5.聖女は石っころを騎士に据える
◆ 王室典範 第一章 王位継承 ◆
第一条 王位は、王統に属する男系の男子が、これを継承する。
第二条 王位は、以下の順序により、王族に伝える。
一 王長子
二 王長孫
三 その他の王長子の子孫
(略)
第三条 王太子に、精神もしくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、前条に定める順序に従って、王位継承の順序を変えることができる。
第四条 王が崩じたときは、王太子が直ちに即位する。
第五条 ただし、王の嫡出子に【
◆ 聖女――ソフィア ◆
我が国では王位継承に関して、王族を除く高位貴族や教会上層部による王室典範会議で、王室典範に沿った継承か厳格に審査されます。
わたしが【神喩】を賜った直後に、王室典範会議が招集され、わたしが王位継承者であることが王国中、そして大陸各国に布告されたのです。
お父様の子はお兄様とわたしのみ。男系男子はお兄様だけのなか、わたしが【神喩】を賜ったばかりに……
わたしの成人を以って、自分の王位継承が確定すると目論んでいたお兄様の落胆や困惑・憤りは大きかったことでしょう。
「少しでも騒乱の芽を摘むために、ノイエスや王族、主たる貴族の面前で余の口からソフィアが余の後継者であると宣言しよう」
お父様は深いため息に続いて、そのように仰るのが精一杯でした。
ベルグ様は、その様子を執務机に肘を乗せ、頬杖をついて眺めておいでです。
「今回のようなことが再び起こらなければ良いが……」
「お父様、いいえ陛下、その件に関しまして、わたしから一つお願いがございます」
「なんだい? 言ってごらん」
「諜報部所属のベルグ・アイラーセンという方を……わ、わたしに下さいませっ!」
わたしの急で突拍子もないお願いに、お父様が「なっ!」と声を洩らしましたが、同時に、我関せずと気を抜いていたベルグ様も「はあっ?」と、椅子を倒す勢いで立ち上がりました。慌てて押さえていますね。
「おっと、(椅子が)倒れちまう」
「――誰だっ!」
「あっ!」
不意の第三者の声に、お父様が声の出所に目を向けますが、見つけられません。
でもそこには、「マズイ……」と顔を青くしたベルグ様。キシキシと鈍くわたしに顔を向けて、救いを求める視線を送ってきます。
お父様が、執務机に回り込んで声の主を探そうとするので、引き止める。
「お待ちくださいお父様っ! わたしから紹介申し上げます」
「だ、誰かいるの……か?」
「わたしの危機をお救い下さったベルグ・アイラーセン様がおいでです。ご説明しますので、どうぞお掛け下さい」
わたしはお父様に、ご自身の定位置である一人掛けソファへ掛けてもらい、ベルグ様にはわたしの座る二人がけソファの後ろに立ってもらう。お父様は不安げで、未だに目を左右に動かしています。
「ベルグ様。私の肩にお手を……」
「は、はい」
ベルグ様は、借りてきた猫のように黙ってわたしの肩に手を置いてくれた。そこにわたしも手を添える。
「お父様、わたしの真後ろ――ソファの裏に、ひとが見えてきませんか?」
お父様が「うわっ」という呻きを洩らして「見える……」と、ひと言。
「こちらが諜報部所属のベルグ・アイラーセン様です。今回シーヴ帝国に一時避難しようとして、襲撃を受けていたわたし達をお救い下さったのがベルグ様です」
まだ混乱の最中にいるお父様ですが、ベルグ様に「娘が世話になった」とお礼を伝えたけれど、すぐに彼を射るような眼光になり――
「しかし……いつまで我が娘に触れているのだ?」
「あっ! いや、これは……」
ベルグ様がどぎまぎとして、わたしの肩から手を離そうとするのを、ギュッと握りしめて止める。
それだけではお父様の針の
「これは、お父様にベルグ様の存在をご認識頂くための手段にございます。どうか落ち着いて下さいませ」
「う、うむ。……ベルグ・アイラーセンよ、此度は“我が娘”の窮地を、よくぞ救ってくれた。“我が娘”に代わって礼を言う」
ずいぶんとわたしがお父様の娘だと強調なさるわね……ベルグ様は当然ご存知なのに。
「――それで、我が娘をくれと?」
「えっ?」「えっ?」
どうしてそうなるの?
「お、おお、お父様っ! 逆です逆!」
逆でもないですし、まんざらでもありませんが……訂正しておきましょう!
「べ、ベルグ様を諜報部から、
◆ 石っころ――ベルグ ◆
ええぇ……やっぱり聞き間違いじゃなかった?
陛下が俺の方をギロリと見て、「それはベルグも納得した上での願いか?」と問いかけてくる。怖えぇ……
「いや、おれ――私は諜報部で細々と国のお役に立てればいいのですけど……」
「細々?」
「い、いえ、がっつりと……」
陛下の圧に気圧されていると、ソフィア様が別ルートで逃げ道を塞ぎにきた。ソファに座ったまま俺に上目遣いで!
「ベルグ様はわたしに協力をお約束下さいました。そうですよね?」
「はい。ですが、それは城に帰るまでって……」
「――言っておりません」
「え?」
そうだったっけ?
