第29話 喪失者(後編)
「わっ……このパスタすっごく美味しい……!」
テーブルの上にあるのは、安アパートに似合わないような手のかかったパスタ。それを食べたアタシは年甲斐もなくはしゃいでいた。
お世辞ではない素直な感想を聞いて、年下のシェフ、宇佐見は嬉しそうに微笑む。
「お口に合って良かったです。自信作なんですよ、それ」
「ホントに上手ねー。これでまだ学生なんだから驚きだわー」
「ありがとうございます。デザートにはチーズケーキもありますよ」
「それも楽しみ!」
賑やかに進む、二人だけの食事会。
これは自殺願望を誤魔化す為に引き受けざるをえなかった勉強のお礼。あるいはアタシの考えを変えさせる為の工作だった。
とはいえ、そんな事情を一旦置いておけるくらいには満足感がある。
お隣さんの料理はただ空腹を満たすだけでなく、想像以上に美味しかったから。寂しさや虚しささえも埋めてくれるかのよう。
ただ――
ふと冷静になると、ちょっと疑問に思ってしまうのだ。
うん。
アタシは一体、何をしているんだろう。と。
お隣さんからの提案を受けてから五日目。
やっぱりアタシは死ねていなかった。
毎日こうして勉強や食事会で一緒にすごしているせいだ。おかげでエンカウントでも共闘になってしまう。
あの子は直接「死ぬのはよくない」的な発言をしてくる事はない。だけど勉強を教える時間が少ない割に食事会が多かったり、エンカウントで危険な役回りをやりたがったりするところから止めようとしているのは確かだ。
でも、アタシはまだ諦めていない。
確かに問題の一つは解消されたし居心地は悪くないけれど、死にたい思いは残っていた。
だって虚しいから。
この関係は所詮仮初めの繋がり。喪失感を完全に消すには弱過ぎる。
それにこのままあちらの目論見通りになるのは癪だ。ぶっちゃけそんな意地もある。
だからアタシは、この子を出し抜く機会が来る事を祈る。チーズケーキを美味しく食べながら。
それが、まさか通じるとは。
ふと気づいたら、アタシ達は死ぬのに相応しいようなおぞましい景色に立っていた。
魔界だ。エンカウントである。
前方には木材とボロきれで作られたカカシみたいな物がいた。何故か動く両手には、それぞれ草刈り鎌を持っている。これが今回の魔物らしい。
「油断しちゃ駄目ですよ。見た目があんなのでも、魔物なんですから」
「分かってるわよ」
「なら大丈夫ですね。今日は疲れてなかったみたいですし?」
宇佐見は澄まし顔で含みのある発言をしてきた。
これが嫌みや、皮肉。あれだけ食ったんだからその分働け、って意味ならまだよかった。だけど恐らく違う。
言い訳はさせないぞ。
そう警告しているのだ。諦めていないのはあちらも同じか。
全く手強い。口には出さず、態度にも出さず、アタシは静かに槍を構えた。
「行きますよ、お姉さん!」
厄介な隣人は剣を構え、駆け足で突撃していく。仕方なくアタシはその後ろに続いた。
ここしばらくずっと後ろから見ていたけど、宇佐見はなかなか強かった。大抵の相手は軽々とこなすくらいに。
だけど今回は特殊なケースだ。棒の一本脚でピョンピョン跳ねるカカシの魔物なんて初めて見る。奇妙で変則的な動きは予測が難しくて捉えにくい。
だから、どうしても戦い辛さがあった。
宇佐見も惑わされるのか、剣を外している。縦に振っても横に振っても、空を切らされるばかり。
アタシの槍なんてもっと役立たずだ。全く向こうの動きについていけてない。
魔物のおかしな動き方は、アタシ達をからかって遊んでいるようにも感じる。まるでタチの悪い悪戯小僧だ。
そして攻勢に回れば、カカシは想像以上に器用だった。
「あっ!」
草刈り鎌を巧みに使い、宇佐見の剣を絡めて手からひっぺがした。振り切って止まった瞬間を狙われたのだ。
得物は明後日の方向へ飛んでいき、残ったのは丸腰の女の子。
容赦なく、鎌が振り抜かる。
「きゃっ!」
なんとか避けたので傷は浅い。
