第3話 聖女様の秘密のお仕事3
レイリアが前世の記憶を取り戻したのは、十歳の時。掏摸に失敗し、激昂したターゲットの貴族に背中から切りつけられた瞬間だった。
一刀のもとに斬り捨てられさえすれば庶民の処罰が貴族に認められているこの町で貴族の懐に手を伸ばしたのは、金が欲しかったからというよりは、もうこの人生を終えたかったから、という思いの方が強かったのだろう。幼いながらに荒んだ人生だったとレイリアは考えた。
貴族はレイリアが死んだものだと思ったのか、汚い言葉を吐きかけると、馬車でさっさと去ってしまっていた。
とはいえ、命がつきるのも時間の問題。
降りしきる雨の中、泥にまみれて己の血が流れていくのを見ながら「今さら前世の記憶なんか思い出してもなぁ……」と思ったのを覚えている。
前世のレイリアは、日本の事務職のOLだった。
忙しい毎日をただ生活費を稼ぐために仕事をしながら過ごし、たまの休みには家で黙々と乙女ゲームをして時間を潰す。
そんな日常がいきなり終わったのは、雨の中、信号無視のトラックが突っ込んできたせいだ。
確かあの時も、アスファルトに流れる雨水と自分の血がマーブル模様になって流れていたな……、とのんきに思っていたとき、その奇跡は起きた。
「この背中の羽根は……。聖女、か」
今まさに死にそうになっている少女にかけるにしては、嫌に冷静な声が上から降ってきた。
次に目を覚ますと、やけに豪華な天井が見えた。
それが天井では無く、ベッドの天蓋だと気づくには、随分時間がかかった。
動けず高熱にさらされてうなされていたが、その間に前世の自分のことが段々とはっきりしてきた。
人に迷惑をかけるのが嫌で、かといって人から迷惑をかけられるのも嫌で当たり障りのない人生を送ってきた。
誰からも恨まれも妬まれもしないが、好かれもしない凪の人生。
突然の死に職場やかつての学校の同窓生は葬式に来てはくれていたが、誰の心も自分の人生と同じように波一つ起きていなかったのが見て取れた。
つまりは、最後の最後まで、誰にも迷惑をかけずにすんだ。ーー 思い通りの人生を送れたのだ。
しかし、その心に満足度は全くなかった。 今までの人生に、何一つ未練がないのが、皮肉なことに逆に未練だった。
人に迷惑をかけない人生は、誰からも迷惑をかけられない代わりに誰の心にも残らない。
人に優しくしてこなかった人間の人生は、誰かに優しい言葉や感情を投げかけられることもないのだと、そのときにやっと自覚したのだった。
気がつけば、レイリアは泣いていた。
それが前世の自分を嘆いたものなのか、今生も同じように生きていたレイリアを嘆いたものなのか、判別はつかない。
迷惑をかけてもかけられてもいい、嫌われても恨まれてもいい、誰かの記憶に残る人生を送りたい。
でも願わくば、優しい言葉の一つも聞いてみたい。
自分に投げかけられるものでなくてもいい。誰かが誰かに投げかける言葉の傍らにいて、それを耳にするだけでもいい。
だからーー。
「もしこの命が救われるのなら、誰かに優しくする人生にしよう。誰かを助けることをしよう。まだ間に合うはず。きっと……」
そのために今生は生かされたのだ。
考えるだけ考えたレイリアは、やがて気絶するように意識を失った。
「それならば、私に優しくすれば良い」
そのレイリアの目から流れた涙を、誰かの指がそっと拭っていった。
やがて起き上がれるほどに回復した時、あの冷静な声の持ち主・クレイストがレイリアの前に現れたのだった。
年の頃は16、7といったところ。
今生のレイリアは10歳だが、前世の記憶を取り戻した今は中身年齢30歳以上なので、まだ幼いように見えてしまう。
その脇には二十歳ぐらいの青年が付き添っている。侍従だろうか。
「殿下、この少女をどうするつもりですか」
心配そうにレイリアを見つめている青年とは裏腹に、美しいがやけに達観した目をした表情の欠落した顔で豪華な衣装に身を包んだ少年クレイストは、自分がこの国の第一王子であることを語り、レイリアにこう告げた。
「あなた。聖女ですね」
「聖女?! この子どもが?!」
青年が驚いた声を上げた。
そしてレイリアも同時に驚いた。
聖女の証は背中に刻まれた「聖女の羽根」の刻印。貴族に袈裟懸けにされたレイリアの背中には、大きくその刻印があったという。
鏡などという贅沢品のない環境で育ったレイリアは、自分が聖女であったことをそこで初めて知ったのだった。
ぽかんとするレイリアを余所に、青年とクレイストは話を続けている。
「聖女って……。この世界で唯一魔王に対抗する力を持っているという、あの聖女ですよね」
「ほかにどんな聖女がいるというんですか」
「失礼。でも王妃様以外の聖女がこの国で見つかったという話は、聞いたことがありません」
「別に聖女は一つの時代に一人だけ、ということはありませんよ。現に隣国の帝国には今も聖女がいるというではないですか」
「まあ、あの国の聖女はちょっと特殊で……って、ほら、殿下。この子、びっくりして固まっていますよ」
青年はベッドの側に跪くと、にっこり笑って見せた。タンポポの綿毛のような髪色の、優しそうな顔立ちの青年だ。
「びっくりしたな。もう大丈夫だからな」
クレイストはその脇で仁王立ちになると、無表情でレイリアを見下ろした。
「金が欲しいなら、掏摸よりよほど稼げて、よほどスリリングな手段があるのですが、乗る気はありますか」
「私が……役に立てること?」
「聖女であるあなたにしか、できないことですよ」
「私に……できること」
誰かを助けたい。不意にレイリアの脳裏に熱にうかされた時に決意した言葉が蘇った。
「それは……あなたの役に立てること?」
じっと見つめ返すレイリアに、クレイストはにっこりと微笑んで答えた。
「もちろん」
その目は全く笑っていなかったが、その言葉だけでレイリアには十分だった。
しかしそれこそが、クレイストが婚約者との縁を切るための「別れさせ屋」の仕事だったのだ。
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