第5話 一つの日常が終わる時

 テノルが暮らすアーランドの村から少々離れ、森を越えた先。そこに、一つの町があった。


 目立った特産もなく、テノルの両親のような強者が住んでいるわけでもないが、長らくこの地域一帯で消費される穀物の生産を担う食糧庫の一つであったために、常駐する冒険者や兵士もそれなりにおり、簡素ながら対魔物用の防壁すら築かれている。


 そんな町が今、炎に包まれていた。


「隊長!! もうダメです、この西門は放棄して、撤退しましょう!!」


「バカ野郎!! 逃げるったってどこに逃げる!? 町の出入り口は全部クソッタレのゴブリン共が押し寄せてんだぞ!!」


 東西南北四ヵ所に、町の外へと続く門がある。しかし現在、それは全て押し寄せるゴブリンによって封鎖されていた。


 殺しても殺しても、途切れることなく続く緑の津波。明らかな形勢不利だが、救援を呼ぶ余地すらない。当然、町の住民を避難させる余地も。


 せめてパニックだけは避けようと、家の中で待機するよう指示を出したのだが……そんな彼らの努力を嘲笑うかのように、防壁の外から飛来した無数の火矢。


 家を焼け出される者が続出し、町中が混乱の渦に呑み込まれるのに時間はかからなかった。


「隊長!!」


「今度はなんだ!?」


「門が……町の東門が、ゴブリン達に突破されました!!」


「バカなっ、こんなに早く!? 東門には、Bランクの冒険者パーティがいたはずだろう!?」


 冒険者は、身分の保証などと引き換えに魔物討伐の義務を負った者──すなわち、対魔物専門の傭兵達を指す。


 その実力はランクによって区分されており、Bランクともなれば相当な腕利きだ。このような片田舎の町では、事実上の最高戦力と言っていい。


 そんな者達が守る門が、早々に陥落した。

 信じられない報告に耳を疑う衛兵隊の隊長だったが、続く言葉には納得せざるを得なかった。


「その……どうやら、炎に追われて町の外に出ようとした住民と問答になり、その隙を突かれたようで……!」


「……クソッタレが!!」


 そうなってしまうのも、理解は出来る。

 昼間ならばまだしも、今は夜中だ。炎から逃れようと闇雲に走った先に兵士や冒険者がいれば、その先で起こっている戦闘に気付かず助けを求めてしまうのも、仕方ないことだろう。

