第10話 托卵?

 僕は共犯者である愛朱夏を蒼依のアパートに潜り込ませていた。潜り込ませていたっていうか、この時代の人間じゃない彼女が身を置く場所なんて、そもそもあそこしかないんだけど。うちの場合では愛朱夏のことを親に説明しても信じてもらえないだろうが、あいつは一人暮らしだからそこら辺の面倒くささを省くことができる。

 消去法的な処遇ではあったものの、結果的に都合の良い形に収まったわけだ。これによって自然に蒼依の動向を探れるし、逆に愛朱夏を通して、「僕が考えを改め蒼依を愛し続けている」という虚偽の情報を伝えられる。

 ……後者については僕が直接そう伝えればそれで済む話だし、表面的にはそんな演技をすることだって不可能じゃないはずなのだが……幼なじみのあいつを欺き続けるのはそう甘くない。半端な覚悟ではダメだ。でも、四六時中この激情を抑えつけて一ミリも表に出さないような真似は、少なくとも今はまだ難しい……。情けないけど、まだ僕は絶望に慣れることができていない。くだらない希望に、どうしても手を伸ばしかけてしまうのだ。

 そう、まさに今、このときのように。

 衝撃の二学期初日登校を終えた夕方、僕は昨日までの日常と同じように、「恋人」のアパートを訪れていた。僕と蒼依と愛朱夏、親子そろって仲良く卓を囲んでいる。

「嬉しいわ……愛一郎が戻ってきてくれて……!」

 姿勢よく座布団に座って、声を震わせる蒼依。その美しい涙が、頬の『愛一郎専用』を伝って超ロングスカートの太ももに落ちる。楚々とした居住まいと主張の激しいビジュアルがミスマッチ過ぎて目眩がする。

「君のイメチェンはもう戻ってこられないソレだけどね……」

「あら、でも愛一郎は髪色なんて気にしないでしょう? それにもともと金髪はあなたが愛朱夏に薦めたものじゃない。実は私もそれを聞いて思い付いたのよ。娘を守るため、男除けとしての手段として提案したわけでしょう? でも十二歳で金髪は早いわよ。だから母親である私が採用しました」

 何が「だから」なのかわからん。そして派手髪だけなら男除けになるのかもしれないが、お前のはフェイスペイントが相まって人類除けになってるんだよ。

「…………」

 さり気なく愛朱夏に視線を送ると、気まずそうに目を逸らされてしまう。ちなみにその髪型は黒髪ツインテールだ。僕が昨夜出した指示は蒼依と被らせるなというものだったわけだから、まぁ妥当な選択だ。

 とにかく、蒼依に金髪の権利を掻っ攫われるなんていう事態は僕も愛朱夏も想定していなかったことなのだ。うん、想定できるわけがない。

「ちなみに貞操帯については既製品をアマゾンで注文しておいたわ。届くまでは手作りのこれで我慢するから鍵を失くさないようお願いね?」

 想定できるわけがないのだ、マジで。

 美意識とか周りからの評価なんて全部かなぐり捨てて、蒼依は未来を変えようとしている。僕と愛朱夏がいくら妨害しようとしても、もしかしたら本当にこのまま浮気・心中を防がれてしまうかもしれない。少なくとも、こいつは本気だ。

 そこに僕は、情けなくも心を動かされてしまうのだ。たとえ未来を変えたところで、別の時間軸のこいつは僕を裏切った。それを許してはならないというのが、僕とあの日の蒼依の約束のはずだったのに、僕は今この日の蒼依を許してしまいそうになっている。

 だって、いいじゃないか、あんな誓いを生み出した蒼依自身がそれでいいと言っているのだから。僕たちが確かに生きてきたこの世界で蒼依は僕を裏切ったことがなくて、これからも僕を裏切ることなくこの時間軸を歩いていく。なら、僕も蒼依を愛し続ければいいじゃないか。

 そんな麻薬のような甘い囁きに僕は負けそうになっている。復讐なんてするよりも、そっちの方が幸せに決まってる。あと一押しあれば、僕はもうそんな欺瞞に、縋ってしまうかもしれない。

 蒼依から一言があれば……いや、そもそも昨夜のあのとき。愛朱夏から未来の浮気を聞かされたときに言ってくれれば、たぶんそれで終わりだった。そして蒼依にはそれが言えたはずだった。ここまでの覚悟を示すことができる蒼依に、言えないわけがなかった。言ってくれなかった理由がわからない。

 ――浮気なんて『絶対』に一生するわけがない――と。

 平然な顔でそう全否定してくれれば、僕は未来人より蒼依を信じたと思う。タイムスリップは信じても、浮気については信じない。十二歳の愛朱夏が母親を亡くした混乱でおかしな勘違いしてしまったのだと考えて、心中ではなく別の原因で死ぬことになる蒼依の命を救うために、未来を変えようと奮闘していたはずだ。

 浮気なんて未来は百パーセントどの世界にだって存在するわけがないと、それが当たり前だと信じ続けていたはずなんだ。

 僕がそうすることくらい、君にだってわかったはずじゃないのか?

