マディル公爵家

 マディル公爵家は皇国の黎明期れいめいき以前から存在する貴族だ。


 初代皇帝の擁立ようりつでさえもマディル公爵家と皇国の北にある“皇国の白銀しろがね”クェス公爵家と共に成し遂げたと伝えられており、割と新興のナトミー子爵家とは比べものにならないほどの歴史と権威を持つ。


 勿論、財力にしたって比較するのもおこがましいほど。


 広大な領内には、鉱石が採掘される山も、上質な木材が得られる森林も、農耕に適した平野もあり、唯一存在しない海でさえも……海洋に面したセドツィア伯爵領へと流れる大河がある為、水産物には事欠かない。


 まさに豊かさは皇国随一。


 旅の方の遊覧先においても、皇都以外では北のクェス公爵領か、南西のマディル公爵領、南東のユグミシット侯爵領に行かずして皇国の何が語れるのかと言われるほどで、名実ともに皇国の柱だ。


 そんな皇国の盟主と何故、モニカ姉様が結ばれたのか改めて考えると謎ばかり。


 二人のなれそめは……ええと、モニカ姉様が皇立学院に在学中の頃だから、皇都だ。


 やはり、素敵な人との出会いに交流の機会は欠かせない。お茶会や舞踏会デビュタントのお誘いを阻止してきたパパには悪いけれど、今日晴れて子爵領からの外出が叶ったんだ。マディル公爵領に逗留しつつ皇都で婚約パレードを観覧するだけの二泊三日の短い旅程の間に、何とかして出会いに繋がる面識を得なければ……!


 わたしは決意を固め、依然パパに掴まれている拳を握り締めた。




 公爵の居城と思しき建築群が行く手に現れると、周囲は慌ただしい雰囲気に包まれた。


 時刻は既にお昼時。


 多くの行商人の馬車が街道に乗り入れ、城下街沿いの通りを中心に市場を形成していた。


 市場には農作物と魚介類を主とした食料品が出揃い、城下街に店を構える人々が新鮮なそれらを求めて賑わっていた。時折、煤を被った工廠地区の職人が屋台から買った軽食を食べ歩いているのが見える。


 その中でも、至って平凡な光景なのかもしれないが、別々の屋台の軽食を分け合う一組の少年少女が目に付いた。


 いいなぁ……わたしもパパが過保護じゃなかったら、あの子たちみたいに遊べたのかな。


 “もしも”に自分と誰かの面影が重なる。


 パパが歳の近い使用人を全員遠ざけていなければ、学び舎や学院にさえ行けていれば、お茶会の招待さえ受けていれば、幼馴染もしもという形で友人がいたかもしれない。


 わたしには異性の友人のみならず、同性の友人すらいない。お友達がいないのだ。


 そんな人間が子爵位を継いで領地の管理をしていけるのかは、はなはだ疑問だと思う。


 ……そうだ。今日や明日の日を、友達をつくる旅にすればいいんだ。


 だから頑張ろう。できることはいっぱいある。




 子爵家一行の馬車は城下街を横目に通り過ぎる。


 そして城壁内の最後の塔門大昔の城壁の名残をくぐり抜けると、ようやく歩みを止めた。


 出迎えの確認が終わった後、多くの者は荷運びに大忙しの中、手伝う訳にはいかない賓客二人パパとわたしは先に城内へと通される。


 尖塔と灰色の煉瓦が特徴の地味な城。


 おんぼろ具合に磨きがかかった広すぎる古城。


 なんてモニカ姉様は揶揄していたけれど、奇をてらった邸宅カントリーハウス城館シャトーとは違う由緒正しい古めかしさが感じられる。


 特にそれが印象的なのは穹窿リヴ・ヴォールトを用いた廊下で、そこは首が痛くなるほど天井が高く、目が痛くなるほど大きな窓ガラスから差す陽光で溢れていた。


 わたしとパパは公爵家の従僕フットマンに導かれるまま、大広間グレートホールへと足を踏み入れた。


 まず、意識したのは子爵邸がすっぽりと収まってしまいそうな空間の広さ。そんな大広間の両側面から回廊がおよそ二階の位置に張り出しており、それらは中央奥の両階段へと結ばれる。すると、自然と視線は天井から吊られている綺麗なガラスのシャンデリアに引き寄せられた。受け皿にある全ての蝋燭に灯がともれば、まさに理想の舞踏会場だろう。