しかし、ここからは一方的。為す術はない。
だからアタシは判断した。
今こそが、望んだ瞬間だと。
アタシは無防備な背中を引っ張り、無理矢理後ろへ下げた。そして手を大きく広げ、宇佐見の前に立ちはだかる。
護るように。年長者らしく。
人をかばって死ねるなら、上等な最期だ。
満足感で笑う。
最高の死に顔で、その時を待った。
そしてそれは訪れる。
何度も何度も繰り返された、恒例の瞬間は。
「まだ……大丈夫じゃなかったんですね」
悲しげな声が聞こえた直後。
鎌でざっくりと切り裂かれた。かばおうとしたアタシを、更に押し退けて前に出たお隣さんの背中が。
また、助けられた。いや、邪魔をされた。
一瞬で頭に血が上る。
だからその後の反応は反射的で、誤魔化す事も綺麗サッパリ忘れていた。
「ちょっと、何邪魔してんのよっ!」
「ふざけないで下さい!」
すぐさま宇佐見はアタシの怒声以上の声量で返した。
その迫力に押され、思わず黙るアタシ。
その隙を突くようにして、少女は畳みかけてくる。キッ、と怒りと哀しみが混在したような表情で睨み、トーンを落として宇佐見は言った。
「人が目の前で犠牲になるなんて――そんなの、私はもう嫌なんですよ!」
年下の可愛らしい女の子が、顔を醜くクシャクシャに歪めて叫んだ。
その内容のせいで、思わずアタシは固まって考えてしまう。
「もう」か。
言われてやっと気づく。
このお隣さんの女の子は単なるお人好しじゃなかった。お節介の理由は安易な優しさじゃなかった。
この子は、アタシよりもずっと深い喪失を抱えていたのだ。
でも、
「だからどうだって言うのよ……っ!?」
アタシは目的を覆さない。
他人の事情なんて、覆す理由にはならない。
「そんなのアンタの事情でしょ!? 自分も頑張ってるからお前も頑張れって!? 嫌よ! アタシは苦しいのよ。ほっといてよ!」
アタシは障害を押し退け、再び凶刃の前に身をさらけ出した。
槍も捨てて丸腰に。自ら狩りやすい獲物となって。
カカシは胴を回転させ、速度を乗せて切りつけてくる。雑草でも刈るような自然さで命を狙ってきた。
風が唸り、とうとう望んだ迎えが迫る。
ただし、先に届いたのは、鎌でなく痛い程に必死な声だった。
「だからっ!」
そしてアタシの脇から、刃先が飛び出す。見覚えのあるそれはアタシの得物だ。
落ちていたそれを拾ったあの子が、後ろからあらんかぎりの大声で叫んだ。
「そんなの嫌だ、って言ってるんですよ!!」
熱い気迫が世界を揺らす。
そう錯覚させる程の思いが乗った槍により、魔物はその胴体を貫かれた。
アパートの古ぼけた一室。戻って早々、アタシは声を荒げて怒鳴った。
「分かってるなら邪魔しないでよ! アタシは死にたいのよ!」
宇佐見の肩に掴みかかった。力を込めて。怒りも込めて。
すると同様に向こうも掴み返してきた。凄い剣幕で怒りを露にしているのも同じだ。
こちらに戻ってきても、戦いは続いていた。魔物から、相手を元に戻して。
「いい年して何言ってるんですか!? 人の気持ちも考えて下さいよ!」
「知らないわよ、そんなの! アタシの人生アタシの好きにして何が悪いの!?」
「随分自分勝手ですね! だから彼氏にフラれるんですよ!」
「なんでソレ知ってるのよ!? アンタには言ってないわよ!」
「それくらい分かりますよ。ここの壁薄いんですから!」
「はあっ!? 盗み聞きなんて趣味悪いんじゃないの!」
「私だって聞きたくないですよ! 酔ってるんだか知りませんけど、夜中に大声で聞かされて正直迷惑だったんですから!」
「なによっ。迷惑だったなら好都合じゃない! ほっといて死なせてくれればよかったでしょ!」
「私そんなクズじゃないです!」
「はあ!? 人の気持ちを考えないでワガママ押しつけるのはクズじゃないの!?」
「お姉さんには言われたくないです! そんなのお互い様でしょう!?」
「ええそうよ、クズよ! アタシはクズなのよ! だからどうなろうがいいじゃない!」
