ディナー

 長旅、久しぶりの温泉、サプライズな歓迎、アリシアは疲れが出たのかウトウトとしていた。

 ティーセットはいつの間にか下げられていた。ふと目覚めたアリシアは


(あれは、夢だったのだろうか。そう夢だわ、きっと)


 そう思う事にした。


 ノックが鳴りメイドが来て「旦那様がディナーのお誘いをしに、30分後にお見えになります」とアリシアに伝えた。

 アリシアはドレスコードを確認し、急いで着替えさせるようメイド達に指示を出した。



「レイシアから、こんなの渡されてね」


 苦笑いしながら、クリフトはアリシアに手紙を見せた。


『お父様へ。

 今日はお母様をお父様に預けます。

 ディナーに誘って、二人で大人の時間を送って下さい。

 明日は私がお母様を独占しますので、今日は存分にお楽しみ下さい。

            レイシア』


「今日は二人で楽しめ、だってさ。まあ、せっかくの娘の気遣い、無駄にしては駄目だろう」


 そう言うと、かしこまって言った。


「デートのお誘いをしてもいいかい、アリシア」


 アリシアは、久しぶりの夫からのデートの誘いに若い頃を思い出して、頬を染めながら「はい」と頷き手を取った。


 社交ホールでは、楽団が弦楽五重奏クインテットに編成され、静かにBGMを奏でている。

 残りの楽団員は、男女ペアで通路を作るように整列し、クリフトとアリシア、二人の登場を拍手で迎えた。


 二人をホール中央に誘導すると、曲がワルツに変わった。並んでいた楽団員達は、音楽に合わせワルツを踊り始める。


「アリシア、私と踊っていただけませんか」


 いたづらっぽい笑顔で、クリフトが誘う。

 アリシアは、学園で最初にダンスを誘われた時の事を思い出しながら、「喜んで」と手を差し出す。


 キラキラと瞬くシャンデリアの下で、何組ものペアがダンスを踊る。ターナー領辺境の地へ嫁いでからは、社交界から遠ざかりっぱなし。

 夫はそこらあたりの気遣いは、まるで出来ない男。


 久しぶりの、煌めく世界と夫とのダンス。思いもよらぬ歓迎に、アリシアの感動は振り切りっぱなし。


 曲がワルツからタンゴに変わる。アリシアはもう、何も考えることは出来ない。


  情熱パッション


そう、それはアリシアがなくしていた感情。夫への減っていった愛情。アリシアがいつしか冷ましていった熱情。真っ直ぐ帰らず温泉に寄っていたのが何よりの証拠。


  情熱を、愛を取り戻せ! 


 アリシアの足さばきは、そんな情熱パッションあふれた踊りだった。


 情熱のタンゴが終わると、もう一度ワルツが流れた。


 まわりで踊っていた楽団員は、静かにフェードアウトし、ホールの中心でクリフトとアリシアは二人きりで踊る。


 クリフトにリードされ、クルクル回るアリシア。見つめ合い抱きしめ合う。甘い、あまぁいひととき。


「素敵だったわ。ありがとうあなた」


「俺もだ、アリシア」


 呼称が『俺』になるほど気分が若返るクリフトと、想像をはるかに超えたもてなしに、感極まったアリシア。

 見つめ合う二人は微動だにしない。取り合ったままの手は、離されることはなかった。


 やがて執事に案内され、ディナーが始まる。


 ムーディな弦楽五重奏の中、グラスにワインが注がれる。

 テーブルの上のローソクが、ワインの真紅とアリシアの頬を揺らめかす。


「お帰りアリシア。久しぶりに見る君は、本当に美しい。まるで出会った頃の様に……君がいない間、ずっと君の事を思っていたよ」


「私も、いつでもあなたの事を思っていました。一刻も早くあなたの元へ帰りたかった」


 雰囲気に酔ったのか、甘い言葉を言い合う二人。

 

