第46話 撃癒師と組織の壁

 じろり、とその内容を一瞥してから、ボルダネンは灰色の瞳をカールに向けた。

 そこには呆れといくばくかの同情と、ついでに何かしら羨ましい感情も見て取れた。


「若すぎる結婚。嫁さん二人、それも同時に。モテるな、おまえ」

「いえ、そんなことは」

「大変だぞ、どちらを優先するかでいつも家の仲は揉める。わしがどれだけ苦労したことか……なあ、カール。これまでおまえは自分の中に引きこもって来た。違うか?」

「それは、はい。そうですね」

「うん、正直は良いことだ。そんなおまえが、新しいそれも他人とやっていけるのか、ワシはそこを危惧している。これは上司としてではなく、おまえを知る知人としてだ。ローゼの身元を引き受けることに対しては大して、心配をしていない。おまえは仕事だけは優秀にこなす」

「ありがとうございます、閣下」


 まあ、合格だ。そう言い、公爵は机の端に置いてあった筆記具を入れた箱に手を伸ばすと、そこから印鑑を取り出して押印した。


「家族の温もりと再び、学ぶよい機会だと思ってやってみろ」

「閣下、僕が在宅の時はいいのですが」

「二人がいつも同時にいるとは限らない、か。おまえの邸宅の近くには近衛兵の詰め所があったな」

「ええ、目と鼻の先です」


 カールはうなずく。そこから兵を派遣しておく、と侯爵は言い、ペンを取るといま決まったことを書類に補記した。

 このまま書類を関連する窓口に提出すれば、即時にでも衛兵が派遣されることだろう。


 まあ、屋敷の周囲を定期的に巡回する程度にしかならないだろうが、それでも気休めにはなる。

 カールは書類を受け取ると、話題を戻した。


「ブラックドラゴンの遺骸と魔石を封じたものがあります。それと、あのダレネ侯爵……もしかしたら『貴爵』ではないか、と」


 滅多に耳にしない古い言葉に、ボルダネンはほう、と息を漏らした。


「どこからそんな情報を?」

「ローゼの出自です。そこから関連性があるのではないか、と。それにタータムーー」


 と、そこで発言は遮られた。


「あの一帯は、帝国時代には帝室の所有物だった。侯爵が手にできるものではない。あるとすれば、たまたまその管理を任されていた一族、ということになる」

「では、その一族のなかにダレネの名が?」

「いや、いまはまだそこまで調べがついておらん。ダレネは帝国時代にはよくあった家名だ。すべて偽りということもある。他に何か気付いたことは?」

「ブラックファイアと同じ船に乗りました。苦しくも、共闘するはめに」

「ケリー・ブラックファイア、か。黒狼が使う闇の炎はどうだった?」


 役人がマフィアとの共闘をすることは誉められたものではない、と侯爵は口元を歪めてそう言った。

 彼の機嫌を損ねたか、とカールは口元をしかめる。


 この上司は気分屋だし、頭の回転がとにかく早い。さきさきを読んで発言をしなければ、また辺境に飛ばされる。

 せっかく始まった幸せな妻たちとの生活だ。いましばらくは平穏無事に過ごしたい。


「……ヘイステス・アリゲーター。それもかなり成長した脅威になるやつを撃退していました。魔石はダレネたちに奪われましたが」

「交換条件、だろ? ローゼと」

「あ、いえ、その――あの場ではそうしなければ……」


 サティナの独断専行、とは口が裂けても言えない。

 妻の判断は夫である自分の判断だ。そこには責任をもたなければならない。カールは言葉を訂正した。


「自分がそう判断して決定しました」

「そうか。それならいい。おまえがあの場でもっとも身分のある関係者だった。味方のなか、ではと言う意味だが。魔石はやつらの良い資金源になることだろうな」

「それについても、先程」

「手を打った? おまえが? いやに早いな」


 大したコネもないおまえがどうやった、と問われ、カールはロニーの名を出した。

 ここに来るまでの間、馬車のなかで依頼した内容を簡素に伝えた。


 ロニーは宮廷魔石彫金技師であり、宮廷魔猟師でもある。

 二つの組織に所属し、そのどちらでも高い評価を得ている。


 書類に残し、もしもどちらかの組織に知り渡れば、いろいろと邪魔が入る。

 そう判断してのことだった。


「おまえが、あのアトキンス。魔猟姫と仲が良いとは驚きだ。ああ、そういえば舞踏会で踊っていたな」


 ロニーのいやらしげな含み笑いが聴こえた気がした。

 あの夜、カールは生まれて初めて淡い恋心を抱いたのだ。それをあえなく悪戯だと踏みにじった彼女は酷いやつだった。


 まあ、それのおかげで猫を被っている仮面のしたを見ることができたし、互いの内面を知る者同士として縁がつながったのだが。


「ええ……社交ダンスのステップを学ぶ良い機会でした、閣下」

「面白い! おまえから冗談が飛び出るとは。いいだろう、宮廷魔導師という一大組織の下にある、さまざまな役職ごとに分断された我々の小さな集団の関係性を変えるきっかけになるのも、ありだな」

「……と、言いますと?」

「宮廷治癒師、宮廷魔猟師、宮廷魔石彫金師……他にもいろいろとある。壁は大事だが、時として互いに頼ることも大事だ。おまえがブラックファイアとそうしたように」

「行政の改革とか、僕には大きすぎますよ、閣下」


 さすがにそこまでは勘弁して欲しい。

 あのドラエナの神託で、これから先、勇者や聖女、ハイランクであるランクSの冒険者たちが手を焼くような、難題に巻き込まれる予定なのだ。


 自分はそこまで優秀ではありません! と叫んだらボルドネンはロニーによく似た悪い笑みを口元に浮かべて見せた。


「ま、そこまではおいおい、だな。で、魔石がこれからどうなるかは、ロニーから伝達される、と」

「そういうことになると思われます」


 分かった、と短く言うと、侯爵は全ての書類にサインをしてカールに戻した。

 その中には、侯爵の権限でカールの持つ男爵位の一つ下である準男爵位を、カールに与えるとあった。


「これは?」

「男爵家に第一夫人。準男爵家に第二夫人を迎えてやれ。そうすれば誰もが貴族だ」

「……ありがとうございます!」

「夜にはしゃぎすぎないようにな」


 大人の冗談でくぎを刺されて、カールの心はうぐっと詰まってしまった。

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