転校生との出会い

「ふう…」



 自分の机の上にバックを置き、一息つく実。

 途端に、離れた席に座った梨央がまた甲高い声をあげた。



「ふう…、じゃない! なんであんなに走って、息がほとんど乱れてないのよ!? 陸上部にいる私だって、それなりに疲れてるのに!」



「さあ? 梨央は、怒鳴りながら走ってたからじゃないの?」



 実は苦笑して、梨央の言葉を軽く受け流す。



 教室にいる生徒の人数は少ない。

 ほとんどの生徒は、昇降口に貼り出された新しいクラスの名簿を見て騒いでいるところだ。

 その騒ぎ声は、微かに実の耳にも届いていた。



 席に着こうと椅子を引いて、ふと嫌な気配を察知。

 座るのをやめた実は、教室後方の扉を見据えて身構える。



 十数秒後、乱暴な足音と共に教室の扉が勢いよく開かれた。



 入ってきたのは一人の男子生徒だ。

 その男子生徒は、一目散にこちらを目指して猛ダッシュしてくる。



「さあ実! 今日こそオレの熱き抱擁ほうようを―――」

「いるかああああっ!!」



 実は一番威力の出るタイミングで、飛び込んできた男子生徒の腹目がけて渾身の蹴りをくれてやった。



 タイミングもさることながら、上手いところにはまったらしい。

 彼は数秒呼吸を止めた後、声も出さずにうずくまって悶絶している。



 痛みをこらえて震える彼に、梨央がのんびりと声をかけた。



「三村ぁ。あんまりそれやると、そのうち死ぬよ?」



 梨央のそんな言葉を聞きながら、腕を組んだ実はさらにもう一発彼を蹴る。



「まったく、何度やっても飽きないな。いい加減諦めろよ、晴人はると。」

「いてて…。ここしばらく我慢したから、そろそろ引っかかってくれると思ったのに……」



「あんな猪突猛進で、引っかける気があったのかは疑問だけど。それ以前に、何年友達してると思ってんの? お前の行動パターンくらい、分かりきってるっての。」

「うーん、でもなぁ……」



「うわっ!?」



 急に視界が揺れ、足から力が抜けた。

 そのままバランスを崩してしまい、尻餅をついて晴人の隣に座り込んでしまう実。



 思い切り膝裏を殴られたのだと、遅まきながらに気付く。

 晴人がそれを見て、にやりと意地悪く笑った。



「な? こういう、ちょっとした悪戯いたずらには簡単に引っかかるだろ? だからやめられないんじゃないの。」

「あのなぁ……いっぺん死んでこいっ、馬鹿!」

「まあまあ、そう言わずに。」



 晴人はへらへらと笑う。

 そんな晴人に溜め息をつきながら、実もくすりと笑った。



 この三村晴人とは幼稚園児の時からずっと同じ学校で、梨央と同じく幼馴染みの腐れ縁といったところだ。

 同じクラスになることもかなり多く、どうやら今年も同じクラスらしい。



 その長い付き合いから、晴人がこういう人間なのは十も百も承知している。

 お調子者の晴人のテンションをうざったく感じることもあるが、気兼ねなく接することができる数少ない友人だ。



「そういえば実、知ってるか?」

「何?」



 実が席に着きながら相づちを打つと、晴人もそそくさと実の前の席に座る。

 このお決まりの座席の位置関係が、晴人との腐れ縁ができあがった要因の一つであろう。



「転校生! 転校生だよ! このクラスに転校生が来るんだって。女子だといいなぁ……」

「男だよ。」



 実がばっさりと晴人の期待を切り捨てる。



「なんで? なんで分かるの?」



 晴人がショックを受けた表情で詰め寄ってくる。



 正直、暑苦しい。

 実は晴人の顔を掴んで、ぐいと押し返した。



「名簿に知らない名前があったから覚えてただけ。ちょうど、俺の次だったからさ。名前を見る限り、転校生は男だと思うよ。お前、名簿をちゃんと見てなかったわけ?」



「……なんだ。」



 晴人が残念そうに呟く。



 その後は始業のチャイムが鳴るまで、晴人と他愛もない会話を楽しんだ。



 チャイムが鳴ってから間もなくして、担任である女性教師が教室に入ってくる。

 それに続き、転校生も入ってきたことを目の端で確認。



