第31話 セールス
人間は、図太くて強かな生き物だ。
自らの生活を守り豊かにする為なら、あらゆるものも利用しどんな事だろうとやってのける。
勿論呆気ない最期を迎える事もあるが、その執念は他の生き物より遥かにしぶとい。
ゴキブリは人類が滅亡した後も生き残ると聞いた事はあるが、そんな事はないと思う。人間が先に滅亡するなんてあり得ない。どんな手を使ってでも生き残るだろう。
それだけの強い欲望とそれを叶えるだけの知恵が人間には備わっているのだ。
こんな仕事をしている私が言うのだから間違いはない。
「……今回ご紹介する商品はこちら、エンカウント保険です。従来の保険では補償できない、エンカウント時の死亡に対応しています。詳しい契約内容はこのパンプレットで説明させていただきます」
「…………」
昼時、提携している企業の食堂。
そこには完璧な営業スマイルで仕事をする私がいた。ただ、スマイルはあくまで印象を良くする為であり、実際は笑える心情ではなかった。
それというのも、相手は乗り気でないのが見てとれるのだ。実に興味無さそうに缶コーヒーを飲んでいる。スマホをいじってないだけマシだが、時間を取られて不機嫌な様子だった。
「このご時世、いつなにが起こるか分かりません。ご契約頂ければご家族の方も安心です」
「……いえ、結構です」
「……そうですか。こちら、よろしければどうぞ。では、またの機会に」
一応ダメもとで粘ってはみたものの、結局契約は取れず、団扇とカレンダーを置いて帰るしかなかった。毎度の事ではあるが、やはりこの世の中は世知辛い。
あの変化の日以降、エンカウントに関わる仕事は幾つも生まれていた。
護衛。指導。研究。どれも必要性があったから生まれたのだ。
勿論このエンカウント保険もそう。もしもの時への備え、それから会社の利益に必要だ。
これについて感情的に思うところはあるものの、だからといって文句を言うつもりはない。
エンカウントは人生における障害の、その内のたった一つでしかないのだ
そして人間はこれまで、あらゆる障害を利益の為に利用してきている。
だから多大な変化と犠牲をもたらしてきたエンカウントであっても、強かな人間に利用されるのは自然な流れだと言えるだろう。
人間がこんなに図太くて強かだったのは、魔王にも予想外だったに違いない。
辺りはコンクリートもアスファルトも見えない、現実からかけ離れた暗い空間。
次の「お客様」の所を目指していた私だが、その前に魔界に飛ばされてしまっていた。
生きて戻るには戦わなければならない。ただ、基本インドア派な私は戦闘については少々人より苦手。気が乗らない。
しかもエンカウントしたのはたまたま人が少ない道を通った時だったので、仲間となる同行者は一人しかいなかった。これでは負担が増える。余計に沈んだ気分になった。
ただ、さっき契約が取れていれば、また違う気分だったのかもしれないとは思う。
幸運な事に一緒に来た男の方はやる気に満ち溢れているようだった。彼は数歩前に進み出ると、自信ありげな顔で振り返る。
「ふむ。装備を見たところ、お互いに接近戦向きのようですね。私が最初に突っ込みますのであなたは隙をついて下さい」
「あ、はい。お願いします」
同行していたのは体格の良い筋肉質な男。彼は全身甲冑を身に付け、大きな剣を背負っていた。
そして私は同じく鎧を纏い、長い槍を持っていた。
限られた状況では、こんな作戦になるのも自然な流れか。前に出てくれるというなら、勿論異論は無い。
「では、行きます!」
男が野太く吠え、突撃していく。
その向かう先は豪華な装飾のされた宝箱だ。
荒野にポツンとあるそれは怪しい事この上ない。昔からこの手のRPGはやってきたから想像はつく。
ミミック。
これ自体が今回の魔物らしかった。
「ふうぅ……はああっ!」
甲冑の男は先手必勝と言わんばかりに攻撃を仕掛けた。
全力疾走の勢いをもって、宝箱に大上段から大きな剣を叩きつける。
轟音と爆風が発生。その威力に耐えかねた蓋がヒビ割れた。しかし両断には至らない。
