婚約破棄からはじまる女王となった令嬢と滅びた王子の物語

藍条森也

婚約破棄からはじまる棘付きハッピーエンド第一段!

一の扉 役立たずと呼ばれた令嬢は、勇者である王子から婚約破棄され追放される


 「いま、この場にて、お前との婚約は解消する!」

 きらびやかな王宮の一角。国を襲う魔物の群れを撃退した戦勝記念のパーティー。すべての重臣や将軍たちの居並ぶその絢爛たる場で、婚約者であり、勇者でもある王子から突然、そう宣告されても、当事者である令嬢は顔色ひとつ変えることはなかった。

 「生まれる前から決まっていた許嫁だと思えばこそ、これまで婚約者として遇してきた。だが、魔王軍の脅威にさらされる我が国の現状を鑑みれば、剣も魔法も使えないお前のごとき役立たずを王妃として迎えるわけにはいかん。今日を限りに国を追放する。どこへなりと去るがいい」

 「殿下。たしかにわたしは剣も魔法も使えぬ身。役立たずと言われるなら甘んじて受けましょう。ですが、わたしのしてきたことは……」

 「くどい! もはやすべては決定したのだ。早々にこの国を出よ! せめてもの情けとして、その身に持てる限りの財産を持ち出すことは許してやろう。感謝するのだな」

 婚約者であり、勇者である王子のその言葉に――。

 令嬢(元令嬢)は深々と一礼したのだった。



二の扉 勇者である王子は、自分たちだけで国を守れるつもりでいる

 

 王宮のなかの一室。自らの寝室において、勇者である王子は癒やしの聖女と共に愛し合う時間を共にしていた。

 「よくぞ、ご決心なされましたね。殿下」

 「ああ、待たせてすまなかったな。だが、これでもう邪魔者はいなくなった。剣も魔法も使えないあの役立たずに足を引っ張られることもなくなったのだ。そなたの癒やしの魔法さえあれば、おれは何者にも負けん。この一剣をもって国民を救ってみせる」

 「はい、殿下。その通りです。世界が魔王軍の脅威にさらされるいま、必要なのはあのような無能者ではありません。癒やしの力を持つ聖女たるわたくしなのです」

 「その通りだ。おれたちふたりならできる。おれの剣とそなたの癒やしの魔法。そのふたつの力で世界を救うのだ」

 「はい、殿下。力の限り、お供いたします」



三の扉 婚約破棄された令嬢は、たったひとり、国を出る


 王都を守る堅牢たる城壁。ひときわ大きく、贅を凝らした作りの正門。婚約破棄された元令嬢はいま、たったひとり、国を出ようとしていた。あまたの重臣、将軍たちのうち、彼女を見送ろうとする者はひとりもいない。しかし――。

 その代わりと言うべきか、多くの名も無い兵士たちが彼女のもとに集まってきていた。

 「なぜ、あなたが追放されるのです⁉」

 「そりゃあ、あなたは剣も魔法も使えない。戦いの役には立てないかも知れない。でもその分、政治・経済・外交、すべての分野で国を支えてきたじゃないですか」

 「そうですとも! おれたち下っ端の兵のことまで気に懸けてくれたのはあなただけだ。あなたのおかげで、それまで使い捨て同然だったおれたちもようやく、まともな医療を受けられるようになった……」

 「ちくしょう! あの王子は分かってないんだ! 裏方の仕事がどれだけ大事か……」

 口々にそう言う兵士たちのなかに無傷の者などひとりもいない。あるいは手足をもがれ、あるいは目を失い、またある者は見るに堪えないほどの大怪我を負い……いま、この国を襲っている魔王軍の脅威がいかほどのものか、一目で分かる姿だった。

 元令嬢は居並ぶ兵士たちに頭を下げた。

 「ありがとう、皆さん。そう言ってくださるのはとてもうれしいです。でも、やはり、これはわたしの罪です。誰に認められなくても自分の役割さえ果たせればいい。そう思い、裏方の仕事に徹してきました。でも、それはまちがいでした。裏方の仕事がいかに重要かを周囲に示し、認めさせるべきだったのです。