 女子生徒がざわついたあたり、やはり男子なのだろう。



 晴人はそれに構わず、こちらにマシンガントークをかましている。

 実は頬杖をついて下を向いたまま、それを適当に聞き流していた。



「三村君。前を向きなさい。」



 ドスのいた女性教師の声に、晴人はその時初めてホームルームが始まっていたことに気付いたようだ。



「実、教えろよ…っ」



 情けなく言いながら、慌てて前を向く晴人。



 相変わらず、話し出すと周りが見えなくなる奴だ。

 晴人が前を向いたおかげで、実もようやく前に視線を向けることができた。



 ゆっくりと顔を上げる。

 そうすることで自然と、女性教師の隣に立つ転校生と目が合った。





「―――え…」





 どくん、と大きく脈打った鼓動。

 自分の体に起こった異常に、それ以上の言葉が出なかった。



 転校生もこちらを見て、その表情に微かな驚きを見せている。



 黒い髪に黒い瞳。

 どこにでもいる、一般的な容姿。



 第一印象は大人しく静かなイメージを受ける。

 顔もそこそこよくて、しばらくは女子の間で密かに騒がれることだろう。



 しかし、実が驚いたのはそういうたぐいの問題ではなかった。



(なんか……知ってる…?)



 実は思わず胸に手をやる。

 大きく脈打つ心臓が告げているのは、本能的な懐かしさだった。



 この転校生と面識はない。

 ないはずなのに、この転校生からものすごい親近感を感じるのだ。



 まるで、古いアルバムを見ているような。

 そんな気持ち。



 事実と感情の矛盾に混乱してしまい、実は転入生からさっと目を逸らした。



(なんで…? 俺、この人なんて知らないよね…?)



 きっと気のせいだ。

 前にテレビか何かで見た芸能人に似ているとか、そういうオチだって。



 暴れる心臓を無視して、とにかく落ち着こうと深呼吸。

 そして、また前を向いて―――



「―――っ!?」



 今度は思わず、席を立ち上がりそうになった。



 転校生が、まだこちらから目を逸らしていなかったのだ。

 その表情には、何かを疑うような雰囲気が満ちているように見える。



(な、なに…?)



 実は茫然と彼を見つめた。



 女性教師は、彼を村田拓也と紹介した。

 名前以外の情報は聞き流した。

 聞くどころじゃなかったのが実際だ。



 この時の自分は、自身への疑問と彼への疑問で頭がいっぱいだった。



「―――というわけで、みんな仲良くしてね。」



 いつの間にか、拓也の紹介が終わっていた。

 それで我に返った拓也が、教室の皆に頭を下げる。



「よろしくお願いします。」



 拓也がそう言うと、女性教師は表情をやわらげて教室の奥の方を示した。



「席は宮崎君の後ろで、山木さんの隣よ。宮崎君、村田君のことよろしくね。」

「へ?」



 急に名前を呼ばれて、間の抜けた声が零れてしまう。



 そういえば、転校生の席は自分の後ろだったっけ。

 そう思い至って、実はぎこちなく口を開いた。



「はい…。分かり……ました。」



 実の言葉に彼女は満足げに頷き、そんな彼女に促された拓也がこちらへ歩いてくる。



 なんとなく、これ以上は拓也と目を合わせていたくない。

 隣を拓也が通り過ぎる瞬間、実はさりげなく視線を下げる。



「あれ…?」



 実は呟き、目をこすった。



 拓也が通り過ぎた後、その場にほのかに青白く光る、粉のようなものが落ちた気がしたのだ。

 改めて床を凝視するが、そんなものはどこにもない。



(見間違い?)



 首を傾げ、頭が重くなる気分がして溜め息をつく。



 寝不足は続くし、転入生を見て変な気持ちになるし、本当に最近は散々なことばかりだ。



 さすがに疲れが溜まっているのだろう。

 それで何かを見間違えたのだ。

 そう思うことにした。



 中学三年生の春。

 実の新学期は、こんな幕開けとなった。


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