 クリフトが、出会った頃の様に美しいアリシアを思い出したのは、普段気を使うことなく、デートやらダンスやら誘いもしないから。アリシアは何年も、本気モードのお洒落やトキメキを、クリフトに見せる機会がなかった。


 結局の所、クリフトは久しぶりの妻の本気モードにドキドキしただけだし、アリシアは一刻も早く帰るより温泉に入っていたのだが、そんなチャチャは入れてはいけない。そう、書くこともおぞましい、甘いあま〜い言葉の応酬の後、二人は乾杯した。



 メイドにより料理が運ばれる。

 アリシアは、


 (もしやレイシアが混ざってないわよね)


 と、現実に引き戻されそうになったが、レイシアの背丈のメイドがいないのを確認出来たので、すぐに夫との世界に戻る事ができた。


 前菜、スープ、ポワソン。パンだけは手の入れようがないのか、いつもの固いものだったが、それ以外はアリシアの好きなメニューが並び、夫との甘く楽しい会話も相まって、素敵な時間を過ごした。


 料理長がテーブルまで出向き、アリシアに料理の説明を始めた。


「メイン料理はスープハンバーグだ。です。まずはお召し上がり下さい」


 メイン料理としては些か不釣り合いな料理。料理長は、説明など慣れてないのでカミカミだ。


 不自然に思いながらも、まずは食べて見ると、ハンバーグもスープも香辛料は少なく薄味。

 しかし手間を掛けて作られた透き通ったコンソメは、それだけで完成された逸品。

 甘みを完璧に引き出した付け合せのにんじんは、舌で潰れるほど柔らかい。


 そしてメインのハンバーグ。野菜を練り込んだパテは、中にトロッとしたチーズが隠され、さらにコンソメスープと肉汁が一体となり、ジューシーかつマイルドな仕上がりとなっていた。


 そもそも、ハンバーグとスープを合わせる料理など、アリシアは食した事がなかった。

 全くの未知の味覚に、取り憑かれたかのように、スープハンバーグを食べ終えた。


「これは、東方の国に伝わる『スープハンバーグ』。坊っちゃんの幼児食になるように、栄養バランスを考え、八種類の野菜を入れ込んでおいた。塩分や香辛料を抑えて子供用にしやし……しておきました。子供でも食べやすく喉に詰まりにくく、薄味で飽きのこない様に工夫しておいた。奥様、どうだ、いや、どうでしょう。坊っちゃんの幼児食として、このスープハンバーグ、合格ですか?」


 料理長、慣れないせいで言葉遣いが滅茶苦茶だった。しかし、そんな事など気にしないほどの感動を受けたアリシアは言った。


「最高です。幾重にも考え抜かれた素晴らしい料理ですわ。あなた、料理長に何か褒美を差し上げて」


「ありがとうございます。ですが、この料理の担当、企画開発チーフはあっし、いや私でなくうちの若い者でさぁ。このスープハンバーグもその者が作りました。そちらを褒めてやって下さいませんかね」


「まあ、若い方が。さぞ優秀なのですね。では呼んでちょうだい」


 料理長が手で合図を出すと、配膳の間から、一人の若い調理人が現れた。


「あっしが担当いたしやした、レイシアでさぁ」


 アリシアは固まった。


「いやー、弟のためにいろいろ頑張りましたぜ。でも出来上がったのは師匠のおかげでさぁ。あっし一人ではとてもとても。師匠、ありあとやんした!」


 料理長は苦笑いをするしかなかった。


「おかーさまにも認めてもらえたし、これで弟がいつ来ても大丈夫ですねぇ。ガッハッハ……では片付けがあるんであっしはこれで」


 言いたいことだけ言い放ち、嵐の様に去っていったレイシア。料理長もメイドも去り、二人残されたクリフトとアリシア。


 さっきまでの甘い世界は一瞬で崩壊した。

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