 わたしはそれを怠りました。そのために、皆さんにまで苦労をかけてしまいました。勇者が呑気に魔王退治の旅をしていられるのはあなた方、一般兵が生命を懸けて街を、都市を、王宮を、守り抜いているからだというのに、勇者ひとりの力で国を救えるように思わせてしまった。そのために国民のために命がけで戦ってくれたあなたたちに年金すら支給できない。殿下たち、勇者一行のための装備品にかかる費用のほんの一部、たったそれだけを回すだけで、国民を守るために傷ついたあなたたちの生活を保障することができるというのに。すべては私の過ちです。どうか、許してください」

 元令嬢はそう言って頭を下げると、ひとり、国を出て行った。

 「これからの暮らしのための、せめてもの足しに」

 そう言って、持ち出すことを許された、その身に持てる限りの財産すべてを兵士たちに分け与えて。

 「なあ」

 元令嬢の姿を見送りながら兵士のひとりが言った。

 「おれたちが共に戦うべきは誰だ? 自分だけで国を救えると思っている勇者か? それとも、おれたち一般兵のことをあくまでも気に懸けてくださったあの方か?」



四の扉 見捨てられた勇者はひとりで戦う羽目になる   


 魔王軍来襲!

 いきなりのその知らせは国中を震撼させた。勇者である王子は重臣を前に叫び散らした。

 「なぜ、こんな間近に迫られるまで魔王軍の動きに気付かなかった⁉ 斥候どもは何をしていた!」

 「それが……情報を集め、魔王軍の動向を探る役割はすべて、追放されたあの方が行っておりましたので……」

 「……ええい! ならば、とにかく、兵を集めよ! 総力を結集してこの国を、王都を、魔王軍から守るのだ!」

 「それが……」

 「なんだ⁉」

 「多くの兵士があの方を追って国を出てしまいまして……。『勇者だけで世界を救えるつもりならやって見ろ』と言い残して……」

 「………」



五の扉 元令嬢は仲間たちと新しい国を作りはじめる


 元の国から遠く離れた荒れ地のなか。

 追放された元令嬢は、彼女を慕って追ってきた一般兵や平民と共に新しい国を作りはじめた。荒れ地を耕し、井戸を掘り、石を切り出して運び……元令嬢その人さえ、華奢な手をまめだらけにしながらロープを引き、石を運んだ。

 ――自分たちの国を作るのだ!

 その思いに誰もが燃えていた。



六の扉  思い上がった勇者は誰にも助けてもらえない


 魔王軍の襲撃はかろうじて撃退された。勇者である王子そのひとの奮闘と、癒やしの聖女の回復魔法によって。

 しかし、被害も甚大だった。多くの城や城塞が破壊され、残った兵士たちの大半が死に絶えた。この分では次の襲撃に持ちこたえられるかどうか。

 勇者である王子は大急ぎで伝令を送り、同盟国に救援を求めた。しかし――。

 「援軍はこないだと! どういうことだ⁉」

 「それが……同盟国との外交交渉はすべて、追放されたあの方が取り仕切っておりましたもので……我々だけではどうにも……」

 「……ええい、ならば、傭兵を雇え! 金さえ出せば喜んで戦う命知らずはいくらでもいる! 金に糸目を付けず、そいつらをかき集めろ」

 「それが……」

 「なんだ⁉」

 「国の財政も追放されたあの方の担当でしたので、傭兵を雇おうにも資金繰りが……」

 「………」



七の扉 元令嬢の国は発展を始める


 人里離れた荒野に建設された元令嬢の国。

 荒れ地のなかにいくつかの石造りの建物が並ぶだけの小さな国。

 人の数も、領土も、経済力も、軍事力も、何もかもが元の国とは比べることもできないほどに小さい、粗末な国。それでも――。

 人知れず地味に働く者をこそ厚く遇する。

 その政策によって人々の士気は高く、また、その政策の噂を聞きつけてやってくる者も数多くいた。

 元令嬢の国は着実な発展を始めていた。



八の扉 ひとりの勇者に国は救えない


 国はもはや風前の灯火だった。

 後からあとから押し寄せる魔物の群れの前に為す術もなく、蹂躙されるばかり。勇者である王子も、癒やしの聖女も、自らの持てる力のすべてを振り絞り、国民を守るために必死に戦った。しかし――。

