になっていた。

 どうしても月鳴神会側には同情をする気になれなかったからだ。

 所が次の瞬間、彼の表情は遥かに恐ろしい表情へと変化していた。

 やはり匿名の第三者により、とんでもない事が書き込まれたからである。


『その少女達の名前は橘夏初と橘五月、共に飛鳥女子高校一年在学中。

 夏初の母の橘早苗は自殺、父の橘麦秋は殺害され犯人は逃亡中。

 夏初は現在、祖母の鳴神菖蒲と同居。

 五月の父の橘健午は襲撃により負傷、犯人の穂張涼は殺害。

 同一犯と思われる犯人は逃亡中、次の標的は橘五月か?』


 全く口調が変わり竹春がボカシていたナツハ達の本名も書き込まれてしまった。

 竹春は心底驚きながらも慌てて自分の書き込んだ文章を消去した。

 それにより前半の文章の内容と書き込みとを繋げて読めなくしたのである。


(一体誰が、こんな事を書き込んだんだ。

 しかも捜査上の情報にも詳しいなんて、どういう事なんだ)






 始和は突然書き込まれたナツハ達の個人情報に驚いた。

 匿名とはいえ、さっき迄の情報提供者とは何もかも違っている。

 アドレスからも第三者が書き込んできたのは明らかだった。

 しかも衝撃的な情報は、その後も書き込まれ続けたのである。


『橘病院看護師長の雁来蘭、前病院長の橘麦秋の愛人。

 急性心不全により死亡、外傷により死因に疑問視。

 穂張涼の上司の芳歳太郎は自宅にて殺害、犯人は逃亡中。

 病院関係者連続殺人事件の関係性は不明、犯人の動機その他も不明』


 そこで文章は途絶えて、より書き込まれる事は無かった。

 始和は意を決して、その続きを書き込む事にした。

 タレコミに対応する時の為に用意された取材用の会社の備品である。

 この書き込みから始和のスマホが特定される事は、ほぼ不可能だった。

 なので彼は、この事件に関するリミッターを外した。


『月鳴神会に関して取材を受けた乾と木染の両名は溺死しました。

 取材を担当したTV局員の上冬氏は転落死、警察発表は自殺です。

 取材に協力した雑誌社員は編集部で殺害、犯行手口は芳歳氏殺害犯と酷似。

 これだけ関係者が連続して亡くなっている、なのに何もかもが不明です。

 どなたか何でも良いので情報提供を御願いします』


 始和は編集部で殺された先輩の素性はボカシて書き込んだ。

 まだ警察発表が無いので犯人が自分だと思っている可能性が高かったからだ。

 まず間違い無く先輩は自分の身代わりで殺されたからである。


『屋久島において不審火が多発、焼死したのは月鳴神会との対立者。

 警察発表は火災の原因は不明、焼身自殺の疑い濃厚。

 同時期に月鳴神会が発足、教祖には孫娘の一人を指名。

 彼女の能力の全貌は不明、短期間で島内を完全制圧』


 始和が屋久島での取材において分かった事と、ほぼ一致していた。

 孫娘の内、一人の能力を見抜き後ろ盾に回ったアヤメに感心した。


(現教祖的存在である橘五月、彼女が事件の最重要人物か)


『月鳴神会の象徴「月詠み」、橘五月。

 次の標的と予測、犯行は組織的で犯人は複数の見込み』


(「月詠み」…?)


 始和には、その言葉が妙に心に残った。

 以前に何処かで聞いた事が在る様な気さえ、していた。


『その能力が使える者は他者の心を狂気に導く事が可能。

 鳴神アヤメを含めても数人にしか発現せず。

 その中で最大能力値を見せたのが橘五月の模様。

 あらゆる宗教の存続の為にも排除が特命』


(特命って…)


 始和は敵の大きさを見誤っていた事に気付いてしまった。

 

 






 





 

 



 


























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