 それなのに、何で……

「何で、全否定してくれなかったんだ……!」

 思わず声として零れ落ちてしまったそんな言葉に、蒼依は大きく目を見開き――そして弱々しく俯いて、

「それは、出来ないわ」

「何でだよ! できるだろ! 簡単だろ、そんなこと!」

「簡単よ、言葉にするだけなら。でもあなたが『絶対』なんていうものを信じてしまっている以上、私にはそれは使えない」

「何言ってんだよ、マジで……全然答えになってないだろ! 何で使えないのかって聞いてるんだ、僕は!」

 何やってんだ、は僕に対して言うべきだ。こんなことしてる場合じゃないだろ。黙ってニコニコして、こいつを信じ切ってるフリをしてればいいんだ。

 それなのに。

「使えないのよ……私には、その資格がないから……」

「はぁ!? 資格って……意味わかんねーよ! 本当に僕のことが好きなら! ずっと愛してくれる自信があるなら! 世界一綺麗なその顔にタトゥー入れる程の覚悟があるなら! 胸張って『絶対』って叫べばいいだろ!」

 それなのに、頭は熱くなるばかりで。体は震えるばかりで。声は荒れていくばかりで。

「……無理よ」

「――――なん、で……」

「私の中に、絶対なんてものは無いと、もう証明されてしまったの」

「…………っ、お前マジでもういい加減に――」

「やめてください!」

 その悲痛な声に、僕も蒼依も振り返る。

 両手で顔を覆って、愛朱夏が肩を震わせていた。

「もう、やめてください、パパもママも……二人には仲良しでいてもらわないと……これ以上、わたしのせいで二人が……っ」

「愛朱夏……」

 蒼依がそっと、顔を隠したままの愛朱夏を抱き寄せる。

「ごめんなさい、ママ……ちょっとだけパパと二人にさせてください……ママとはこのお家でいろいろゆっくりお話できますけど、パパとはそうはいかないので……わたしがちゃんと、二人の未来を変えてみせますから……! そのために、苦労してここまで来たんですから……!」

「愛朱夏……分かったわ……。今はまだ、私の言葉なんかで愛一郎の気持ちを動かすことは出来ないから……でも、あなたはパパと二人きりの時間を楽しんでくるだけでいいの。無理なんてしないで。責任なんて感じないで。もう危険な真似なんてしないで。大丈夫、私が態度で示してみせるから。任せなさい、母親だもの」

「ママ……っ、ありがとう、わかりました……っ」

 慈愛に満ちた表情の蒼依に撫でられて、愛朱夏は名残惜しそうにその抱擁から離れる。

 昨日初めて逢ったばかりの愛朱夏に対しての、この蒼依の強い母性・肉親としての責任感――その所以が僕には分かる。初めて逢ったのに、初めて逢ったような気がしないからだ。

 僕も同じだった。あの神社での奇妙な邂逅――あの瞬間、僕は出会ってはいけないものに出会い、それと同時に、ずっと待ち望んでいた人とやっと会えた気がしたのだ。

 それはやっぱり、こいつが未来から来た僕たちの娘だからなのだろう。未来人との出逢いは運命を歪ませるタブーであるけど、蒼依との子供と出逢う未来はずっと待ち望んでいたことだ。

 あの未来を聞かされるまでは。

 僕はこのガキに不思議なほど強い執着心を持っている。蒼依への復讐のための道具という価値を抜きにしても、だ。完全に自分のコントロール下に置いて、二度と手放してはいけないという強迫観念に駆られてしまう。

 これは、蒼依が抱いているであろう、肉親に対する無私の愛情とは、別種のものなのだろうか。

 だとすれば、その微妙な違いは一体どこから――、

「じゃあ、行きましょう、パパ」

「――――」

 全身が、粟立つ。

 蒼依に背を向け、覆っていた両手を外したそいつの顔が、人形のような無表情だったから。

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