第45話 マーガレット様の大園遊会
とうとうマーガレット様のマクスジャージー家の大園遊会の日が来た。
ハリソン夫人が意気揚々とそろえてくれた衣装は、袖を通すのがためらわれるほど高そうな品々だった。
発注した当時は、離婚することばかりを考えていたので、このドレスを慰謝料代わりにいただこうとか、不埒なことを思っていた。だから、高くてもいいか、なんて思っていたのだ。
だが、実際に自分のものになってみると、値段がとても気になった。
これからは私がこの家の経済を考えないといけない。
騎士の報酬で賄えるようなドレスではない。
「旦那……ではなくてアーサー」
私は少々当惑して旦那様に言った。
「お高すぎないかしら?」
アーサーは笑った。全然、気にしていないとでもいうように。
「兄から結婚祝い金をもらったんだ」
「お兄様が?」
アーサーは笑って言った。
「兄は父と違って商売人なんだ。王国一つを買えそうなくらい儲けている」
そう言えば、自分でも相当に設けていると言っていたけれど?
「僕の結婚に際しても、祝い金をくれた」
金額を聞いて私は目を回した。
「そんなに要らないと言ったのだけど、もらっておいてよかった。伯爵家を継いだ以上、恥ずかしい身なりは出来ないからね」
「こちらはラムゼイ伯爵様用のお支度でございます」
待ってましたとばかりにハリソン夫人が黒の正装を旦那様に渡した。
試着した旦那様を見て、私は考えを改めた。
旦那様は男ではなくて、全世界に一人だけ存在する、別の一人だけの種族の人間だった。体にぴったり合った正装を身に着けた旦那様が私を見てにこりと笑った瞬間、心の中で何かがぎゅうううッと締め付けられた。
カッコいい。
私は旦那様と連れ立って、なんだか心弾ませて園遊会に出かけた。
園遊会の招待状を受け取った時は、あんなに行きたくなかったのに。
汽車を仕立てて大宴会を催すだなんて、侯爵家だとしても考えられないくらいの贅沢!
そして、広い庭園を備えた素晴らしい邸宅……というか、もはや城。
「うちの兄が見たら、思い切り嫉妬しそうだなあ……」
それはそれで、ちょっと驚いた。
マーガレット様のおうちは、押しも押されぬ大侯爵家。
ファーラー子爵家は、身分では及びもつかない。それにもかかわらず、嫉妬するだなんて。
お金持ちなことはわかっていたけど余程、商売がうまく行っているのだろう。
私は、マーガレット様と再会できて本当に嬉しかった。
「ラムゼイ伯爵夫人!」
マーガレット様は、笑いながら迎え入れてくれた。
「あなたにぴったりだわ! あなたなら、どうにかすると思っていたわ」
私たちだけが新侯爵夫妻を独占するわけにはいかなかったので、すぐに引き下がったが、そのあとには姉や姉の取り巻きの夫人たちが私を待っていた。
あのモリス氏の不幸な被害者たちだった。
彼女たちはこの機会を待っていたらしい。こっそりと私に向かって礼を言った。
「あなたとファーガソン夫人のおかげですわ」
後で姉と会った時、私は言った。
「とても人が良さそうな方たちでしたわね」
「だって、私のお友達ですもの」
姉が言った。
うん。わかるわ。
姉は、噂に敏感な一流の社交夫人かも知れないけれど、一本筋が通っている。
いつも私に、女性は常に男性を立てて……などと説教をしていたが、姉の旦那様が姉を敬愛している理由は、彼女が、どんなに噂好きだとしても、きっちり筋を通すからだ。
姉はあの人たちを助けたかったのだろう。
「なんの話をしているの?」
アーサーが陽気に割り込んできた。
「ダンスに行こう。おいで、シャーロット」
姉は笑って私たちを見送り、取り巻きの婦人たちも微笑ましげにわたしたちを見送ってくれた。
「ねえ、シャーロット、どうしてモリス氏があなたを狙ったか、わかっている?」
ダンスフロアに向かいながら、アーサーが聞いた。
「私のことを見くびっていたからよ」
私は怒ったように言った。
「違うんだよ、シャーロット」
夫は言った。
「あなたと私の間に距離があったからなんだよ」
「距離?」
ちゅっと彼はキスした。
「まだ、本当に夫婦じゃなかった。そのぎこちない感じがわかるんだ、ああいう男には。だから狙われた」
アーサーは私の手を取った。
「結婚したんだから、すぐにもあなたと一緒になればよかったんだ」
私は少し赤くなったかもしれない。
「でも、あなたはそんなこと、考えていなさそうだった。僕はちょっとだけ待つことにしたんだ。その方が、美味しくいただけるんじゃないかって」
「お、美味しく?」
「そうだよ。あなたに好きって言って欲しかったんだ。気持ちが通じ合う、その時を待ってからにしようと思ったのだ」
私は彼に身を寄せた。
言いたいことが少しわかる気がする……。
「あなたが好きよ、アーサー。愛しているわ」
