【幕間】アレン / マリアミス
引き返していたアレンは西宮殿のサロン近くの廊下で落ち着きなく待っていた。
一度は東宮殿にある第二騎士団のたまり場まで帰ったものの、そこで仲間から明日の予定を聞かされると、急いで西宮殿まで駆け戻ってきたのだ。
明日、クェス公爵令嬢主催のお茶会に
このお茶会は側妃候補の歓迎会を兼ねており、
極めつけは、ご令嬢方のお茶会は原則男子禁制。騎士団は遠巻きに見ていることしかできない。
これは明らかな罠だ。皇太子妃殿下と彼女の護衛である第二騎士団を分断して、何かを企んでいるに違いない。
(くそっ、ザフィーアの姐さんが気遣ってくれれば、ユイーズの立場も今よりマシになった。セシルも『姉には姉の事情がある』なんて、変な遠慮をしないでいれば……)
もし、第二騎士団が護衛できないとなれば、お茶会中でもユイーズの側に控えることができ、信用できる旧知の仲の者など、元皇太子妃候補であり、現側妃候補であるザフィーアだけだった。
ザフィーア・ラインガードはその姓の通り、ラインガード辺境伯家の令嬢だ。
その辺境伯家が雇う傭兵の指揮役がサンドレス伯爵であったことから、女騎士ザフィーアにとって、伯爵の娘ユイーズは同じ釜の飯を食べた仲、元傭兵であるアレンは鍛錬や魔獣討伐を共にした仲だった。
それなのに、皇太子妃候補になってからというもの彼女達の交友は途絶えていた。
だが、今、心配なのはロザリンド様だ。よく分からない意地を張って、愚直に西宮殿のサロンへと乗り込んでいってしまった。
『アレンには、西宮殿の令嬢たちよりも、わたしを信じてほしいから』
彼女が残した言葉はアレンに大きな衝撃を与えた。
アレンはロザリンド様を信じると言っておきながら、西宮殿の令嬢達の恐ろしさの方を信じていた。無意識の内に彼女も屈してしまうのだと考えていた。
はじめて出会った時に交わした握手の感触を、アレンは今でも覚えている。傷も、ささくれもない、柔らかく小さな手。きっと、このか弱い少女は、冷徹な西宮殿の令嬢達から向けられる悪意に耐えられない……。
「ロザリンド様!」
サロンの方向へ伸びる廊下からロザリンドの姿が見えた。
彼女の表情は強張っていた。
きっとユイーズがされたぐらいの強烈な嫌がらせを、彼女も受けたのだろう。
アレンは女官の代わりに宮殿間の出入りを見張っていたメイドの制止を無視して、ロザリンドに駆け寄った。華やかな紅茶の香りとともに、彼女はアレンを見上げた。
「アレン……」
「一体どうされたのですか?! 髪や服に紅茶がかかって…………」
客観的に考えれば、西宮殿のサロンで悪意ある者らに紅茶をかけられたのだろう。濡れそぼった彼女の髪からは雫が滴り、ドレスの胸元まで琥珀色の染みが広がっている。
「……っ」
どんな感情でも、彼女に動揺を悟られてはいけない。彼女を不安にさせてしまうだろう。
アレンは騎士服の正装であるジャケットを脱ぎ、ロザリンドに掛けることで、彼女を周囲から隠した。
「戻りましょう、ロザリンド様。大丈夫です、オレがいます」
その傷付いた様子からは、西宮殿までアレンと言い争った彼女が嘘のようだった。
だが……あの時の彼女も、今の彼女も本質は変わらない。
虐げられるユイーズの味方になると宣言した果敢な正義心が、今ではただの強がりだと思えたとしても。
それは傷付けられることが怖いことだと理解しているからこその行動だった。悪意に人一倍弱いからこそ、傷付けられたユイーズの痛みにひどく共感した。
たとえ正義心や強がりで表面を取り繕っても、ロザリンド様は誰よりも傷付きやすい、心優しい令嬢だった。
後悔がアレンの胸を刺す。
彼女が感じている心の痛みを少しでも引き受けられたら、と思わずにはいられなかった。
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西宮殿のサロンでは、麗しき令嬢達のお喋りが音楽に代わり流れている。