男は一度剣を引く。斜め後ろからは悔しげな渋い顔が見えた。
と、その時。
宝箱の蓋が自ら開いた。そして中身が姿をあらわす。
出てきたのは、妙な質感を持つ真っ黒な手の束だった。
「むうっ!?」
予想外だったか男が驚き、動きが一瞬止まった。
その硬直は命取り。易々と何本もの手に脚を掴まれ、無様に転ばされる。
だが、彼はまだ自信ありげな表情を失っていなかった。
「私は大丈夫です! 今の内に!」
「……は、はいっ!」
私は気迫に押されるように、というより命じられたように行動を起こした。正面を避け、魔物の後方に回り込む。
そこから私は攻撃。ヒビ割れた蓋を、自分としてはあの男にも負けないつもりで突いた。
ただ、魔物は甘くなかった。
真っ黒な手は蛇のようにうごめき、槍を掴んで止める。そして力ずくで奪い取ると、遠くへと放り捨ててしまった。
「あ……」
そして今度は、相手の反撃。
狙われたのは鎧に覆われていない箇所、首筋。
強い力で首が絞められる。息が出来ずに苦しい。逃れようと指を引き剥がそうと足掻くも、全く外せない。
視界がぼやけていく。意識が朦朧としていく。
私の最期はこんなにも呆気ないのか。
もしもに備えた、保険。
そんな今現在には無駄な言葉が浮かんだ。
自分自身には、何の役にも、
「……っ! ばはあっ! はあっ、はあっ!」
急に圧迫感が消失した。
喘ぎながらふらつき、ドサリと地面に尻餅をつく。強烈な喉の締めつけから解放され呼吸が楽になる中、男らしく太い声が届く。
「大丈夫でしたか!?」
助かったのは男が黒い腕を断ち切ってくれたおかげだった。
大剣を軽々と振り回して。しかも黒い手に脚を引きずられたまま、強引に逆らってだ。
彼は続いて剣を引き、腰を捻る。そして雄叫びをあげ、戦士らしく渾身の一撃を見舞った。
「はああっ!」
その凄まじさは風圧となって地べたに座る私にも伝わった。反射的に顔を腕で覆ってしまう程。
その腕をどかして見れば、黒い手の束は全て半ばから断たれ、箱と蓋は二つに分断されていた。蓋の方は彼方へと吹っ飛んでいる。
豪快な力を見せた彼は両手で逆手に持ち変え、下へ。手の根本、宝箱の中へ突き刺す。
木材が砕ける音がした。
そして首にぶら下がったままだった黒い腕が霧散したから分かる。これで魔物を倒す事が出来たのだ。
助け合い。協力。思いやり。善意。
今回私が助かったのはそれのおかげだ。
人間という生き物は図太くて強かだ。生活を守り豊かにする為には何でも利用する。それだけの欲望と知恵がある。
だが、それを他人の為に使う場合があるという事もまた、事実に違いなかった。
「いやあ、最後は助かりました。あなたがいなければどうなっていたか」
「いえいえ、お互い様ですよ」
アスファルトの上、ビルの谷間。そこは見慣れた現実の景色。
元の場所に戻った私たちは朗らかに言葉を交わしていた。
礼儀以上に、親しみを込めて。もしかしたら今後お客様になるかもしれない、という打算がある事は否定しない。
だが、助けられた感謝の気持ちに嘘はなかった。
「僕は昔から運動が苦手でしてね。エンカウントも他の方に頼りきりな有り様で」
「それは心配ですね。一人だった時にどうなるか」
「ええ。僕自身、毎日が不安です」
「だったら、ちょうどお勧めしたい話があるんですよ」
途中までは本当に和やかな会話だった。
ただ、男がそれを口にした次の瞬間、急に寒気がした。
彼の顔が、既視感のある笑顔になったせいだ。
何処で見たか。鏡の中だ。
そう、あれは私も得意な、完璧な営業スマイル。
そんな笑顔で差し出された手には、一枚のチラシがあった。
「私はジムを経営しているんですが、そこではエンカウントの対策を教える教室も開いてましてね。あなたもどうです? これもなにかの縁です。入会費諸々サービスしますよ!」
ほら見ろ。
やっぱり
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