アーサーが本当に大事にしてくれなかったら……私だって、モリスみたいなくだらない男の話を冷静に聞けなかったかもしれない。ヘレンの言葉に傷ついたかもしれなかった。
その頃、侯爵夫妻は一通りの挨拶を終えて、着替えのためと称して、自分達の寝室に割り当てられていた部屋にいた。
そして、二人で、双眼鏡を取り合いっこしていた。
「ダメよ、あの男嫌いで男性恐怖症のシャーロットが、男に懐いてデロデロしているのよ! 私が見ます!」
「いやいや、あの頭はいいくせに、アホーな夢みたいなことばっかりほざいていた頭でっかちのゴードンが、女にメロメロになって見るも無惨なことになっているって聞いたんだ。ちゃんと確かめないと、気が済まない。それを貸しなさい。私が舶来物専門店から買ったんだから」
「一体、なんだってモリスとか言う男は、あんなに旦那様に夢中な女に声をかけたのかしら?」
背の高さを生かしてスルッと双眼鏡を妻の手から取り上げた侯爵は、チャッとピントを合わせると、わー、キスしてるとか小学生のようなことを言い出した。
「まあ、モリスは当然の報いを受けたんだ。ゴードンのおかげさ」
「シャーロットのおかげよ」
園遊会に参加した人たちはとても数が多かったので、私たち、ファーラー夫妻が何をしようと目立たない……はずだった。
だが、実際にはとても目立っていたみたい。
なぜなら、私が、あの面倒くさい、社交界のダニと陰で呼ばれていたモリスを公式に葬った(ことになっている)からだ。
「あの手はいくらでも湧いて出る。一つ一つ潰していくしかない」
「でも、今回のラムゼイ伯爵夫人は脅されても、まるで無視なさって、逆に何もなかったことを論破して、モリスを破滅させたのですわ。女の敵を見事討ち取ったのです」
少々興奮気味に誰かがしゃべっていた。
論破か……。私は頭が痛くなってきた。姉に叱られる。
その上……
ヘンリー・バーティは、冷たい美貌と公爵家の御曹司という身分と、騎士団で実力を発揮している事実から、今日の園遊会でも多くの女性から熱い視線を浴びていた。
だが、彼は、今回の捕り物に夢中になっていた。私を見かけると、スススっとそばに寄って来たのだ。
「ねえ、シャーロット夫人、次に何かあったら。ぜひまたご一緒に」
私はものすごく当惑した。
年頃のご令嬢方の視線が痛い。
「でも、あの、あんな事件がそんなにしょっちゅうあっても困ると思うし……」
それに、今は、付け入られる隙なんか全然ないはずだった。そういう理屈で(つまり仲良さそうにしていないと別なモリス氏に狙われてはいけないという旦那様の超理論のせいで)めちゃくちゃ恥ずかしかったのだが、アーサーと一緒の時は私は腰を抱かれたままの状態で、知り合いに紹介されていた。
「いえ。私には予感があるんですよ」
ヘンリーはキラキラした目をこっちに向けた。
「シャーロット夫人、あなたは一見、のほほんタイプの天然に見えるんです」
なんて言うことを。
「そ、そうかしら?」
絶対違うと思うのよ? 私は口だけ立つ、ちっとも好かれない女なのよ。旦那様は天然記念物だと思うの。私がのんびりタイプに見えるだなんて、ヘンリー様の目はどうかしているんじゃないかしら?
力強くヘンリーはうなずいた。
「それは僕が冷たい美貌に見えるのと同じくらい事実です」
…………あまりにも正しい自己評価に、かえって頭痛がしてきた。天然ってヘンリーのことじゃないかしら。
「しかし、実際はナイフのような頭脳と機関銃のようなしゃべりを兼ね備え、一瞬のうちに矛盾に気付き悪党を追及する、すばらしい方です。のほほん天然タイプは油断を誘います。今後とも、おとり捜査や潜入捜査などで、力を合わせてこの世の悪を退治して行きませんか? できれば知能犯がいいですね。僕はすごく興味がわきました。これまで、面白い事なんかなかったんです。公爵家の御曹司と言うだけで、すらすら物事が運びすぎてしまう。ぜひ……」
ここで、公爵家令息は後ろから拳固をかまされて沈黙に沈んだ。
言うまでもなく、アーサーである。
「お前は政界にでも埋もれて、得意の推理能力を発揮したらどうだ」
アーサーが無慈悲に言った。
「いや、政治は白黒が付かないから、面白くなくて……」
「公爵家の御曹司が警察の真似事なんかやるわけにはいかないだろう」
「伯爵家の跡取りが塹壕掘ってたじゃありませんか」
「あれは埋め戻していたんだ。門を開けたらすぐに大穴って、どう考えてもトラップだろ? 自邸の庭で大惨事だなんてやりきれない」
前ラムゼイ伯爵はろくなことをしていなかった。
「まああ。今度はヘンリ―様と恋人なのかしら?」
「そんなことはないと思いますけど……」
大園遊会は、それなりに新たな噂を生んでいた。
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