 夢見心地でわたしが見蕩れていると、公爵家の従僕は立ち止まり、「ナトミー子爵家御一行がおみえになりました」と両階段に向けて声をかけた。


 ちょうど両階段の踊り場で、幾人かの侍従とクセのある黒髪の男性が談笑していた。


 黒髪の男性はこちらに気が付くと、人当たりの良さそうな笑顔で下りてくる。


「急にお呼び立てして申し訳ない。子爵」

「皇国の祝事には可能な限り馳せ参じるのが領主の役目でもありましょう。マディル公爵」


 彼とパパは握手を交わし合った。


 彼こそが、現マディル公爵家当主サイ・ノーザン・マディル、その人だ。


 背格好は中肉中背で、髪は寝癖のようなハネがある黒髪。そして、理知的な面差しを際立たせる落ち着いた輝きの焦げ茶色の瞳。首には簡素な意匠の膨らみがあるペンダントを掛けていた。


 彼は貴族と呼ぶには質素堅実な恰好で、騎士と呼ぶには貧相な体躯であり、その二つに当てはまらないものとなれば学者、と呼ぶしかないだろう。事実、彼は以前皇立研究所に勤めていたらしい。


 わたしもパパに倣い、うやうやしく礼を行った。


「おや、もしかしてロザリンド嬢かな」

「はい。ご無沙汰しております。マディル公爵」


 マディル公爵と最後に会い、話したのは彼が新郎として参加したモニカ姉様との結婚式だ。子爵領にある教会でのことだったが、はれの日であるにもかかわらず数少ない親族でしめやかに執り行われた……そう記憶している。


「公爵だなんて淋しいじゃないか。是非、サイお義兄にい様と…………暇な時に呼んでもらえれば」

「公爵」


 マディル公爵の言葉が途中で濁ったのは、パパが睨みを利かせたからだ。そして容赦なく矛先を彼へと向けた。


「公爵夫人から可愛い我が娘に招待状をお譲りいただき、感謝いたします。それとですが、生家より離れたとはいえ、大事な愛娘であるモニカは何処いずこにおりますか。……はて、何かございましたか?」


 パパはマディル公爵の顔を覗き込むようにして、にじり寄った。


 モニカ姉様が式典に出られないことを心配してのことだろうが、パパの圧が酷すぎる。脅迫と何ら変わりない勢いだ。


「お父様、そうやって彼を責めないでくださる?」


 マディル公爵を助ける天の声が大広間に響きわたった。


「モニカ姉様!」

「まあ、ロザリンド! ちゃんと此処まで来れたのね。上出来だわ」


 わたしの姿を認めたモニカ姉様は、たれ目の瞳を細めて微笑んだ。


 モニカ姉様はゆったりとしたドレスを着ていて、侍女に付き添われながら階段を下っていく。


 ちょうど中頃に差し掛かったところで、駆け寄ったマディル公爵がモニカ姉様の手をとり、支えていた。


「この度、モニカさんがめでたく第二子を懐妊した為、大事をとって皇太子殿下の婚約パレードは欠席することに致しました」


 喜ばしい報告に拍手がついて出た。


「おめでとうございます!! モニカ姉様、マディル公爵」

他人事ひとごとのように言うけれど。貴女にとっては将来、弟になる子よ?」


 身重でいても姉様の平坦できっぱりとした物言いは健在であり、異郷の地で聞くせいか、懐かしさをより感じてしまう。


「モニカの身体を慮り婚約パレードに欠席されるのは分かりましたが、御子息に招待状を譲られても良かったのでは」


 パパの差出口な意見は当然、モニカ姉様に阻まれた。


「ええ、はじめはカイに行ってもらうつもりでしたよ。でも誰に似たのか、皇立研究所が閉館しているのならば行く必要がないと言って聞かないものですから」

「それならば、ということでロザリンド嬢の今後の見識に役立つと思い、招待状を融通した訳です」

「よ――」

「余計なお世話とおっしゃらないように。お父様」


 モニカ姉様がパパの戯言をぴしゃりと上書きし、訪れた沈黙に迂闊なマディル公爵の堪えきれていない笑い声が響く。パパは顔をムッとさせてマディル公爵に顔を向けた。


 マディル公爵とモニカ姉様は、貴族には珍しい恋愛結婚で結ばれた二人であるが故に、貴族の位から見れば奇妙な関係が義父パパとの間に生まれていた。


 モニカ姉様が絡んだ事柄には、一様に子爵パパに弱いマディル公爵と、格上の公爵にやたら強気な子爵パパ。彼らの機先きせんを制して仲裁するモニカ姉様。


 三人のその奇妙な関係が可笑しくてわたしも笑ってしまい、気が付いた時には彼らにジッと注視されていた。


「も、モニカ姉様たちだけで盛り上がるのはズルいですよ」


 慌ててそう誤魔化すと、三人は微笑ましそうな顔でわたしをなだめ始めるものだから、構ってもらえて嬉しいような悲しいような……。


 その後はいつのまにか商談の話となり、白熱するパパとマディル公爵と一旦別れて、モニカ姉様の案内で城内を導かれることとなった。

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