ディナー
長旅、久しぶりの温泉、サプライズな歓迎、アリシアは疲れが出たのかウトウトとしていた。
ティーセットはいつの間にか下げられていた。ふと目覚めたアリシアは
(あれは、夢だったのだろうか。そう夢だわ、きっと)
そう思う事にした。
ノックが鳴りメイドが来て「旦那様がディナーのお誘いをしに、30分後にお見えになります」とアリシアに伝えた。
アリシアはドレスコードを確認し、急いで着替えさせるようメイド達に指示を出した。
◇
「レイシアから、こんなの渡されてね」
苦笑いしながら、クリフトはアリシアに手紙を見せた。
『お父様へ。
今日はお母様をお父様に預けます。
ディナーに誘って、二人で大人の時間を送って下さい。
明日は私がお母様を独占しますので、今日は存分にお楽しみ下さい。
レイシア』
「今日は二人で楽しめ、だってさ。まあ、せっかくの娘の気遣い、無駄にしては駄目だろう」
そう言うと、かしこまって言った。
「デートのお誘いをしてもいいかい、アリシア」
アリシアは、久しぶりの夫からのデートの誘いに若い頃を思い出して、頬を染めながら「はい」と頷き手を取った。
社交ホールでは、楽団が
残りの楽団員は、男女ペアで通路を作るように整列し、クリフトとアリシア、二人の登場を拍手で迎えた。
二人をホール中央に誘導すると、曲がワルツに変わった。並んでいた楽団員達は、音楽に合わせワルツを踊り始める。
「アリシア、私と踊っていただけませんか」
いたづらっぽい笑顔で、クリフトが誘う。
アリシアは、学園で最初にダンスを誘われた時の事を思い出しながら、「喜んで」と手を差し出す。
キラキラと瞬くシャンデリアの下で、何組ものペアがダンスを踊る。
夫はそこら
久しぶりの、煌めく世界と夫とのダンス。思いもよらぬ歓迎に、アリシアの感動は振り切りっぱなし。
曲がワルツからタンゴに変わる。アリシアはもう、何も考えることは出来ない。
そう、それはアリシアがなくしていた感情。夫への減っていった愛情。アリシアがいつしか冷ましていった熱情。真っ直ぐ帰らず温泉に寄っていたのが何よりの証拠。
情熱を、愛を取り戻せ!
アリシアの足さばきは、そんな
情熱のタンゴが終わると、もう一度ワルツが流れた。
まわりで踊っていた楽団員は、静かにフェードアウトし、ホールの中心でクリフトとアリシアは二人きりで踊る。
クリフトにリードされ、クルクル回るアリシア。見つめ合い抱きしめ合う。甘い、あまぁいひととき。
「素敵だったわ。ありがとうあなた」
「俺もだ、アリシア」
呼称が『俺』になるほど気分が若返るクリフトと、想像を
見つめ合う二人は微動だにしない。取り合ったままの手は、離されることはなかった。
やがて執事に案内され、ディナーが始まる。
ムーディな弦楽五重奏の中、グラスにワインが注がれる。
テーブルの上のローソクが、ワインの真紅とアリシアの頬を揺らめかす。
「お帰りアリシア。久しぶりに見る君は、本当に美しい。まるで出会った頃の様に……君がいない間、ずっと君の事を思っていたよ」
「私も、いつでもあなたの事を思っていました。一刻も早くあなたの元へ帰りたかった」
雰囲気に酔ったのか、甘い言葉を言い合う二人。
クリフトが、出会った頃の様に美しいアリシアを思い出したのは、普段気を使うことなく、デートやらダンスやら誘いもしないから。アリシアは何年も、本気モードのお洒落やトキメキを、クリフトに見せる機会がなかった。
結局の所、クリフトは久しぶりの妻の本気モードにドキドキしただけだし、アリシアは一刻も早く帰るより温泉に入っていたのだが、そんなチャチャは入れてはいけない。そう、書くこともおぞましい、甘いあま〜い言葉の応酬の後、二人は乾杯した。
◇
メイドにより料理が運ばれる。
アリシアは、
(もしやレイシアが混ざってないわよね)
と、現実に引き戻されそうになったが、レイシアの背丈のメイドがいないのを確認出来たので、すぐに夫との世界に戻る事ができた。
前菜、スープ、ポワソン。パンだけは手の入れようがないのか、いつもの固いものだったが、それ以外はアリシアの好きなメニューが並び、夫との甘く楽しい会話も相まって、素敵な時間を過ごした。
料理長がテーブルまで出向き、アリシアに料理の説明を始めた。
「メイン料理はスープハンバーグだ。です。まずはお召し上がり下さい」
メイン料理としては些か不釣り合いな料理。料理長は、説明など慣れてないのでカミカミだ。
不自然に思いながらも、まずは食べて見ると、ハンバーグもスープも香辛料は少なく薄味。
しかし手間を掛けて作られた透き通ったコンソメは、それだけで完成された逸品。
甘みを完璧に引き出した付け合せのにんじんは、舌で潰れるほど柔らかい。
そしてメインのハンバーグ。野菜を練り込んだパテは、中にトロッとしたチーズが隠され、さらにコンソメスープと肉汁が一体となり、ジューシーかつマイルドな仕上がりとなっていた。
そもそも、ハンバーグとスープを合わせる料理など、アリシアは食した事がなかった。
全くの未知の味覚に、取り憑かれたかのように、スープハンバーグを食べ終えた。
「これは、東方の国に伝わる『スープハンバーグ』。坊っちゃんの幼児食になるように、栄養バランスを考え、八種類の野菜を入れ込んでおいた。塩分や香辛料を抑えて子供用にしやし……しておきました。子供でも食べやすく喉に詰まりにくく、薄味で飽きのこない様に工夫しておいた。奥様、どうだ、いや、どうでしょう。坊っちゃんの幼児食として、このスープハンバーグ、合格ですか?」
料理長、慣れないせいで言葉遣いが滅茶苦茶だった。しかし、そんな事など気にしないほどの感動を受けたアリシアは言った。
「最高です。幾重にも考え抜かれた素晴らしい料理ですわ。あなた、料理長に何か褒美を差し上げて」
「ありがとうございます。ですが、この料理の担当、企画開発チーフはあっし、いや私でなくうちの若い者でさぁ。このスープハンバーグもその者が作りました。そちらを褒めてやって下さいませんかね」
「まあ、若い方が。さぞ優秀なのですね。では呼んでちょうだい」
料理長が手で合図を出すと、配膳の間から、一人の若い調理人が現れた。
「あっしが担当いたしやした、レイシアでさぁ」
アリシアは固まった。
「いやー、弟のためにいろいろ頑張りましたぜ。でも出来上がったのは師匠のおかげでさぁ。あっし一人ではとてもとても。師匠、ありあとやんした!」
料理長は苦笑いをするしかなかった。
「おかーさまにも認めてもらえたし、これで弟がいつ来ても大丈夫ですねぇ。ガッハッハ……では片付けがあるんであっしはこれで」
言いたいことだけ言い放ち、嵐の様に去っていったレイシア。料理長もメイドも去り、二人残されたクリフトとアリシア。
さっきまでの甘い世界は一瞬で崩壊した。
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