第6話 お屋敷の中

「そうか。それでどうも家計費が高すぎると思っていたんだ。私では、証拠がつかめなかったけどね」


「旦那様!」


メアリとアンは声をそろえた。



「違います! 私は買い物係じゃありません。何もしていませんわ!」


アンが叫んだ。メアリも訴えた。


「旦那様、奥様は勘違いしてらっしゃいます! ここで働き出して、三年になる私よりも昨日来たばかりの奥様を信じるのですか? 奥様は、どこにどれだけお金がかかるのか、まだご存じないのです。よくわかっていただけましたら、帳簿に間違いやごまかしがないってわかってもらえると思います!」


「じゃあ、まず、奥様の気がすむようにしてもらえばいいじゃないか。それで、うまく行かなかったら、メアリ流に戻してもらえばいい。どこにも問題はないなら、そのうち奥様にもわかってもらえるだろう」



いや、私は大根は数百円(日本語訳)止まりのものしか買わないので、どんなに待ってもらっても、理解しない可能性が高い。


伯爵家のご令嬢だと、メアリもアンも見くびっているのかも知れないが、ただの伯爵家ではない。極貧伯爵家だ。


私は、静かに頭を下げると、頭を下げたまま、ススススーと台所から出た。


そのままススススーと自分の部屋に引っ込んだ。



私の人相がバレたら旦那様は、人違いに気がつく。


メアリの主張を待たずして、即、離婚になる。



うっかりしていた。


大根が数万円しようと、じゃがいも一キロが数十万しようと、ほっときゃよかった。


こんな私と結婚してくださった旦那様に、何かお返しできればと思いはしたものの、人違い婚がバレたら、正直、面倒臭い。それ相応の騒ぎは間違いない。


毎日、家にいて、顔に気がつかないなんてことはあり得ない。どうせいつかはバレるだろうけど、できれば騒ぎは後回しの方がいいなあ。


旦那様との接触はできるだけ避けた方が賢明だろう。そもそも、怖いし。


大根ごときで騒ぎを起こして、わざわざ目につくような真似をするんじゃなかったわ。


それに余計な敵を増やすんじゃなかった。離婚が決まれば、メアリとアンは、大喜びだろう。



「だから、人違い婚なんかしたくないって、言ったのに……」


私は心の中で、姉と母をちょっぴり恨んだ。


まだ、どんな顔の方だか、ご尊顔を拝したことがないので、旦那様の顔は知らないが、妻の味方をしてくれるだなんて、なかなかいい人だ。


余計申し訳ない。


「それを思うと、やっぱり、大根の値段を引き締めるのは、ご恩返しの一環として、仕方ないよね」


他に旦那様のために尽力できることがないんだもの。



旦那様は、また仕事に帰って行ったらしかった。


何しに、あんな中途半端な時間に自宅に帰ってきたのかしら。油断も隙もありゃしない。



私は、旦那様と家の中で鉢合わせしたくないので、自室にこもることにした。


ドアには厳重に鍵をかけ、つっかい棒をした後、少しずつテーブルやいすを運んで行ってバリケードを築いた。


「これで合い鍵があっても、そう簡単には開けられないわよね」


私は額の汗をぬぐった。


どうせ女性のやることなので、本当に重いものは積んでいない。だから一時しのぎに過ぎないが、それでも男性の来ない空間は確保しておきたい。


とは言え、正面きって、旦那様からドアを開けろと言われたら無視しにくい。


「聞こえなければいいのよ。自室にいる格好にしておけばいいんじゃないのかしら? その方が自由よね?」


部屋から出ることにしよう。だが、廊下に出るのは危険だ。脱出風景を誰かに見られたり、旦那様に遭遇するかもしれない。


「そうよ。三階よ。誰も来ないわ」


この家にきた時、メアリが簡単に説明してくれた。


一階に客間や食堂、厨房などがあり、二階には寝室、書斎があるが、三階は空き部屋だと。


窓から出て、雨樋をよじ登って、外窓から屋根裏部屋に移動した。


無事、三階の屋根裏部屋に辿たどり着いたので、丸め込んでいたスカートを元に戻して、実家では絶対してはいけないと言われていたことを始めた。


旦那様の書斎から盗んできた本を周りに並べて読み始めたのである。


だって旦那様は書斎に置いてある本はどれでも読んでいいとおっしゃったのだもの。いい人だわ。


実家では、本を読む暇があったら、社交に出るように言われていた。でも、もう、目的は達成したのだから、読書三昧で苦情を言われることはないだろう。



旦那様が子どもの頃に読んだにちがいない、装丁が緩みかけた冒険物語。


世界地図に旅行記。歴史書と、歴史小説もいっぱいあった。誰か家族に、歴史小説好きがいたのだろう。


鍵のついた箱の中には、エロ本がいっぱい詰まっていたので、こちらも拝借してみた。エロ本というものが世の中にあるとは聞いたことはあるが、皆さん、厳重に秘匿しているらしく、お目にかかったことがない。