 状況も掴めず、パニックになって視野狭窄を起こしている町の住民に理性的な判断を求めるなど、端から無理な話だ。


 だからこそ、どうしても罵倒が口を飛び出す。


 この流れの全てが、ゴブリン達の作戦通りであろうと、分かってしまうだけに。


「一体、どれほどの個体がこの群れを率いているんだ……!?」


 ゴブリンキングそれ自体は、定期的に出没する。

 群れが大きくなれば、村や町が襲われて被害を受けることもあるが……それにしたところで、ここまで大規模で戦略的な襲撃は聞いたことがない。


 これはもはや、ゴブリンキングなどという枠に収まらない。もっと上位の──


「なんだ、ここはまだ突破出来てないのか。あまり時間かけてんじゃねえよ、雑魚共が」


 そんな隊長の耳に、流暢な人の言葉が聞こえて来た。

 見れば、それまで本能のままに突撃を繰り返していたゴブリン達がその手を止め、声の主に道を譲っている。


「仕方ねえ、俺がこの手で終わらせてやるか。てめえらは下がってろ」


 現れたのは、大柄な一体のゴブリン。

 通常のゴブリンが人の子供程度の身長しか持たないのに対し、その個体は大人の男性と比較しても遜色ない体躯を誇っている。


 何よりも恐るべきは、ただ歩いているだけで全身から滲み出る、その膨大な魔力。

 今まで感じたこともないその力を肌で感じ取り、隊長は確信した。


 間違いなく、こいつが群れのキングなのだと。


「総員、ここが決戦の場と心得よ……! 何がなんでも、この化け物を仕留めるぞ!!」


 キングに率いられたゴブリンの群れは強力だが、トップを失えば瞬く間に瓦解し、烏合の衆と化すという明確な弱点がある。


 門が一つ突破されたようだが、まだ最悪ではない。ここでキングを仕留めれば、まだ巻き返せる。


 そんな隊長の覚悟を、隊員達もまた感じ取ったのだろう。全員が己の武器を握り締め、大柄なゴブリンへと殺気を飛ばす。


「あぁん? ……あー……」


 一方、そんな衛兵達に囲まれたゴブリンはと言えば、何やら首を傾げた後、面倒臭そうに頭を掻き──


「まあ、どうでもいいか、死んどけや。《壊擊波》」


 無造作に振りかぶった巨大な棍棒を、地面へと叩き付ける。


 その瞬間、隊長の視界が爆ぜた。


「……え?」


 何が起きたのか、さっぱり分からなかった。

 ただ、気付けば自分の体が空高く打ち上げられており、やがて受け身も取れずに地面を転がっていく衝撃に打ちのめされる。


「ぐはっ!? ぐっ、う……一体、何が……?」


 恐る恐る、隊長が視線を上げる。

 そこには、これまでと変わらず棍棒を担いでこちらを見下ろすゴブリンと……。


 粉々に粉砕された門の残骸、そして、全滅した部下達の亡骸が転がっていた。


「……は?」


 今度こそ、何がなんだかさっぱり分からなかった。


 何らかの攻撃を受けたのだ、ということは理解出来る。弾け飛んだ地面のクレーターを見れば、ゴブリンがその棍棒で地面を叩き、発生した衝撃波で以て周囲のものを薙ぎ払ったのだろうと推測も出来る。


 だが、それこそあり得ない。隊長はこれまで、一度だけゴブリンキングの討伐に参加したことがあったが……これほど圧倒的な力は有していなかった。


「なんだ、もう終わりか? 随分と弱えな、つまらん」


 勝てるわけがない。

 隊長の心を、絶望が支配する。

 だが、それでも……と、彼は歯を食い縛って立ち上がった。


「なんだ、まだやるのか?」


「当然だ……貴様さえ倒せば、この戦いは終わるのだからな……!」


 刺し違えてでも、否……たとえ勝てなくとも、他の誰かがこの化け物を仕留める助けになるように、少しでも手傷を負わせてみせる。


 そんな決意を見せる隊長に……ゴブリンは、腹を抱えて笑い出した。


「何が可笑しいッ!?」


「クハハハハ!! いやなに、お前が随分と勘違いしてるみてえだから、それを思うとつい笑っちまってな」


「勘違いだと……?」


「ああ。お前は俺をキングだと思ったようだが、違う。俺はあくまで、キングの従者……ゴブリンナイトだ」


「な、そん……」


 そんなバカな、と、隊長は叫びそうになった。


 あり得ない。これほどの力を持ちながら、まだ頂点ではない。もっと上がいる。


 そんなの、どうやったって勝てるわけがないではないか。


「分かったか? 分かったら……絶望の中で、死んでいけ」


「あ……あぁぁぁぁ!!」


 悲鳴のような絶叫を上げ、最後の一撃をキング……否、ゴブリンナイトへと放つ。


 勝ち目がないのは分かっている。希望のひと欠片すら何も残っていないと分かっている。


 それでも……町に残してきた妻と娘のために、何もせずただ黙って殺されることだけは出来なかったのだ。


 そんな、隊長の全身全霊を懸けた決死の攻撃は、ナイトの体表に傷一つ付けることすら叶わず──隊長の体は棍棒によって叩き潰され、完全に絶命した。





「……終わったか」


 衛兵隊長を屠ったゴブリンナイトは、町の中へと足を踏み入れた。

 その先で待っていたのは、ナイトよりも更に一回り大きい、ゴブリンの巨人──本物の、ゴブリンキングだった。


「はっ、こちらはさほど大した敵もおらず、問題ありませんでした」


 キングの周りには、既に同格のナイトが三体跪いており、彼もそれに倣って首尾を報告する。


 しかしその中で、彼は少々失敗したなと心の内で舌打ちを漏らした。

 他のナイト達が、それぞれキングへの献上品を手にしていたからだ。


 この町で最高戦力だったBランク冒険者達の装備品、あるいは町を治めていた領主の首。そして……見目麗しい、一人の女だ。


「……なんでそんなもん連れて来てんだ?」


 手ぶらなのはマズかったか、と考えるナイトだが、献上品に女を選んだ同僚を見て、思わずそう問い掛ける。


 大して、その同僚は肩を竦めつつ答えた。


「俺の担当した場所は大した戦利品もなかったからな、代わりにそこら辺で拾ってきた」


「拾ってきたってお前な……」


 ゴブリンは、雄しか存在しない魔物だ。

 他の生物の腹を使ってしか個体を増やせず、特に女神の加護を受けて育つ人間の女からは強靭な個体が産まれるため、貴重な"資源"であることは間違いない。


 が……それはあくまで、下級のゴブリンの話だ。キングの子を孕ませるとなれば、受け入れる側にも相応の頑強さが必要なため、そこらで適当に拾った女では意味がない。


 そうでなくとも、キングは下級のゴブリンほど性欲は強くないのだ。それなのにどうして……と考えるナイトだったが、彼の指す"そこら辺"にある瓦礫の山に意識を向けた瞬間、その疑問は氷解した。


(こいつ……よくそこまで頭が回るな……)