「何回も言わせないで下さい! そんなの嫌だって言ってるんですよ!」
ドタバタドタバタ。
奇声をあげながら髪を引っ張り、肌をつねり、顔を引っ掻く。テーブルを引っくり返し、手近な物を投げつける。
いい年をした二人が、しょうもない喧嘩が繰り広げていた。
お互いに怒鳴り合い。会話は成立しているようでしていない。
最早どちらかが根負けするまでの我慢比べ。恐ろしく長引くだろう。
と、そう思ってたのに。
「うるっさいよ、アンタたち! 揃ってこの部屋追い出されたいのかい!?」
喧嘩に終止符を打ったのは、大家のおばさんだった。それも完全に堪忍袋の緒が切れた、危険な状態の。
これでは喧嘩どころではない。
宇佐見の顔は真っ青になっていた。アタシもそうなっていたに違いない。
速やかに停戦は決定された。
『すいませんでした』
土下座で謝り倒し、一応なんとか許された。流石はお優しいおば様である。
ただ、アタシが顔を上げたのは、大家さんが帰っていってから十分後にしておいた。念の為に。
ただ、帰ったからといって喧嘩の再開は不可能。
ここは年上らしいところを見せる場面だ。先に和解を申し出る。
「その……ゴメンね……ってアンタどうしたのよ!?」
折角やろうとした行動は、驚きによって上書きされた。
隣の女の子がボロボロと大粒の涙を流していたから。不自然なくらい大人しいと思っていたけど、こんな事になっているなんて。
「え、そんなに泣く程!? さっきの大家さん確かにすごく怖かったけど!」
「いえ、違うんです……」
混乱するアタシのとんちんかんな発言に、涙声は答える。
「ただ、こういうの……昔よくあったな、って……思い出しちゃって……それだけ、なんです」
その声はたどたどしくて小さくて、本当に聞きづらかった。
それでも理由を理解するには充分だったから、アタシは黙るしかなくなってしまう。
しょうもなくて子供みたいな喧嘩は、だからこそ思い出の引き金になったのだろう。
この似合わない泣き様は、アタシのせいか。
見ていられなくて、いたたまれなくなる。ジッとしているのがむず痒くなる。
だから自然と体は動く。
号泣する宇佐見の背中を、アタシは優しく抱きしめていた。
理由は、なんとなく雰囲気に流されたからだ。
寂しそうだったとか、あのしっかり者な背中が小さく見えたとか、守りたいと思ったとか、大切な人の代わりみたいになれて嬉しかったからだとか――そんな大層な理由では決してない。違うと言ったら違うのだ。
だから、涙や鼻水がついても気にせず抱きしめ続けたのも、あくまで雰囲気に酔ってたからだ。
「う、あううっ……なに、やってんですかぁ……!」
この子がアタシを頼るようにすがりついてきたのも、きっとそう。ただ一番手近な所にいた人間が、こんなクズだった。それだけの話。
それだけ、なのに。
アタシはついつい自惚れてしまう。
こんなクズでも、例え誰かの代わりでも、生きる価値や意味というのあるらしい。と。
ああチクショウ。死ぬのを止める理由が出来てしまった。
「ウサちゃーん、またフラれたあー! 慰めてえー!」
「ちょっ、お姉さん。もう酔ってるんですか!?」
古ぼけたアパートに二種類の声が騒々しく反響する。ドタバタと、怒られない程度にやかましく。
友達とも姉妹でもない、へんてこな関係性の二人はなかなか愉快な生活を送っていた。
アタシは新しい仕事も見つかり、順風満帆とは言えないまでも食うものには困らない日々を過ごせている。そしてたまーに、こうして隣の部屋に遊びに行ったりしている。
交流を続けるのが、偶然近くにいたクズの役目だと――せめてもう少し、落ち着くぐらいまでは、失ったものの代わりになってやろうと思うから。
このしっかり者のフリした寂しがり屋め。
全く、面倒な事になったものだ。
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