閑話 少女アリのお話 ③

 孤児院に入れられて一ヶ月後、アリにペンダントが戻ってきた。神父はアリに言った。


「お前の親父が見つかったよ。残念だが迎えに来ることは出来ないらしい」


 嘲笑あざわらいながら告げた神父はアリを見下すと、さらに続けた。


「だがな、毎月寄付をしてくれるそうだ。よかったな、お前はまだましな扱いのままだ。親に感謝するんだな。ほら、こいつがお前とお前の親父を繋ぐただ一つの証拠だ。持ってろ」


 そう言うとアリにペンダントを放った。

 アリは、飛びつくようにペンダントを拾い上げ、服の裾で拭くと傷が無いか調べ首にかけては服の下に隠した。


「忌々しい。生意気なアリ。早くおとしめてやりたいのに」


 アリに聞こえるように言い捨て、神父はアリを部屋から出した。



 その夜から、食事が少しだけ改善された。寄付の一部は孤児のために使わないといけないから。ほとんどは神父たちの懐に入っていったのだが。


 夜になると、何人かの女の子が神父に呼ばれる。服を脱がされたり触られたりしているらしい。聖職者は清らかでなければいけないが、孤児は人扱いではないそうだ。「アリは貴族の子供扱いだから呼ばれないって言っていたわ」と帰って来た少女が言った。「寄付がなくなったら分からないけどね」とも言っていたそうだ。


 アリは気持ちの悪さが胸の中一杯に広がるのを感じた。


 ロクな飯も与えられず、こき使われ、罵声を浴びせられ、暴力を振るわれ、慰み者にされる。それが孤児の日常。まだましな扱いを受けているアリは、神父たちの食べ残した残飯をこっそり取って来ては分け合って食べたりした。なんとか孤児のみんなと生きのびるために頑張った。



 1年ほど孤児として過ごすと、もはや気持ちも表情もなくなったかのようにすさんでいった。


 前のリーダーは、奴隷として石切り場に売られ、女の子の何人かは花街に売られた。小さな子供は、何人も亡くなった。孤児に葬儀は必要ない。神父は孤児に穴を掘らせ埋めさせた。みんなは土をかけながら、「地獄から離れられてよかったね」と泣きながら言った。


 生きているのが幸せなのか。死んだ方が幸せなのか。孤児たちは答えが分からないまま日々生きていた。


 ある日、機嫌の悪い神父に暴行を受け、それが元で高熱を出した男の子がうめいていた。アリはいつものように看病をしながら母にして貰ったように「痛いの飛んでけ。熱よ飛んでけ」と男の子の傷を触れるか触れないかの間隔で撫でる振りをした。いつものおまじない。気がまぎれるだけでも儲けもの。そう思っていた。


 ほのかにアリの手が光った。暗い孤児院の中では、それは奇跡の光景。かざした手の下の傷が少しだけ小さくなった気がした。


「痛いの飛んでけ」「痛いの飛んでけ」


 何度も何度も手をかざし、おまじないをかけると、傷が少しづつ薄くなった。ほんのりとした赤い線に変わった頃、アリは倒れるように眠った。


 アリは、光魔法を取得した。

 母さんが死んだ夢を見るたび、思い出すたび、直せる力があったらと祈り続けた結果だった。心のそこからの叫びが、神に通じたのだった。



 神父はあせった。光魔法が顕現けんげんした少女は学園に入れなければならない決まりだ。父親の所在も分かっている。なにより、教会本部と領主と国に報告しなければならない。


 今のままのアリを、貴族の父親が見たらどうなる? 国の役人が見たら。教会の人間なら事情は汲んでくれるだろう。しかし他は……。


 神父はアリを呼び出した。


「アリ。お前は光魔法を授かった。神に祝福された者になった。敬虔なる神の使徒になるように」


「けっ! 今まで人扱いしなかったのに何言ってやがる」


 アリは知っていた。光魔法が使える者に酷いことが出来ないことを。


「そんで、あたしにどうしろって言うんだぃ」


 アリはわざとならず者の言葉で答えていた。交渉する時は強気に出ろ、という組長の教えだ。


「アリ、お前には半年でレディとしてのマナーを覚えてもらう」

「なんでさ」


「お前は貴族の通う学園に入らなければならない。これは決定事項だ。国から正式に勅命が来る。光魔法を使える者の使命だ。だが、そんな言葉遣いや態度では、儂の沽券にかかわる。半年後、お前の力を各所に報告する。それまで礼儀を覚えるように」


