それは或る少女の前世(後編)

「ばーか、ばーか。うぅ……」


 運命を呪う幼稚な悪口を呟いても、鬱憤は晴らせない。


 涙でインクが滲んでしまった紙を破り捨てると、わたしは衝動的に棚から一冊の本を手に取った。


 それはわたしの秘密に付随する、とある副産物であり心の支え。


 リヴィという名前の看守がいた。罪人ロザリーを二年間監視した少年だ。


 彼はロザリーを処刑塔から逃がした際に死んでしまったが、生前は童話を好む優しい少年で、あの日まで彼女に多くの童話を読み聞かせてくれた。


 この本はそんな彼が持っていた童話集をそっくりそのまま書き写したものだ。


 全てが幸せな結末に至る物語ばかりで、呆れるほど優しく、子供向け。だけど、彼女にとってはそれが希望であり、唯一の味方であるリヴィとの絆だったのだろう。


 違うわたしの記憶と感情であるはずなのに、心が温かくなり頑張ろうと思えてくる。


 まあ、全部暗記しているから読み返す必要はあまりないのだけれど。


 お手製の童話集の奥付まで捲り終わる。そのページには彼の名前を記していたが、それ以外にも不思議な模様が描かれていた。


 わたしは記憶の中の彼の台詞を繰り返す。


「―――簡易作成インスタントメイク エストファイア


 呼応して、模様の描かれたページがひとりでに燃え上がる。


 ………………やってしまった。


 気付いた時には既に遅く、童話集の大半に火が燃え移ってしまっていた。ジリと熱気が皮膚を撫で、紙上の火元が延びていく。ぼーっとしていたら、わたしは丸焦げになって子爵邸は全焼だ!


 わたしは本を物のない開けた床に落とすと、ベッドから枕を引っこ抜いて火元を叩いた。


 消火ができても気は抜けない。すぐさま窓を開けて換気を行い、嫌な臭いを外へ逃がす。


 ――コンコンコン。


 わたしの大立ち回りの振動を聞きつけて、一階からメイドがやって来た。


「ヨルダです。どうされましたか、お嬢様」

「ええと、また本が燃えてしまって……」


 返事をした後、顔が見えるぐらいの隙間分だけ扉を開ける。廊下で待ち構えていた二回り年上のメイドはわたしに確認した。


「……また、燃やされましたね?」

「それは、そうね、その通りです……」


 ヨルダの冷ややかな目線に晒されたわたしの声と背がしぼんでいく。


「でも、前みたいに部屋が水浸しにならなかったのだから、結果オーライというものでしょう」

「そうならないのが当然でございます。それとも、浸水や小火ぼやを度々起こすお嬢様のお部屋は炊事場でございましたか?」

「料理なんてしてないわ。前はちょっと飲み水を零して、今日は陽の光が紙を焦がしただけ」

「今は夕方でございますよ、お嬢様」


 既に陽は沈みかけ、たとえ虫眼鏡があったとしても燃やすことは不可能だ。それにやる意味もない。わたしは下手な言い訳を簡単に見破られ、居たたまれなくなった。


「……ごめんなさい、ヨルダ。このことはパパに内緒にしてね、お願い!」

「はぁ……仕方がありませんね。お怪我はございませんか?」

「わたしには無いけれど、本と枕が焦げてしまいました……」


 おずおずとヨルダの前にそれらを差し出すと、彼女の表情が一層険しくなった。


「こんなに焼け焦げて……私は旦那様にお嬢様のお怪我の容態など申し伝えたくありませんからね。きちんとご自愛ください。それと、モニカ様からお嬢様へお手紙がございます」

「モニカ姉様から? ありがとう。あ、ヨルダ、絶対にパパには内緒よ」


 ヨルダは他にも手紙を持っていた。おそらく、二階の東翼にあるわたしの部屋を訪ねてから、西翼にあるパパの書斎へそれを届けるつもりだったのだろう。


「ご心配なさらずとも、お嬢様の私物を証拠隠滅後に参りますので」


 ヨルダの一礼を見届けた後、部屋の扉を閉めたわたしは机の引き出しからペーパーナイフを取り出し、丁寧に手紙を開封した。


 モニカ姉様はナトミー子爵家の三女で、今は公爵夫人だ。


 お隣のマディル公爵家に嫁いだ後、子爵邸とは比べものにもならないほど広い公爵家の居城を取り仕切る所為で、数年に一度の里帰りでしか会えなくなってしまった。


 他の姉様たちもそんな感じだが、モニカ姉様とは家同士の距離が近い分、手紙のやりとりだけは活発だった。


 最近の話題は皇都で流行しているドレスについて。皇都の淑女たちの間では、布地に宝石を縫い付けたものがスタンダードとなりつつあるらしい。


 ただし、子爵領から出れないわたしはモニカ姉様の絵と説明で想像するしかない。今度、見せてもらえないか返事のお手紙で催促してみようかな……。


 しかし、わたしが想定していた内容とは打って変わり、モニカ姉様はもっと素敵なことを書いていた。


“今度、皇都で催される皇太子・皇太子妃両殿下の婚約パレードに私は所都合で伺えないから、代わりにロザリンドが参加されてはいかが?”


“ただし、お父様の説得はロザリンド自身がなさってね。一緒にナトミー子爵宛ての皇室からの招待状と、我がマディル公爵家からのお手紙も届いている筈です。その二つを活用すれば、大丈夫かとは思いますが、心して挑むように。”


“親愛なる妹へ”


“公爵夫人 モニカ・ノーザン・マディル”


 最後まで読み進めた時、わたしの手は喜びで震えていた。


 手紙の内容は、皇都で催される婚約パレードの招待状を、モニカ姉様が譲ってくれるというだけのこと。


 でも、それって子爵領から出られるだけではなく、憧れの皇都にまで行けるということ!


「ああ、モニカ姉様大好き!」


 手紙を抱きしめるが、モニカ姉様はこうも書いていた。


“ただし、お父様の説得はロザリンド自身がなさってね。”


 わたしは、あの過保護で頑固なパパを説得しなきゃいけない。それに皇室からの招待状と、マディル公爵家からの手紙も必要だ。


「あ、さっきヨルダが手紙を持っていたわ!」


 わたしが廊下へ飛び出すと、一階で証拠隠滅を終えたヨルダが再び二階へ来たところだった。


「ヨルダ、ちょっと待って」

「お嬢様」


 パパの書斎へ向かおうとしていたヨルダを呼び止める。彼女の手元には二通の手紙があった。


「その手紙、わたしがパパに持っていっても良いかしら?」

「ええ、問題ありません。しかし、くれぐれも燃やすことのなきように」

「もちろんよ」


 機嫌良く答えた後、廊下を駆け出す。


「お嬢様、はしたないですよ!」


 追いかけてくる叱責を、わたしは全力で引き離した。

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