第24話 謎のイケメンの訪問
あの奇妙なお茶会のことは、忘れようとしてもなかなか忘れられなかった。
一生懸命忘れようとしたのだ。
だが、それを妨害する者が二名いた。
すなわち、うちの姉と、ハリソン夫人である。
この二人、特にラムゼイ伯爵から廃業を申し付けられたハリソン夫人は、思いっきり、貴婦人相手の商売に差し支えが出るのではないかと思われるほどに大笑いした。
「もう一回、その執事の話、お願いします」
面白いかな? この話。
「そんな変な執事、聞いたこともないです」
この分では、私が雨樋をよじ登った話がバレたら、どれだけ笑われるかわからない。
「客間の様子もお願いします」
よそ様のお家に招かれて、その家の悪口を言うのはどうかと思うんだけど……。
ハリソン夫人は帰り際になってもまだクツクツ笑っていた。敵方の見るも無残な有様は、夫人のザマア感性に触れたらしい。
ラムゼイ伯爵とは永遠に話が合いそうにもなかったし、旦那様も気に入らなかった様子だったので、伯爵位の継承の可能性など完全になくなってしまった。
でも、一つだけ良かったことがあった。
それは旦那様のことが、それほど怖くなくなったことだ。
ラムゼイ伯爵邸の薄気味悪い執事を思うと、比較の問題で、旦那様が断然マシに思えるようになったのだ。
私は、お客様が帰った後、自室で未来に希望を持った。
「この分なら、あと五、六年もすれば、旦那様にも慣れてくるかも……」
その時、ドアを乱暴に開ける音がして、アンが飛び込んできた。顔が真っ赤だ。
「奥様、離婚なさるんですか?」
「え?」
「本気で離婚するなら、旦那様のことは、私が貰い受けますから!」
「え? ああ? は?」
「今、奥様にお目にかかりたいって殿方がお見えです」
「殿方? どなたかしら?」
アンの様子が目に見えて、冷たく冷たく凍っていく。
「おとぼけですか?」
違うってば。どういうことなの?
「先日、オペラハウスでお会いした者と伝えてもらえればわかるそうです」
例の『行き違いの恋の行方』? ずいぶんたくさんの方とお会いしたのだけれど……?
「誰だかわからないのですか?」
「まったく」
私は困惑し切って返事した。
「お逢いになられた方のうちの、どなたかでございましょう?」
ご婦人方は全員記憶した。しかし、残念ながら、殿方は全員スルーだ。
今になって、これはまずかったのだと悟った。
お会いしましたよねと詰め寄られても、覚えていないので、否定できない。
あの場では、旦那様がちょうど渦中の人だったので、ずいぶん大勢の人と会った。
「心当たりがありすぎてわからない」
「心当たり、そんなにあるんですか!」
アンの顔には、この淫乱!と書いてある……ような気がした。
違う! その意味じゃない! ただ単に会った人という意味なんだけど。
あいにくアンは聞いちゃいなかった。
「この方は、追い返しますか?」
こういう時、全く覚えていないというのは、どうしようもない。追い返していいかどうか判断がつかない。
アンがずいっとそばに寄って囁いた。
「すっごくかっこいい人なんですけど」
「え?」
「意外にやるじゃないですか、奥様。ボケたような顔してて」
それは怖い。あ。でも、かっこいい人は私なんか相手にしないわ。
範疇にないに決まってる。
そう言えば、旦那様がかっこいい人なのかどうか、私にはいまだによくわからない。
「奥様、来ちゃったもの、ほっとけないでしょう。とっとと客間に行ってください」
追い立てられるように階下に押し出されて、私はイケメンとやらのご尊顔を拝しに出かけた。
勇気を出して、客間のドアを開ける。
「お待たせしました……」
なるほど。
確かにイケメンだ。
きらきらした金髪に、青色の目、目鼻が整い、何よりも本人が私はイケメンでしょうという顔をしていた。
「サイモン・モリスです」
「モリス様」
覚えておかないと。
ニコリと笑ってモリス氏は腰かけた。
「今日はどういったご用件でお越しになられました?」
私はいそいそと用件を聞いた。
「そうですね。私は……先日お目にかかって、それでもう一度お会いしたくなりました」
モリス氏は意味ありげに私の目を見て、微笑んだ。
なんでまた?