冒険物語や旅行記は面白かったけど、男性目線のエロ本はちょっと、やっぱり面白くなかった。


「どうして大勢の女の人に好き好きと言われているのかしら?」


一人に決めないし、あまりその女性たちのことを大事に思っていない様子が不思議で気に入らなかったが、世の中そんなものなのかもしれなかった。


「男性は、こういう風なのが好きなのね」


やっぱり自分には無理だ。



夕食に階下に降りて行くと、メアリとアンが青い顔をしていた。


「今まで、どこにいらっしゃったのです?」


嫌なことを聞くなあ……。


「どこって、自分の部屋よ」


「お返事がありませんので、旦那様が心配してらっしゃいました」


「ああ、そう」


この話題は困るので、生返事をしておいた。


「今晩のメニューは何?」


本を読んでいただけなのに、お腹が減ってきた。


「お部屋におられませんので、お手紙をお渡しし損ねまして」


何やら、私が悪いような顔をしている。


いや、私が悪いんだけど。


だけど、その手紙はどれもキラキラしい紋章付きのものばかりだった。


「お姉さまだわ」


これは某伯爵家の紋章。この姉が大成功して伯爵家嫡子のハートを射止めたばっかりに、続く妹たちは過剰な期待をかけられて苦労したのだ。


「こちらはおばさまね」


男爵家だが、裕福なことで有名な家に嫁いだ。これも成功案件である。


しかし、何よりも!


ギラリンと輝く侯爵家の紋章!


例の女学校の時の、派閥の頭目のご令嬢は、あんなことばっかりやってたくせに、ものの見事に裕福な名門侯爵家の嫡男と結婚を決めたのだ。


さすがは我らが首領、マーガレット様!


我々の誇りである。


侯爵夫人は、卒業後も、ものの数でもない私のことを心配してくれていたのだが、結婚相手として紹介してくれた方、全員が男性だったので、私としては断るほかなかった。男性、怖い。


「早く食事を済ませて、手紙を読みたいわ」


「旦那様をお待ちにならないのですか?」


旦那様、何回自宅と勤務先を行ったり来たりしているのだろう。

確かに騎士団は目と鼻の先だけど。


「今日も遅いのでしょう? 待っていたら深夜になるわ。それじゃあ、メアリのせっかくのご馳走が勿体無いわ」


嘘である。


メアリの料理は確かに美味しかったが、旦那様と一緒にご飯を食べるわけにはいかない。


「それに、侯爵夫人からのお手紙に早く返事をしないと」


私のお友達、いえ、首領(ボス)は侯爵夫人なの。


彼女は社交界でも鳴り響いているらしい。


美貌で優秀で、あたりを払うばかりの威厳に満ち満ちた侯爵夫人!


私がもう少しマシな容貌で、男性に好かれる要素があれば、どこぞの男爵夫人とかにでもなって社交界に出入りして、侯爵夫人を支える存在になれたのに。


本当に申し訳ない。



私は、修道院附属の女学校で、彼女のためにせっせとカンペを作っていた頃を思い出した。


彼女は、ナンバーツー派閥の首領としての威厳を損ねないためにも、成績でも優等を取らなければいけなかったのだが、ペーパーテストが得意でなかった。そこで私がお役に立つことができたのだ。


問題用紙を盗むことはできなかったので、カンペ作成は、結構な時間を要した。先生の授業を注意深く聞き、先生の設問傾向、嗜好を探ることが必要になる。


また、カンペは小さいものが好まれるため、正解率を上げなければならない。そのものズバリを端的に表すことが必要だった。


「あなたのカンペ、バッチリだったわよ」


彼女に微笑んで認めてもらえると、天にも登る心地だった!


二人で、いや全員で笑い合い、全員で優等を勝ち得た時は、全くしてやったりな気分だった。


先生を出し抜いたのだ。



でも、私はなんとなく感じ取っていた。


修道女たちは、多分、どうやら我々のカンペ大作戦をそのまま放置していたらしかった。


どんなにカンペ作成に勤しもうと、結局は勉強だ。


出される問題を予想するためには真剣に授業を聞かなくてはいけない。


カンペだなんだと言っても、きちんと勉強しない限り、カンペに書ける正解にたどり着けない。


カンペ作りに盛り上がり、出題傾向を全員で読み解く作業は、勉強以外の何ものでもないわけだ。そして作り上げたカンペをドキドキしながら、隠し持ってテストに挑む。


宮廷の文官試験なら、当然、失格になるところだったが、そこはほんわかした、勉強とは名ばかりの花嫁学校みたいな修道院附属の女学校だ。


校則そのものは、旧式で頑迷で腹の立つものばかりだったが、運用は穏やかだった。


中には、むかつく修道女もいたけれど、先生を出し抜いたと密かに喜ぶ生徒を、教師の修道女たちは笑って見逃していたように思う。








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