第10話 撃癒師、天を仰ぐ

 王都ペルヘルムに向かうルートは三種類ある。


 島国であるラフトクラン王国は南北に長く、東西に狭い。

 その中間の主要都市を縫うようにして作られたロゼン街道。


 天空航路と呼ばれる、飛行船を使った空の道。


 そして、いまカールたちの目の前に広がる、トライゼム河。


 この三つが王都へ続く道だった。


 手前の街道を横切り、河川の船着き場に辿り着いた二人は、昨日の嵐のせいで増水しているものの、船そのものは往来可能な、水路を選んだ。

 陸路では二人が旅をしている間に路銀が尽きて飢え死にする可能性がある。

 空路は値段が高く、とりあえずの財産を載せていた馬が行方不明では、乗る事すら叶わない。

 もちろん、貧困層のサティナがそんな大金を持つはずもない。


「貴族特権で搭乗もできるんだけれど……」

「とんでもないことです! 高価だし」

「いやまあ、お金はどうにでもなるんだ」

「いえ、いいえ。高いところが――お許しください」


 サティナはぶんぶんと激しく首を振った。

 目はしっかりと瞑られている。

 高所恐怖症なのか。過去に何かあったのか。何かががそうさせるらしい。


「分かった。じゃあ、船にしよう」

「はい旦那様」


 と、いうことで船で王都に向かうことになった。

 ドラゴンに破壊されたはずの船着き場へと向かうと、そこは腕の良い魔法使いが改修したのか、急場づくりの簡易的なそれが新しくできていた。


 料金所で先に券を購入する必要があるので、馬から降りて待つこと一時間少し。

 目の前にずらりと並ぶ地元民の列が少しだけ動いた。

 そこで立って話していたのだが、そのことを話題に出すと、急にサティナは大人しくなる。


 カールの後ろに回り込み、自分の大事なぬいぐるみを抱きしめるかのように、力強く抱擁してきた。

 なぜそんな行動に出るかがよく分からず、されるがままに、カールは彼女の抱き人形になることにした。

 朝もまだ早く、山間部ということで少し冷え込んでいるから、彼女の温もりはありがたいものだった。


「恥ずかしいよ」

「駄目です」

「ええ……」


 だが、自由がない。強引な女性だと思った。

 周りの人たちからはどう見えているのだろうと、こっちが赤面してしまう。

 姉と……年の離れた弟。

 年齢だけを伝えれば、それが合理的な解釈になるのだろう、多分。


 髪の色と目の色、着ている服のデザインの違い、それぞれの生地の豪華さ。

 そこから見ればおのずと見えてくるものがある。

 周囲が感じるであろう違和感は、まず船の切符売り場でやってきた。


「――夫婦? その歳でか?」


 売り場は壁に窓があり、そこを経由する形で販売されていた。

 ものを書きつけるための台代わりの一枚板が打ち付けられたその上で、サティナとよく似た白い額飾りの布を巻いた男がそう訝しむ。


 片方は身なりの良い少年で、片方は職員と同じ土地の者と思われた。

 身分が高いところの家の子供が使用人を連れているというならまだ話は分かる。

 どう見ても、少年と二十歳を越えようとしている女性では、つり合いが取れていない。


「妻にする予定、です。まだ式と正式な登録を済ませていない。けど、妻には変わりがない……」


 サティナを相手にしていた時とは打って変わり、少年は態度を急変させる。

 毅然としていたあのふるまいはどこに行ったのやら。おどおどとして、自信を失い、他人と目を会わせようともしないその様は、臆病者のそれだった。

 それを見た彼女の顔が曇る。カールは肩越しにそれを見て、また嫌われる人生の始まりか、と心で自嘲気味に笑う。


 仕事のときはともかく私的な場では、彼は対人関係が何よりも苦手だった。

 職場で負け犬と揶揄されるのも無理はない。

 ここから逃げ出したいという衝動をどうにかやり過ごした。


「いやしかし、いきなりそう言われてもこちらも商売でね」

「何が必要だと、言いますか……」


 少年の発言に混じる王都独特の訛りに、男は顔を眉を寄せた。

 身分の高い存在だというのはあながち間違いでもないかもしれない、そう思った。

 こんな地方の山奥には、領主だって滅多にやってこないからだ。


「じゃあ、旦那。何か証明するものをお出しくださいな」


 からかうようにそう言い、職員はサティナに意味ありげな笑みを送る。

 恋人を誘惑されているような不快な感じがして、カールは顔をしかめた。


「……。これでいいです、か。照合する魔導具を用意して」

「これって――っ!」


 悲鳴に近い叫びが上がった。続いて、奥でのんびりと事務作業をしていた女性職員に向かい「おい、あれを持って来い! 何ぼんやりとしてるんだ、貴族様だよ。お早くしろ!」


 左手の腕に嵌まる銀環をちらつかせたら、それだけで職員の態度が一変する。

 あれ、が何を意味するのかすぐに女職員にも伝わったらしい。

 年配のおばちゃんは泡を喰ったような顔をして、建物の裏に走り込んでいった。


「一体何が起こったのですか、旦那様」

「まあ、見ていたら分かるよ」


 カールのおどおどとした態度に苛立ちを醸し出していたサティナのそれも、驚きに取って代わったようだ。

 職員たちの慌てぶりと、しばらくして出てきた長方形の木箱の中に丸くくり抜かれた筒のようなものを大事そうに手に抱え、職員は「こちらにどうぞ、お手を」と猫なで声を出す。


 それは面白いくらい、滑稽な様だった。

 カールは要望されたとおり、その筒の中に左手を入れる。

 切符を購入しようと後ろに待っていた人々が、面白そうにそれを覗きこんでいた。


 箱の中で銀環が七色の虹色に染まる。続いて箱が蒼い光に満たされて、一枚の紙が吐き出されてきた。


「……どうぞ、男爵様。新しい身分証になります。その……奥様の御記載も致しますか? ここでも可能ですが」


 確認をするように職員がその紙をカールに渡してくる。

 記載漏れがないかを眺めていたら、そんなことを言われ、「ぶっ」と吹き出しそうになった。

 サティナが小さく「えっ、ここで」と期待に満ちた声を出す。


「……家人の欄に追加しておいて。サティナ」

「はっ、はい。……何でしょう」

「ここにサインして。ほら、早くペン出してよ、船に乗り遅れる」

「ひえっ。只今!」


 と事務員に当たるように発言して、カールはサティナに見えないように微妙な顔をしてそれを正す。

 ペンを受け取り、文字を書けることを再確認して、彼女に「家人」の欄に名前を記入させた。


『配偶者』という項目ではないがこれで法的に二人は家族になった。

 もしかすれば彼女の方もいきなり『配偶者』という扱いを受けることはないと思ったのかもしれない。

 まあどちらにせよ、これで王都につくまでの仮初の関係は、実質的な家族として法的に効力を持つ関係性になってしまった。


 ああっもう。どうしてこうなるんだよ!

 我が身の不運に泣くカールを他所に、サティナは自分にも発行された新しい身分証を手にして憂き憂きとして、それまでの不機嫌さが嘘のようだった。


 仕方がない。ここで揃えられるものを揃えて、まずは贈り届けることにしよう。

 次に来る王都往きの船が到着するまで、あと一時間と少し余裕がある。

 それを利用して、カールは義母になるであろうイゼアに、結納品の代わりとしていくつかの届け物をすることにした。

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