第28話 旦那様に迫られる
「無理矢理に結婚まで持ち込んでしまって、嫌われてしまったかもしれないけど」
近すぎる距離のまま、旦那様は言う。
「結婚する前より、結婚してからの方がずっと気持ちの重みが違ってきたんだ」
私は緊張でガチガチになった。
こんなことを言われると、私は私がわからなくなる。
私に何か値打ちがあるというのだろうか。
「好きとか嫌いとか、そんな気持ちじゃなくて、会いたい」
「ずっと会っていたい。一緒にいたい。なんだかよくわからない気持ち」
「これまでは幻の天使だったけど、本物のあなたをみた途端、幻なんて吹っ飛んでいったよ。それより現実のあなたの顔を見ていたい」
真剣にずっと目を離さず見つめられ続けて、その深刻さが怖くなった。
私は立ちあがろうとして押さえ込まれた。
「離さないよ」
ここは旦那様の家。旦那様の部屋。旦那様のベッドの上。
一人部屋だったので、椅子は一脚しかなくて、申し訳程度の小テーブルと、大きなベッドしかない。
「約束してくれる? いつか必ず……」
好きになってほしい。
旦那様だけを。
「そして、旦那様という呼び名は今すぐやめてもらっていいかな」
「え? どうしてですの? 旦那様?」
旦那様の澄んだ目が、私を見つめてくる。
「僕はあなたの主人ではない。一緒に歩む人だ」
おお。
なんだか素晴らしい響き。
一緒に歩む人。
「僕の名前はアーサーというんだ。アーサーと呼んでほしい」
え? 名前、違うけど?
「あの……ゴードンではなかったですか?」
確か、ゴードンと名乗っていたような? 名前の記憶間違い? またか。まずい。
「ミドルネームだよ。家族はみんなアーサーて呼ぶんだ」
熱心な調子で言われた。
なんかもう、最初に考えていた計画がどんどん潰れていく。
正体がバレたら離婚されるつもりだったし、嫌われるはずだったし、結婚後、こんなふうに口説かれるとは思っていなかった。
だって、世の中、釣った魚に餌はやらないというではありませんか。
「釣れてないんで……」
急に表情を固くした旦那様は言い、私はもじもじした。この手の一撃は心臓に悪い。
さらに、寝室が一つなので、まさかの連夜の口説き放題。
そのせいでいつも心臓はドキドキしっぱなし。心の奥底の警戒音は、常に最大音量で鳴り響いている。体に悪い。早く自分の部屋に戻りたい。
「どうしてもドアが開かないのですが……旦那様のお力添えがあれば」
いまだに毎朝旦那様が出て言った後、開かないかなと無駄な?努力を重ねていた。
最初は下心満載のアンが手伝ってくれたものだが(旦那様と私を遠ざけたいばっかりに)、途中から飽きて(どうでも良くなって?)手伝ってくれなくなった。
今は一人で頑張っているのだが、使用人は毎朝の筋トレだとでも解釈しているらしく、生暖かい視線をくれるだけである。
「この部屋でいいじゃないか」
旦那様は優しく言った。
優しいのは反則です。つい頼りたくなります。自立心が失われると思います。
「このままでいいじゃないか。僕はこのままでいい。これからもいろいろあるだろうけど、ずっと一緒にいたい。離れないでほしい。あなととなら、乗り越えられると思うんだ」
それから、衝撃的な一言を放った。
「あなたなら、伯爵夫人と呼ばれてもなんら恥ずかしくない」
私は旦那様の顔を鋭く見た。
それは、ラムゼイ伯爵の後継ぎに決まったと言う意味なのかしら?
旦那様は、私の無言の質問の意味を理解してうなずいた。
「どうして?」
なぜ、私たちなんだろう。
あの時の様子だと、ラムゼイ伯爵が私たちを気に入ったとはとても思えない。
「私たちのことは、すごく気に入らなかったそうだ」
うん。すごく気に入らなさそうだったと思う。
「じゃあ、どうして?」
「モードント卿のことは、もっと気に入らなかったそうだから」
最低と最悪しかなかったそうで、最悪の方を選んだそうだ。
その違いは、どう言う意味なの?