――えーっと、あれは俺が姫様は堂々と城に帰ればいい、その方が敵が尻尾を出すかもしれないと言った後……
『そうですね……帰りましょう! ベルグ様、協力をお願いできますか?』
『もちろんです』
……確かに。『帰ろう』とは言っていたけど『帰るまで』とは言ってないな……うん。
「最後までという意味で申しました。解決するまでという意味です」
ソフィア様がニコリと笑みを浮かべて言い切った。
後付けっ! それ、後付けですから!
◆ 聖女――ソフィア ◆
「という訳で、お父様。ベルグ様を下さいな?」
「うっ、そうか……しばし待ってくれ」
お父様は執務室の外に立つ護衛騎士に、諜報部長官のユングベリ殿を呼ぶようにと申し伝えた。
通路には大勢の人が集まって様子を窺っているようです。先程つきまとってきた兄派のあの貴族もいて、彼らをアンジェが塞き止めている。そこにいたところで、執務室内の会話は洩れないのに……
諜報部長官ユングベリ殿が、文字通り馳せ参じて来て、ベルグ様の在籍が証明される。
ユングベリ殿は、ベルグ様が『路傍の石』を賜って以来目を掛けていらして、彼を一人前の諜報員に育て上げたのはユングベリ殿。長官なのに事務仕事を副長官に丸投げしてベルグ様を
それほどの濃いお付き合いなので、余程の事がない限りベルグ様を見失うことはないそうです。
「あっ!
諜報部長官を“おやっさん”って……
それはさておき、シーヴ帝国側もわたしの身を狙っている事がベルグ様の口から伝えられると、お父様も長官も友好国の背信行為に衝撃を受けているようでした。
「シーヴの若き皇帝がそのような信義にもとる行いをするとは……」
ベルグ様は、さらに追い打ちをかける。
「ソフィア様が帝国の覇道の障害になるとも言っていましたよ」
「なっ! なんと……」
お父様は、帝国の密かな野望を知り、そしてそのような情報を得られたベルグ様の能力の高さにも瞠目しておいでです。
「ユングベリの
お父様は納得して下さり、ユングベリ殿も大事な大事な弟子のベルグ様を下さることを渋々ながら承知して下さいました。
「いやいや、皆様。おれ――私を物みたいにやり取りしないで貰えますか?」
お父様とわたしやユングベリ殿のやり取りをオロオロしながら見ていらしたベルグ様が、困ったように呟きます。
「なんだベル坊? まだ俺に扱いて欲しいのか?」
「いや……」
「次期国王である“我が娘”ソフィアの騎士になりたくないと?」
「い、いや……」
「ベルグ様はわたしのことなど守る価値が無いとおっしゃるのですか?」
「いやいや、それとこれとは……」
わたしとユングベリ殿に片手ずつ掴まれて姿が露わになっている上に、お父様にも正面から見つめられたベルグ様は、ドンドン追い込まれていき、黒い瞳は右へ左へと泳いでいます。
「ベルグ様は、わたしのこと……お嫌いですか?」
◆ 石っころ――ベルグ ◆
ソフィア様ぁ、『お嫌いですか?』ってズルくないですか?
そんな可愛いお顔で、潤んだ瞳で、上目遣いで……
親父さんは「分かっているな?」って目で訴えてるし、陛下は有無を言わさぬような圧を掛けてくるし……
「わ、わかりました! お、お受け致しますぅ!」
「よく言った! ベル坊!」
「そうか。受けてくれるか」
「まぁっ! 嬉しい」
言わされたって方が正しいんですけど?
それからは、とんとん拍子に事が運び――いや、殿下達の争いでは無くて俺の事ね?――、なんと! 王女救助の功で世襲権の無い準貴族として騎士号を授与されて、正式にソフィア殿下の騎士に任ぜられた。
数時間の間で任ぜられてしまった……
世襲権を持つ貴族に叙爵するには、国王の他に枢密院と呼ばれる有力貴族による意思決定機関の賛成が必要だが、準貴族は国王の判断と事後報告で任ずることができるのだそう。
俸給は上がるし、可愛いソフィア様の側にいられるようになるのはいいけどさ……責任も重くなるのがなぁ……まあ、やるけどさ。
国王執務室を辞して、王女様のお部屋へ。寝室じゃないぞ? 女性らしい花の香りに包まれた明るいお部屋だな……
そこで、アンジェら女性護衛騎士やソフィア様付きの侍女達に俺の騎士就任を伝えた。
ややこしいが、アンジェを始めとする護衛騎士は、優秀な騎士が配される近衛騎士団の所属騎士でありソフィア様担当であっても、ソフィア様個人の騎士ではないらしい。
だから、ソフィア様を慕っているアンジェの怨みがましい視線が、ずーっと俺に突き刺さっている。
俺は男なので、この部屋や寝室周り、生活面においてはこれまで通りアンジェら女性護衛騎士に任せると伝えると、少し――ほんの少しは溜飲を下げてくれたようだ。
それに、アンジェにも功はあったわけだし、後ほど俺と同じソフィア様の騎士就任の打診が出されるそうだ。
「ベルグ! 貴様の出る幕など無いと思え!」
……すごい捨て台詞!
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