 魔王すら倒す力を持った勇者も、無尽蔵に湧き出る魔物の群れを相手に戦いつづけることはできない。食べる間もなければ、眠る間もない。延々と戦いつづけることを強いられ、消耗していく。

 自分が勇者でいられたのは、無限に湧き出る魔物どもと戦ってくれる一般兵がいてくれたおかげなのだ――。

 勇者である王子がそのことに気付いたときにはすでに遅かった。疲れはてた勇者である王子はほんの一種の睡眠と引き替えに、名も無き魔物の群れに食い殺された。



九の扉 元令嬢は大国の王から求婚される


 荒れ地のなかに生まれた元令嬢の小さな国。

 その国の噂はとある大国の元にも届いた。

 「ほう。そんな国が出来たのか。それは興味深い」

 大国の王は自ら元令嬢の国に出向き、その目で確かめた。

 「なるほど。これは素晴らしい国だ。たったひとりの勇者を崇めるのではなく、人知れず自分の役割に尽力する名も無き人間こそを厚く遇する。そのために誰もが己の役割に誇りを持ち、職務を全うする。なればこそ、この程度の小さな国でも魔物の群れと戦えるわけだ」

 大国の王は元令嬢に面会を申し入れた。そして、言った。

 「魔王軍の脅威にさらされる今の世のおいては、あなたのような方こそが必要とされているのです。どうか、私と共に世界を守るために戦っていただきたい」

 そして、ふたりは結婚した。

 ふたつの国はひとつになった。大国が元令嬢の国を吸収したのではない。対等な立場で合併したのである。

 連合王国の誕生だった。



一〇の扉 そして、癒やしの聖女は屍をさらす


 その国は滅びた。

 勇者である王子亡き後も癒やしの聖女は自らの力を駆使し、抵抗を続けようとした。しかし――。

 国はすでにボロボロだった。使い捨ての駒にされることを拒んだ兵士や平民たちは皆、逃げだし、残ったのは能も無いくせに家柄だけで高い禄を食んでいた重臣や名ばかりの将軍だけ。国はたちまち魔物の群れに飲み込まれ、廃墟と化した。そして、癒やしの聖女は――。

 魔物たちに陵辱され、無残な屍を廃墟にさらした。



 最後の扉 女王となった元令嬢は、棘の刺さった幸福を噛みしめる


 大国は未曾有の繁栄を遂げていた。

 人知れず地味な働きをする者をこそ厚く遇する。

 元令嬢の国の政策をそのまま引き継いだことで、いままでになく人々の志気は高まり、多くの移住者がやってきた。気がつけば最大の国となり、対魔王軍の象徴とも言える存在になっていた。そして、ついに――。

 全人類軍を率いた最後の戦いにおいて勝利し、人の世から魔王軍を追い払った。念願であった『安心して暮らせる世界』を手に入れたのだ!

 人々が喜びに沸き立つなか――。

 いまや女王――王妃ではない。男王と同等の権限を持つ『もうひとりの王』である――となった元令嬢は、優しく、誠実で、常に敬意を払ってくれる夫と、かわいい子供たちに囲まれ、幸福な日々を送っていた。けれど――。

 その幸福には抜くことのできない小さくとも鋭い棘が刺さっていた。

 「……わたしは結局、自分の生まれ育った国を守ることができませんでした」

 「それは、あなたのせいではありません。人知れず地味に働く者を評価しようとしなかった、勇者である王子が愚劣であったのです。あなたは自らの知恵と献身によって人の世に安全をもたらした。そのことをこそ誇ってもらいたい」

 優しい夫の言葉に女王となった元令嬢は小さくうなずいた。それでも――。

 やはり、彼女の幸福には一本の棘が残るのだった。

                     終

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