室内に照りつける初夏の西日。
そして、令嬢らが涼やかにと気を遣う侍女やメイド達。
それらが合わさり、着飾った令嬢の集いは美しい
その傍で目立つ
やや間を空けて、左方に黒髪と小麦色の肌を持つラインガード辺境伯家の令嬢。
右方には掴みどころのない天然な気質のラグランジュ侯爵令嬢。
残りは名もない
所詮、
それでも使い方次第では、主役の石の価値を何倍にも引き上げる名脇役と化すだろう。
マリアミス・ミシェル・ドゥ・クェス公爵令嬢は、ティーカップを揺らし、目端でサロン全体の様子を観察していた。
彼女が悠々と傍観を続けるのは、音楽の演奏を
公爵令嬢マリアミスの隣に座るクロシェット・ベルフィ伯爵令嬢は憤慨していた。
「まったく何なんでしょうね。子爵令嬢の、あの流行を一昔前に置き忘れたようなドレスは!」
周囲の名も無き令嬢は、従順に賛同の意を示す。
「側妃候補にあるまじき恰好でしたわ」
「ええ、あんな方が領主家の令嬢だなんて、信じられません」
「まともな私達まで宮廷貴族に見下されてしまいますよね」
だから、持て囃すしかないのだ。
称賛する相手の行動が常軌を逸した嫌がらせであっても、その矛先が自らに向けられない為には。
「冷めた紅茶をおかけになったのも、クェス公爵令嬢の優しさですわ。残念なドレスを買い換える理由を作って差し上げたのですから」
先程まで話題の子爵令嬢が挨拶に来ていた。彼女は、今は飛び散った紅茶の後始末がされている場所に立っていた。
マリアミスの紅茶を
「あんなドレスでは只の召使いですわよ。主人を立てる為に、あえて流行遅れの服を着る執事でもないのですし」
クロシェットの着眼点は良い。それを揶揄にしか活かせないのは惜しいところだ。
マリアミスは紅茶が冷めた頃を見計らい、陶器の熱を綺麗な細指で確かめた後、ティーカップに口をつけた。
猫舌の彼女は慎重で用心深い性格である。
大胆に動くことはあっても、それは計算済みの行動。
あの子爵令嬢がマディル公爵夫人の実妹であり、南沿岸部のセドツィア伯爵夫人コデットやアルム伯爵領の湖水を管理する有力家臣に嫁いだオリビアを姉に持つことは知っていた。
マリアミスとしては、是非ともサロンに迎え入れたい令嬢だった。既に辺境伯領出身の第二騎士団と交流があったとしても、領地持ちの貴族を嫌う彼らより同じ立場のこちら側につくだろうと考えていた。
しかし、サロンに堂々と足を踏み入れた彼女を見て天秤が傾いた。
何故、子爵令嬢が流行遅れのドレスで挨拶に来たのか?
いったい、このサロンで何人の令嬢がその意味を理解できているのだろう?
あの高潔な意志の表明を、汲み取れた令嬢は何人いるのだろうか?
……きっとこの部屋に三人いるか、いないか。
従うだけの駒が欲しいマリアミスにとっては喜ばしい状況だ。誘導し、分別したのも彼女自身だ。それでも、強者に媚びて、弱者には我儘に振る舞う令嬢達と付き合うことは、はなはだ苛立たしく不快だった。
ナトミー子爵令嬢のような固い決意を感じさせる表情に、マリアミスは惚れていた。
ああいう打てば響くような令嬢を側近として取り立て、話し相手にしたいとも思った。
公爵令嬢を尊重しつつも、対等に語らうことを臆さない彼女が側にいれば、さぞかし愉しかっただろう。
しかし彼女は、皇太子が皇太子妃の敵となり得る側妃候補を招集した真の意図を理解している。
もはや紅茶を垂らしただけでは牽制にもならない。
ユイーズ皇太子妃に奪われた以上は、たとえ優秀な駒であっても邪魔な存在だ。
マリアミスは人を惹きつける魔性の笑みを浮かべ、動作の行方が気になる美しい仕草で思考を巡らす。
そして令嬢達が理解できるよう会話の流れに沿った比喩で、マリアミスは命令を下した。
「お茶会に召使いの席は必要かしら?」
彼女は口端を上げて、美しく嗤った。
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