 同じナイトでありながら、自分より頭が回る同僚に呆れの目を向ける。


 そんな中で、捕らわれている女が口を開いた。


「何を喋ってるのよ……私を慰み者にするんでしょう? やるなら、早くやりなさいよ……!」


 恐怖に震えながらも、女はキングを睨み付ける。


 何の力もない、一般人の女でありながら、ただそこに存在するだけで凄まじい重圧を振り撒くキングを前に虚勢を張れるだけ、大した精神力だ。


 そんな女の気丈な姿に、キングは初めて笑みを溢した。


「この俺を前に、それだけの口が利けるとはな……気に入ったぞ」


「あんたなんかに気に入られても、嬉しくないわ……! 地獄に落ちなさい!」


「ククク、そう言うな。俺はな、お前のように気の強い女が好きなのだよ。心が強い者であればあるほど……」


 キングが、指先に魔力を込める。

 攻撃されると思ったのだろう、ぐっと身を強張らせるが……放たれた魔弾は、彼女とは全く違う方向に飛んでいく。

 先ほど、この女を連れてきたナイトが語った瓦礫の山。それを貫通したのだ。


「その心が絶望に染まった時の悲鳴が、より甘美な音色を奏でる」


「えっ……あっ……」


 端から見れば、何の意味もない攻撃だ。しかし、女はその一撃でみるみるうちに顔を青ざめさせ……崩れた瓦礫から静かに血が流れて落ちていくのを見るや、一心不乱に駆け出した。


「い……いやぁぁぁぁ!! ハナぁぁぁぁ!!」


 掌が傷付くのも厭わず、力付くで瓦礫を退けた先。小さく囲うように作られた空間に、幼い娘が横たわっていた。

 恐らく、女がその手で隠したのだろう。せめて娘だけでもゴブリンに見付からないようにと、祈りを込めて。

 そんな娘が、キングの放った魔弾によって胸を貫かれ、即死していた。


「なんで、どうして……!! いや、ハナ、ハナぁ……!! あぁぁぁぁ!!」


 どこからどう見ても死んでいる娘の亡骸を抱いて、泣き崩れる女。そこにはもう、キングを前にしても動じなかった強さなどどこにもなく、狂ったように叫び続ける。


 そんな女を眺めながら、キングは嗤っていた。

 心の底から、愉しそうに。


 そう……このゴブリンキングの心を満たすのは、性欲ではない。

 人が上げる悲鳴。それも、体ではなく心が壊れる瞬間に上がる、魂の断末魔だ。


「やれ」


 やがて、キングの指示で下級のゴブリン達がけしかけられる。

 群がる獣達に嬲られ、もはや完全に心を壊した女は……それでも、娘の亡骸を守るように抱き続けていた。


 バカな女だ、と、ナイトはその姿をせせら嗤う。


「キング、この後はどうしますか」


 見世物を終え、程よくキングが満足したところで、ナイトは問い掛ける。

 それを受けて、キングも嗤うのを止めて思考に耽る。


「ふむ……確か、"あの御方"の話では、この近くにもう一つ村があったはずだな? 人の英雄が住むという」


「はっ。それについて、実は一つ耳寄りな情報が」


「ふむ? なんだ」


「その英雄の娘ですが、近郊の森で一人魔物狩りをするのが日課のようです」


「ほほう……」


 英雄の娘と聞いて、キングの瞳が再び嗜虐の色を帯びる。


 新たな玩具を見付けたと言わんばかりのキングに、ナイトは進言した。


「その娘を、この俺が捕らえて参りましょう。それを以て、英雄の村へ侵攻するのが良いかと考えます」


「ふむ、いいだろう。任せたぞ」


 キングからのお墨付きを得て、ナイトは嗤う。


 この群れのゴブリン達にとって、キングからの寵愛こそが最も価値あることだ。よりその力を認められ、目を掛けられるほど、キングの持つスキル──《群体強化》の影響を強く受け、己の力を増すことが出来る。


「はっ! 必ずや期待に応えてみせます!」


 町の西門攻略を担当したこのナイトに、戦利品と呼べる物は少ない。精々、衛兵隊長が所持していた槍くらいのものだ。


 だが、もしこれで英雄の娘を捕らえることが出来たなら、キングからの評価も一気に上がるだろう。他のナイトを抑えて、次代のキングとなることも夢ではない。


 それに何より……ナイト自身も、キングと同様に楽しみだった。


 娘を人質に取られ、何も出来ず嬲られた英雄が、最後に目の前で娘を惨殺された時、どんな表情を見せるのか。


「待っていろ……今、俺が迎えに行ってやるからなぁ……」


 じゅるり、と舌なめずりしながら、ナイトは部下のゴブリン達を引き連れ出発する。


 アーランド村近郊の森……テノア・アーランドが秘密の特訓の利用する、その場所へと。

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