「旦那様は、あまり爵位を欲しそうではなかったではありませんか」
「アーサーって呼んで」
旦那様は、呼び名をまず訂正してから、話を続けた。
「その通り。騎士団で出世したかったとしても、子爵家の出身ならそれで十分だ。それに、うちの家の話はあまりしなかったと思うけど、兄のおかげで、うちは十分裕福だ。両親への仕送りなんか、全くいらないしね。むしろ、貰ってるくらいだ」
まあ、あのドレスの買いっぷりから察するに、実家は絶対貧乏ではない。
とは言え、お金はあればあるほどいいんじゃないかしら。
「ファーラー家という家は貴族としては異色なんだ。というより、兄が異色なのかな。領地から取れる農産物を加工する工場も運営していたが、最近では工場より商品の売り買いに夢中でね」
「はあ」
「父は頭が硬いので、商人なんて古くからの貴族がやることじゃないって言うけど、僕は兄が正しいと思ってる」
ま、まあ、家庭内の親子の意見の相違って、よくある話ですわよね。
この話はどこへ続くのかしら。
「で、そんなわけで、父がこの話には、すごく乗り気なんだよ。ラムゼイ伯爵家を継ぐことだけど……」
要するに、お父様が乗り気すぎて断りきれなかったと言いたいのか。
「でもね、伯爵家を継ぐだなんて、面倒くさいことこの上ないよ。よく知ってるだろう」
それは確かに。
私の学校だって、あんな学校へ入る必要はなかった。なんなら、学校なんかどこも行かなくてよかったなくらいだ。
だけど、結婚に有利だからと両親は無理して学費を払っていた。
姉たちの交際費だって、それはもう高かった。
使用人の数もちゃんと揃えなくてはいけないし。
すべては、貴族の体面を保つためだった。
「ねえ、シャーロット、ラムゼイ伯爵家は、今の伯爵が、やりたいことをやりまくった。もう、評判はめちゃくちゃだ」
「そうでしたわね」
私は遠い目をしてうなずいた。あれは邸宅とかいうものではない。
「庭はあの通り、家屋敷だってすごい有様だ。直すとしたら、天文学的なお金がかかる」
「ほんとうに」
黙って維持しておけば良いものを。なんだって破壊行為に手を出すのかしら。
私はラムゼイ伯爵に腹を立てた。
「襲名パーティーなんか無理だよ。みんなわかってる。今度マクスジャージー家がするような襲名パーティーなんか、絶対出来ない。だから、やめよう!」
「えええ?」
伯爵家を継ぐのを止めるのだろうか? 今、止められないって言ってたのではなかったかしら?
「いや、止めるのは型通りの伯爵家を継ぐ話だよ。伯爵家たるもの、こうあるべきだとか、こうしなくてはいけないとか、しきたりとか慣例は多いと思う。でも、気にしないで行こう! 手始めに襲名パーティはやらない」
貴族が襲名パーティーをやらない?
しかも伯爵家と言う結構大きなタイトルなのに?
「あなたとなら出来ると思う」
「何がしたいのですか?」
旦那様は熱心に言った。
「あなたなら完璧な伯爵夫人として振る舞うことができる。みんな、それを知っている。社交界にでた回数は少ないし、目立ちもしなかったが、その分悪評はない。立派な伯爵家の出身で、姉上たちも賢夫人として評判がいい。あの礼儀作法に厳しい王立修道院附属女学院の出身だし」
あの修道院附属の女学院、確かに礼儀作法だけはやたらに厳しかったけど、それ以外の面ではユルユルだった。
特に女子生徒の派閥闘争には寛容極まりなく、口論しようが、足を踏もうが、見て見ぬふりだった。
それどころか、私たちの闘争は神聖かつ真剣、公正に行われていたのに、修道女たちや院長様さえこっそり覗き見して、死ぬほど笑っていたのを知っている。
何が面白かったのかさっぱりわからないけど。
だから、女学院の世評が高い理由がよくわからない。
姉たちに至っては、なんと言うか、いつも言いたい放題、挙句にこの結婚をしくんだ張本人なのだ。
賢夫人? どういう意味かしら。
「謙遜しなくていい」
謙遜じゃないんだけど。
「そのあなたが伯爵家を仕切るわけだから、少々、常道から外れていても文句は少ないだろう」
む?
「仕切るのは旦那様、あなたではないのですか?」
「もちろん、伯爵の看板を背負うのは僕だ」
旦那様は妙に力なく言った。
「あの爵位が欲しくて仕方ないモードント卿さえ二の足を踏んでいた。いわゆる伯爵家らしい風格を期待していたのだと思う。屋敷とかね。それが、あのザマではね。恥をかくだけだと考えたのだろう」
旦那様は、私の顔を見た。まるで、困ったことになっているんだよと言っているかのようだった。
「ラムゼイ伯爵の弁護士から連絡を受けたんだ。伯爵は、爵位を継ぐ条件に、昔の邸宅に戻すことをあげているそうだ」
何い?
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