ビジネス作法 後期 ②

 教室は静寂に包まれた。生徒たちは教師とレイシア、いや教師の手元、口元を凝視していく。


 聞いたことがない「サクランボのジャム」そもそもサクランボを知らない。未知の食材は好奇心を掻き立てる。ジャムを食べる教師。その顔が、見たこともない表情で緩んでいく。恍惚の笑みがもれる。


 (あの気難しい先生があんな顔を!)


あちらこちらから、ゴクリ、と喉がなる音がしだす。どんな甘味なのだろう。教室中が興味津々。


 その静寂を破って、教師が言った。


「レイシア、いくらだ! 売ってくれ」


「そうですね。あいにくお売りできるのが2瓶しかありませんが……。先生ならいくらでお買いになるでしょうか。それと、これは授業の中のテストの一環なのでしょうか?」


 レイシアがとぼける。交渉は焦ってはいけない。『売り買いは相手をよく見て、タイミングを間違えるんじゃないよ』と、師匠カンナは言っていた。下町の知恵を貴族の取引でも活かすのよ! とレイシアは教師を見つめた。


「小銀貨4枚。一瓶4000リーフでどうだ! もちろん全部買おう」


 教師が言うと、レイシアは鼻でわらった。


「ふふふ、話になりませんね」


 そうして、ゆっくりと辺りの生徒たちを見渡した。

 目があった女生徒が、おずおずと手を上げて言った。


「あの、一瓶だけなら小銀貨5枚で買います。私にも買う権利があるのでしょうか?」

「もちろんです。商人は高い値を付けてくれた方に販売するのが基本ですからね」


 レイシアは、見まわすことで生徒たちを巻き込んだのだった。

 そこからは、もはやオークション状態に。生徒たちは、いや、先生も巻き込んだ競り合いは小銀貨から銀貨へルートが移った。


 銀貨3枚、3万リーフで声が止まった。


「これ以上ないな。だったら俺だ。一瓶は俺が貰う」


 生徒はレイシアの前に立ち、銀貨を差し出した。


 レイシアは、微笑んだ。そして……


「ダメです。売れないですね」


「「「なんで〜」」」


 全員の叫びが響く。ジャム! ジャムだよ!


「なぜ売れないのです、レイシア」


 レイシアは、先生に向かい言い張った。


「今はビジネスの授業中ですよね。そうでしたら、私とは他に販売するための取引として対応すべきです。ところが皆さんは自分が欲しいだけで動いていました。それはビジネスとしては成り立たない行動なのではないでしょうか」


 前期、あれだけひどかったレイシアに指摘された! しかも真っ当な指摘だ。

 教師含め、教室全体が我に返った。


「今回、このサクランボのジャムは銀貨3枚、3万リーフの末端価格が付きました。それほどの商品です。先生が、商会の責任者として考えた時、誰にどの値段で販売するのでしょうか」


「……」


 教師含め全員が考え込んだ。


「私なら、こう考えますわ。1つは販売しない」


「どういうことだ!」


 教師は叫んだ。

「自分の物にしようということか?」


「いいえ、それは三下のすること。私ならこのジャム、王族に献上致しますわ。商会と言う権力と信用があれば」


 黙り込む教師に追い打ちをかけるようにレイシアは続けた。


「あるいは、献上できる貴族に売りますわ。金貨一枚で」

「金貨! 10万リーフだぞ!」


「たった10万リーフですわ。この王都に2つしか存在しないのですから。先生は先ほど試食をなされました。いかがでしたか?」


「初めての体験だった。素晴らしかったよ」

「そうですよね。私には慣れた味ですけど」


「そうだ。君の領ではありふれたものなのだろう?」


「確かにありふれていますわ。ですが、単なる13歳の学生が銀貨3枚も出すのですよ。3万リーフという金額を。先生ならこの意味が分かりますよね。私の領でも在庫がないんですよ。王都で来年まで流通しない2瓶しかない新しい商品。しかも絶品の味は先生が保証して下さる。これを口にする権利に値段をつけるのです。10万リーフなど、ありふれた貴族の鞄ほどの価値しかありませんよね。安いものです。交渉しだいでは50万リーフくらい簡単に引き出せると思いませんか、先生。王族への献上品としての価値は、銀貨3枚程度のものでよろしいのでしょうか?」


 理路整然としているような、していないようなレイシアの言葉に、生徒たちは混乱していた。教師も、自分が教師としてなのか、商会の一員としてなのか、一消費者としてなのか、どの立場で話を進めればいいのか分からなくなっていた。


 全てがレイシアのペースで進んでいた。


「これは授業ですよね、先生」

「あ、ああ」


「でしたら、今金銭のやり取りや販売はできませんよね」

「ああ。あくまで模擬としてのやりとりだ」


「では、そんなに悩まなくともよろしいのでは? 私が合格か不合格か。それだけですよね」

「あ、ああ。合格だ。後期も受けるように」


 それだけ聞いて、レイシアはジャムをカバンにしまうと席に戻った。


「みんな、疲れただろう。今日の授業はここまでとしよう。いいな」


 生徒たちは全員了承し、授業は半分以上残して終了となった。

 教師はレイシアを引き留め、「これからジャムの取引をしたいのだがよいかな」と商売として話してきた。


 最終的には、ジャム2瓶と試食用の半端なジャムを付けて、金貨3枚での取引が成立したのだった。





(1リーフ≓1円 生産能力や土地により商品価値は違う。同じ野菜でも生産地は安いし、王都は高いなど。なお、販売時貨幣で言うのは、計算ができないのが常識の世界では、貨幣でやり取りするのが間違いが少ないため。リーフという単位は、記録するために便利であるため、商人同士のやりとりが楽になるため使われている。)


追記

単位

1円≓1リーフ

小銅貨 十リーフ

銅貨  百リーフ

小銀貨 千リーフ

銀貨  一万リーフ

金貨  十万リーフ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る