素顔のままで恋をして

相内充希

1.初恋に気づいた瞬間失恋した

 夏休みの校舎は、いつもと違う顔をしている。

 そんなことを考えながら、三原和花のどかはノロノロと階段をのぼって部室に向かった。


 桜が丘高校はまだ新しく、一年生の和花でまだ五期生。

 校舎はピカピカで、創立五十周年を超えていた小中学校とは雰囲気さえ別物だ。

 校舎のデザインがモダンだということもあるけれど、活気が違うのだ。

 たとえば桜が丘の部活は一、二期生の有志で作ったもので、生徒が自由に作ったためかちょっと変わった部もある。歴史がない分スポーツや吹奏楽などは苦労していると聞いているけれど、そういう割には、みんな目が生き生きしてる。

 すべてが「若いんだなぁ」とは、現国の林先生の口癖だ。


 林先生は和花が所属する日本の城研究部、通称城研の顧問。

 あまり顔を出さないけど、お姉さんというか若いお母さんぽい雰囲気の先生だ。



 二階まであがった和花は部室のある方をちらっと見て、反対方向の渡り廊下に入る。窓の下を見ると和太鼓部がこれから練習を始めるのか、大きな太鼓を運んでいるのが見えた。


(ここまで来て帰るのも変だよね)


 今日の部活は文化祭の準備だ。この前の研修旅行をまとめるために、パソコンで色々まとめたものはメモリに入れて持ってきている。

 あとはこれを部室のパソコンで調整していくわけなんだけど……


(気が重い)


 気が重いのは、部室に好きな人がいるからだ。

 好きな人……そう考えただけで、胸がギュッと痛くなる。彼の顔を思い浮かべるだけで涙が浮かぶ。


 和花は先週、初恋に気づいた瞬間失恋した。

 こんなことなら気づきたくなかったと思うけど、相手は何も悪くない。勝手に和花が避けるのもおかしな話だ。


(でも和馬君が美空みく先輩と一緒にいるところを見るのは、まだちょっと辛いな)


 じわっと涙が浮かんだ和花は、渡り廊下にあるトイレに飛び込んで顔を洗った。


 白鷺しらさぎ美空は城研の部長で、和花より二つ上の三年生だ。

 きれいで優しい美空のことは大好きだ。

 中学時代は引きこもってたせいで人と接することが怖かった和花を、温かく迎えてくれた先輩の一人。快活で、一緒にいると楽しい。好きにならないはずがない。


 ハンカチで顔を拭いて、ふと思いつきで買った色付きのリップを塗ってみる。美空が愛用しているものと同じものだ。

「だめだ、ケバい」

 ほんのり唇が色づいただけで派手な印象が強くなり、ティッシュでごしごしと乱暴に拭った。



 和花は素顔でいても化粧をしているとよく勘違いされる。

 母に言わせると、体質なのかニキビができたことがない肌はきめ細やかで、父に似てまつげが長いうえに濃く、唇は何もしていなくてもくっきりと赤い。


 この顔のせいで、和花は女子との折り合いが悪くなることが多かったのだが、決定打になったのは中学生の時だった。

 クラスメイトだけではなく、担任にまで化粧をしてると決めつけられた。

 どんなに洗ったって落ちるはずがないのに、何度も何度も石鹼で顔を洗わされ、あげく整形しているだの、年をごまかして大人の男と遊んでるだの、とても口にできないような下品な噂を立てられた。

 当然親は学校に抗議したけれど、冗談だったとか、本気にするなんて事実だからだろうとか、話にならなかったという。


 一年の時は体を引きずるように行ってた保健室も、やがて逃げ場とは言えなくなり、二年から学校に通うことができなくなった。父の勤務先が隣の市に移動になり転校できたものの、学校がどうしても怖くて足がすくんだ。新しい担任の先生は根気よく話を聞いてくれたし、とてもいい先生だったけれど、結局一日も登校せずに転校先の中学は卒業した。

 かわりに家庭教師をつけてもらい、勉強だけはがんばって桜が丘に合格したのだ。


 桜が丘を選んだのは、新しい学校だったから。

 ふと思い立って、中三の夏休みに母とオープンスクールに参加した。

 新興住宅にあわせて作られたようなこの町なら大丈夫じゃないか。そんな根拠のない、でも妙に確信に近い予感を、和花も、和花の母ももった。


「私、桜が丘に行きたい」

 はじめてはっきり希望を口にした和花に、父も賛成してくれた。

 ちょうどいい物件があったから家も買ってしまおう。ダメなら売ればいい。

 そんな冗談のようなことを言っていた父が、本当に家を買ってしまった時には驚いたけど、新しい町、新しい家、新しい学校。そして町自体が新しいから人も新しいこの町で、和花は久々に楽に呼吸ができた気がした。


 それでも入学式で教師に呼び止められた時は、体が凍り付いたように動けなくなった。

「化粧は落としておけよ~」

 そう言って差し出されたメイク落としのシートに、苦しい過去がよみがえる。


 あとから思い返せば、教師の言い方も和花を咎めるものではなかったし、他に同じことを言われた先輩など、「はーい」と軽く返事をしてシートを受け取りながら、軽く手を拭いて捨ててしまうなど、全然深刻なものではなかったのだ。


 でもあの日の和花は、せっかく踏み出した一歩が崖の先だったような感覚だった。そこに通りがかった男子が声を上げた。


「せんせー、そいつ素顔だよ」

「ん? お、そうか。素顔なのかぁ。わるかったな」

 悪い悪いと教師に謝られ唖然とする和花の横を、助け舟を出してくれた男子が通り過ぎていく。

「よかったね」

 小さく聞こえた声は優しく、一瞬見えた笑顔もホッとするものだった。

 でもとっさのことで動揺していた和花は、彼にありがとうも言うことも、ましてや名前やクラスを聞くこともできないまま見失ってしまう。

 そんな彼に再会したのは、二日後のことだった。

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