夢見の飴屋

和水まつりか

夢見の飴屋 上

   夢見の飴屋 上

 町の西側の崖を超えると、とっても不思議な飴屋があるという。その名の通り飴を売っていて、店主は穏やかなおばあさん。定休日はなく、週に何回、何時から何時までお店を開くかは決まっていない。すべてそのおばあさんの気分次第だという。なんとも変わったお店だ。

 え? そんな怪しい場所、行かない方がいいって? その言葉、もう聞き飽きちゃったよ。誰に何と言われようと、僕はその飴屋に行くと決めている。だからこうして今、町の西側の崖まで来ている訳なのだ。

「とはいえ、知ってたけどめちゃめちゃ高いな……」

 さて、どうやってこの崖を降りて先に進もうか。というか、そもそもどこにあるか知らないのだが。恐る恐る崖の下を覗いても、僕の視力では地面が見えない。それほどに高い。困った。

 こういうときくらいなら神頼みするのもあり? 普段から行いの良い僕だから、神様はきっと味方してくれるはず。

 「神様! 仏様! あとは、ええっと……とにかく偉い人! どうにか僕を崖の下に降ろして!」

 ぎゅっと目をつむり、手を合わせてみる。が、数十秒待っても何も起こらなかった。仕方ない。自力でどうにかしなくてはならない。うーん……飛び降りたら、確実に逝っちゃうだろうなあ。回り道をするにも、それらしき道は見つからないし。

 あーもう、無理だ! 僕はごちゃごちゃ考えるのが苦手なんだ! ふて寝してやる! と勝手に拗ねて、勢いよくゴロンと寝転がり目を閉じる。行き詰まったときには何も考えないことも大切だって聞いたから、そうしてやるのだ。誰に聞いたかは覚えていない。きっと神様仏様と同じくらい偉い人。

 こうしてみると、ここはなかなか気持ちの良い場所だ。日当たりが良く、適度に風が吹き抜ける。なんだかこのまま寝てしまいそうな、そんな心地よさだ。聞こえてくる音に耳を傾けてみる。木の葉の擦れる音、小鳥が鳴く声、水が流れる涼しげな———

「……あ! それだ!」

 水があるのなら飛び降りても大丈夫なはずだ。さっき周りを見渡

 したとき水なんてどこにもなかったような気もするが、この際それはどうでもいい。とにかく自分の耳を信じて音のする方に歩いてみる。すると、見事なまでに美しく大きな滝が崖の下まで続いているようだった。こんな大きな滝、見逃すはずないんだけどな。それにしても、水があるとはいえ飛び降りることに変わりはない。僕は高いところは得意だが、水は苦手。泳げないのだ。さすがに足がくすんでしまう。

 数分恐怖と戦って、泣きそうになってきたころに本来の目的を思い出した。そう、僕は飴屋に行くためにこの崖を降りるのだ。なんだか行ける気がしてきて、このタイミングを逃すまいと、とびきり高く飛んで滝つぼにダイブした。

「ヒッ……やっぱりこわあああいいいい!!」

 叫びながら数秒、僕は空中をとにかく落ちた。残念ながら鳥のような羽は持っていないから仕方ない。

 ふいに強い抵抗を受ける。直後、呼吸ができないことに気づき、パニックになる。まずい。かなりまずい。早く陸に上がらないと。しかし、水の中では体が上手く動かせない。ごぼごぼと自分の口から空気が出ていき、代わりに大量の水が流れ込んでくる。このまま僕は飴屋に行けず終わるのか。悔しいが仕方ない。泳げないのに軽率に飛び込んだ僕の甘さが間違いだった。もう救いはない、と察して無理に動くのをやめた。さよなら僕の一生。来世は泳ぐ能力をつけてくれよ。水の中にそう残して、遠くなっていく意識に身を任せた。

 

 *

 

 風鈴の音は最高の目覚ましである。そう思いながら、寝起きの頭で優しい音を何となく聞いていた。

「ここは気持ち良いだろう?」

 うん……まだ起きたくないなあ……あれ、僕って何をしていたんだっけ———

「……んええ!? わあああ!! ええあああ!?」

「おや、もうすっかり元気なようだね」

 「えっ!? 僕生きてる!?  あああ飴屋がどこかにっ、じゃなくて滝がっ!」

 クスリ、と笑い声が聞こえた。え? 僕なんで笑われたの!? っていうかこの人誰!? 頭の中がこんがらがってどうにもまとまらない。ええっと、こういう時はどうするんだっけ。確か、息をゆっくり吸って、はいて……

「落ち着いたかい?」

「えっと、僕馬鹿だから何も分からないんだけど……」

「じゃあ説明してやろうか」

「お願いしますっ!」

 目の前にいるこの人は、僕を包み込な穏やかな声の持ち主だった。目じりはたれ、そのしわがあたたかな雰囲気を強調する。僕よりゆっくり丁寧に話す、何をされても怒らなそうなおばあさんだ。

 あれ? これって何かに共通するような……?

「ここは夢見の飴屋というところだよ、小さなお客さん」

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