第26話 標本
避暑のつもりで入った博物館の、しんとした気配のなかでとりとめもなく考え事をしていた。
ほとんど入館者がないのだろう、最近、百貨店などの店舗に整備されはじめ、それなりに値が張るにもかかわらず、家庭にも広がりつつある冷房設備が入っていないのはよいとして、扇風機も置かれていない。
ただ、薄暗い館内は、陽射しが届いていないせいか、ずいぶん涼しい。
ちいさな博物館には、郷土の動植物の標本や模型が展示されている。
『海辺のいきものと浜の植物』『田畑のいきものと
『郷土の歴史』
ずいぶん、寂しい展示だった。
近郷の動植物しか展示していないことが問題なのではなく、その展示のそこかしこに不自然な余白があり、そこには決まって、名札だけが置いてあるのだ。
展示室の中央、休憩のために置かれた椅子に、手刷りと思しい図録が置かれてあった。
『この博物館は、郷土の歴史と自然を伝えるために、明治三十二年に開館いたしました。昭和四十四年十二月七日に発生した昭和東南海地震のおり、当館も被災し、ながらく閉館しておりましたが、昭和五十三年、郷里を想うみなさま、篤志家の寄付によってようやく再開することができました。とはいえ、かつての展示品は地震により損壊してしまったものもおおく、記録用マイクロフィルムも被災したため、写真すら展示することが出来ず、おおくの展示が名札のみとなっております。戦後の経済発展によってこの地の環境も様変わりしたこともあり、かつての特色であったいきもののなかには、見かけなくなってしまったものもありますが、郷土の過去を振り返り、現在を留め、そして未来を見通す展示を拡充することを目指す所存です』
姿は留めていなくても、たしかにいた。
私はふと、先日、図書館で読んだ我が君のことを思い出した。
尊き血筋に生まれ、おおきな権力を持ち、そしておそらくは
生真面目で不器用で、我が君を心から慕っていた彼らしくもあって、涙が出そうになった。
私のことはどこにも書いていなかった。
それはそうだろう。
私はなにも成していない。そもそも何かを成したとて、名が残ることは稀なのだ。
後世に名を留めず、見えなくなってしまった者。
――けれども、私はいた。あの時代、あの場所に。
そう、たとえばこの博物館で、余白があるばかりの蜻蛉や蝶、魚、野の草は、いまそこにないだけで、かつていなかったわけではない。
ちいさないきものどころか、被害甚大であった終戦間際の地震……昭和東南海地震のことすら、戦中の情報統制のせいで実際に被害に遭った地域の者以外には知る者すくなく、忘れ去られてゆく事象になりつつある。
名が残らず、姿も見えなければ、やがては忘れ去られてゆく。
ああ、そうか。
それが『不在の者』か。
存在していたにもかかわらず、不在のように見える者。
しかし――
私は、自分で過去を振り返ることができるゆえに、史書のなかにみずからが『不在』になってしまっていることが分かる。
だが『判官殿』が言ったという『不在の者』はそうではあるまい。
ほかの者の目から見て、不在であることが確認できる者――
歴史を紐解けば、なんらかの事情で不在を強いられている者はおおい。
たとえば
あるいは大王に逆らい、戦って地に消えていった
一度は大王に召し上げられたものの醜いがゆえに国に帰され、
違う。
彼らは不在ではない。たしかに存在し、時の趨勢に不在であることを強いられた者たちだ。
こころあたりはひとり。
異国の典籍に名を残しながら、我が国の史書に記された神と人のうち、誰であるかが特定できない者。
鬼道に仕える女王――
――卑弥呼
記憶の中のあの
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