第11話 緑陰

 我が君が、亡くなった。

 私が血を吐いて半年後、冬のさなかのことであった。

 左道をなしたとて謀叛の疑いをかけられ、兵に屋敷を囲まれて、このまま逆賊として辱めを受けるよりは、と首をくくったのだという。

 君のいも……妻女と、その子らもしたがった。

 屋敷に勤めていた者たちは拘禁されているという。

 履柄守くつつかのもり子虫こむしはどうしているだろうか。案じてはみても、私には消息を知る手段がない。

 私はその変事に居合わせなかった。

 変事のずっとまえに吉野の小邸へ遣られていたのだ。

 そして、いまもそこにいる。

 拘束はされていないが、我が君の屋敷へ戻ろうとすれば止められるだろう。

 ここに来た名目は私の療養だった。

 が、実際は我が君にえやみくのをはばかってのことだ。

 屋敷を離れるとき、胸を患った私はこのまま命を終えるしかなく、これでもう、我が君のお役に立てることはなくなったのだな、それだけが寂しかった。

 しかし、じつのところ身体はずいぶん良いのだ。

 血を吐いたあの日、かの女を抱いたあの夜を境に、病みがちな私の身体はやまいを手放したように軽くなった。

 吉野の山を歩き、清涼な大気、緑萌ゆる大地、甘露の如き水、湧きいずる湯で身体を癒やす。それが良かったのかとも思ったが、なにかが違うようにも感じる。

 ――うまれなおすか、と、かの女に問われたのだったな。

 あの言葉のとおりに、生まれなおしたというなら、私はなにものになったのだろうな。

 秋から冬にかけても病みつくことなく、胸も重くはなく、もちろんあれから一度も血を吐いてはいない。

 これならばほどなく屋敷にも戻れよう、そう思っていた矢先の……変事だった。

 私にはなんの疑いもかかっていないという。だから私はこの仮宿で、皇族のはしくれとして、なに不自由のない療養を続けられている。

 我が君に掛けられた嫌疑は、おそらくは虚偽だろう。我が君は大王おおきみととても近いお血筋で、大王よりもお歳上、大王と日嗣皇子ひつぎのみこに続く尊貴な御方だった。生まれたばかりの皇子を亡くされた大王にとってみれば、みずからも親王を名乗る資格を持ち、ご健勝なお子が幾人もいらっしゃった我が君は、気に触られるお方だったのではないか……と、いまなら分かる。

 もしくは、大王に近しい臣の謀略か。

 我が君は、間違っていると思われることは率直に発言される方であった。

 そのせいで君の存在を疎ましく思っていた臣は多かったろう。

 ともかく、大王の血筋とは言え、あまりに遠くてどこをどう間違ったところで日嗣皇子になどなれるはずもなく、宮廷に地位のない私には、嫌疑を掛ける必要もない、というわけだ。

 療養のために滞在しているこの屋敷の庭に立ち、葉の落ちる木々ばかりでは、病人の私にはあまりに寂しかろう、と植えられた常若とこわかの白樫の木の下で、おのれの明日を思う。

 冬のさなかではあったが真昼の陽射しにはぬくみがあった。

 いくら追い出される気配はないとはいえ、ずっとここにいるわけにもゆくまい。

 とはいえ、帰るべき処はどこにもない。


 ふと、胸のあたりが熱くなった。

 懐に収めているものを取り出して、不思議に思う。

「あの女にもらった勾玉が、卵のかたちに変じている」


われなれたまなき。たまなきままにさまようわれらのあいだのいしにしてみずのこ。なれとかかわるもののたまよ魂寄らば、うまれる」


 たしか、女はそう言った。

 ――生まれるのか? 魂寄ったとすれば、それは……だれの?

 我が君か、と思えど、我が君と私のかかわりなど薄いものだ。私は君におおきな恩を被っていたが、君にとって私はなにかの行きがかりで扶養していた者に過ぎない。

 さわさわと風が鳴る。

 足元で緑陰がざわめいていた。


 そんなおりだ。履柄守がこの吉野を訪れたのは。

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