 神父は決定事項だと言うようにアリに命じた。


「なんであたしが従わないといけないのさ。孤児院での出来事、洗いざらい言ってやればいいんだろう。その各所とやらにさ」


 神父は苦々しく言った。


「ちっ、頭のいいガキはこれだから……。いいか、死んだことにして孤児と同じ扱いにしてもいいんだぞ」


「できるのかい。神罰が下るぞ」


 魔法は神の与えた力。それをないがしろにするのは神への裏切り。神罰が下った例はいくつも記録されている。


「何を要求したいんだ?」


 かかった、とアリは思った。


「孤児院の食事の改善。どうせお父様とやらからたんまり貰ってんだろ。それから孤児に暴力を振るうな。夜に女の子を連れ去るな。後は新品の毛布を人数分寄越せ」


 少し間が空き、神父は嫌そうな声を吐いた


「クソッ! 分かった。その代わり孤児院のことは誰にも言うな」

「ああ。あいつらが無事ならそれでいいよ」


 これ以上は無理なことはアリにも分かっていた。毛布までは無理かと思っていたのだが、それも聞いてもらえた。よほど貰っているんだな、と思ったのだが、口には出さずにいた。


 それからアリは、孤児院から放され神父の宿舎で暮らした。日々言葉遣いやマナーを仕込まれるために。


 元々、母さんからいろいろ教えられて素養はあったアリ。猫のかぶり方はマスター出来た。



 半年後、孤児院から光魔法を使う子供が発見されたと領主に報告が上がった。同時にアリの父親にも連絡をした。


 アリの父親はグレイ男爵。若い頃学園で好きになった法衣貴族の娘サリアと結ばれようとしたが、家の都合で子爵家の娘と結婚する事になった。泣く泣く別れた2人だが、後にサリアが妊娠していることが判明した。家族とこじれ家を逃げ出したサリアは、リアと名を変え下町で暮らした。


 男爵は、アリの事を聞かされた時、引き取ろうと思った。だが奥様に反対された。奥様との子供も娘が1人。同い年の子供だった。


 男爵は、とにかくアリを孤児扱いさせないために、毎月寄付をすることにした。


 しかし、今回光魔法を使えることが発覚した。教会に登録した瞬間から聖女として扱われる。国の保護も入る。引き取らないわけには行かなかった。 


 男爵は喜んだが、奥様は複雑。奥様にすれば浮気相手の娘。しかも生まれた月は向こうが早い。けれど引き取らないわけには行かない。露骨ないじめもしてはいけない。

 奥様は顔を合わせないようにしようと決めた。



 領主と父親に会うため、美しいドレスを着せられたアリ。神殿で神父と二人きり最後の打ち合わせをした。


「じゃあな、クソ神父。お父様とかやらからはこっちへ寄付を続けるように言っとくよ。あたしがいなくなっても孤児たちの扱い変えるんじゃねーぞ」


「全く口の悪いガキめ。とっとと猫をかぶれ。お前が金を送っている間はそうしてやる。神に誓うさ。だからさっさと猫をかぶれ」


 アリは背筋を伸ばし、にっこり笑った。


「これでよろしいかしら? 神父様」


「ああ。背中の猫を大切にな」


「神父様も、孤児にやさしくあたって下さいよ。私はいつでも追放されて下町に戻ってもよいのですが、神父様は追放なんてお嫌ですよね」


「くっ! 約束は守ろう。お互いにな」


 神の前で正式な契約を交わした。誓約書がまぶしく光って契約は完了。アリは教会を出ていった。


「二度と来るか。バーカ」


 優雅に馬車に向かってあるき始めたアリ。


 アリは、グレイ男爵に引き取られる時、貴族として名を3文字に変えるように言われた。


 アリは、母さんのリアを名前に混ぜアリアと名乗ることにした。


(聖女、アリア・グレイ男爵令嬢として私は生きる。

 大丈夫、あたしは、どこでだって生きていける。母さんが生きる術を仕込んでくれた。

 大丈夫だよね母さん。あたしはどこでだって生きていくよ)


 父親以外は、全てがアリアを受け入れられない男爵家。それでもアリアは孤児院よりましな生活だと思っていた。


(学園に入ればこの家も出られる。後は一人で生きる道を見つけるだけだ。そう思えば嫌われていてもなんてことない。母さんを嫌な目で見ていた下町のヤツらよりぬるい。孤児院のクソみたいな生活に比べたら天国にいるよりも幸せだ。大丈夫。私は一人で行けぬいてやる)


 そう決めたアリアは、書斎を使う許可を貰うと、毎日一人で勉強を始めた。




 それが、少女アリのお話。

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