「なぜですの?」
私はぶった斬った。この人と接点はないはずだ。モリス氏は微笑んだ。
「無粋なことを。決まっているじゃありませんか。お会いしたかった。それだけですよ」
なぜ、モリス氏が来たのか。モリス氏とは何者で、どこの出身でどこの学校を出て、今の職業はなんで、両親は何をしている人で、既婚なのか未婚なのか、出来れば経済状況も聞き出したい。もちろん、当家に何の用事があるのか。
ぜひ聞いてみたい。
その意味で、話は弾んだ。
男性恐怖症かも知れないが、この人物はイケメン過ぎて、男性でないと私の中の何かが判定を下した。
男性でないなら、ただの人間である。なにも問題ない。
モリス氏は私をしげしげと眺めて、おきれいな方ですねと褒めた。
「違うと思いますわ」
私は真面目に
何言ってるんだろう。
私は全く美人ではない。
「スタイルも抜群ですし」
「それも間違っていると思いますが?」
どうやらモリス氏は困っているらしかったが、私だって困っている。大変失礼だと思ったが、もう、聞くしかなかった。
「オペラハウスでお目にかかりましたかしら?」
そもそも私には、イケメン感知装置が付いていない。
モリス氏も最初は目元が美しいとか、すらりとした憧れのスタイルだとか、歯の浮くようなセリフを量産していたが、私がきちんと訂正していくと、だんだん投げやりになって来た。
だけど、正義感スイッチが入らない限り、私は基本的には聞き上手と言われている。聞いているだけだけど。
(この人、何しに来たのかしら?)
「……まあ、そうでしたの」
だんだん態度が悪くなっていくモリス氏。他人の家のソファにのさばって、私がよく知らないご婦人方の悪口をしゃべり始める。
「いや、もう、ベリフォード男爵夫人のヤキモチときたら、たまったもんじゃありません。全く関係ない、カーライル氏のところに手紙で言い付けるんです。カーライル氏の奥様はもう四十歳は遥かに回っていて、私だって、ちょっと慈悲の心で付き合っていたって言うのに。まあ、切れ時だったんですけどね」
そりゃベリフォード男爵夫人は、愛人のモリス氏が別の女性と仲良くしているとわかれば怒るだろう。
「でも、ベリフォード男爵夫人はお金があるのに、ケチなんですよ? お願いしている金額なんて、ベリフォード氏の資産全体から考えたら、雀の涙……。当然、他の女性のところにも行きますよね?」
「…………」
モリス氏の愛は金額方式だった。さらに、自由に皆さんにお分けできる博愛主義者的な愛情の持ち主だった。
この人は、なぜ私に無警戒なんだろう。私が黙って聞いているからかしら。怒るような相手でもなかったから黙っていたのだけど。
(それにしても、どういう御商売なのかしら)
私は出来るだけ短時間でモリス氏を追い返した。キラキラの金髪に珍しいくらいの青目、すらりとしているが程よく筋肉のついた体つきをしていた。誰もがイケメンだというだろう。
声も魅力的ないい声だった。
着ている服も最新流行なのでは? ハドソン夫人ならわかるだろうけど、私は男性の服飾に詳しくないので、判じかねた。
指には大きな宝石のついた指輪をしている。相当な値打ち物だわ。
「話の内容、メモ取っておいてくれた?」
「はい、奥様」
アンが汚い字で書いたメモを見せてくれた。アンはきれいに着飾るし、顔はかわいいし、結構な口を利くが、字は汚いのである。そのほか、要点をまとめる才能はゼロだ。
それでも、二人で聞くと、聞き損ねていた部分などもはっきりしてくる。
「サイモン・モリス三十二歳。自称未婚。男爵家の三男。定職なし。ダンスパーティやオペラハウスなどで知り合った女性と親しくなり、その家に住み着く」
ダニじゃないの。
「私、そんな遊びに付き合う女性だと思われたのかしら?」
「多分、違うと思います。旦那様に冷たいので、付け入るスキがあると思われたのでは」
「えええ?」
「それと、いかにも男性を知らないという顔をしているので、だましやすいと思われたか」
なんですと?
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