第四皇女と護衛王子 〜王位争いが嫌で隣国の貴族学校に留学した王子だけど、そこで友達になった皇女の帝位争いに巻き込まれた〜
六海刻羽
第一章【帝位騒乱編】
第1話 留学王子は肩身が狭い
イスカ帝国の西海洋を見渡せる丘に建設された学び舎。
古城を改装して作られた校舎からなるその場所の名は、リムロット帝国貴族学校。
他国からの留学生を除けば生徒の全員が帝国貴族の
「おい、ちょっと待てよ、エイトール!」
学舎塔の鐘が鳴り、教師が教室から出ていく。
それを追うように教室を出ようとしたエイトールに声をかける少年がいた。
お腹にでっぷりと脂肪を蓄えた大柄な体格。
後ろに控えた二人の子分がガリガリなので、より太って見える少年だ。
(やれやれ、また今日も絡まれたか……)
エイトールはうんざりとした顔で足を止める。
無視しようとも思ったが、それをすると後々面倒になるのを知っているからだ。
「なんだ、グレイン。俺になんか用事か?」
「なんだ、じゃねぇだろ。お前はオレに謝るべきだろうが」
「は?」
太っちょ貴族、グレインの発言にエイトールは首を傾げる。
ちょっと記憶を遡ったが本当に心当たりがない。
「なんのことだ?」
「おいおい、とぼけるなよ。さっき先生が言ってたじゃねぇか。昨日、クレティカ王国の船がイスカの領海に不法侵入したらしいって!」
「……?」
確かに言っていた。
担任教師がホームルームで話題にしていが――。
「それがなんだ?」
「お前の国の問題だろ! なら謝るのが普通だろうが!」
知らねーよ、とエイトールは思った。
確かに自分は王国からの留学生だ。
でもだからと言って、顔も知らない王国民の罪を背負うつもりなんてない。
(そもそもなんでお前に謝らないといけねーんだよ)
と、心の中では思うが口には出さない。
グレインはただ、何かと屁理屈を
帝国貴族の中には、長らく戦争相手だった王国の人間を嫌う者が多い。
(さて、どうしたものか……)
エイトールが考え込むと、子分のふたりがここぞとばかりに盛り上がる。
「おいおい、どうしたんだ? 急に黙っちゃって?」
「ははっ、仕方がないさ。グレインくんに論破されて言葉も出ないんだろうさ!」
どこに論があったのだろうかと、エイトールは本気で考える。
うひひひっ、と笑うグレインたちの声が実に不愉快だ。
ぶん殴って黙らせようとも思ったが、必死の想いで心を静める。
留学を許してくれた父との約束を思い出したからだ。
――問題を起こせば即刻帰国。
快く留学を許し、学費まで出してくれた父との約束は破りたくない。
ぐぐぐっ、と歯を噛み締めながらエイトールはグレインたちのバカ笑いを耐える。
と、そこでだ。
「お、こいつはなんだ?」
「あ、おいっ!」
しまった、とエイトールは思う。
近くに置いていた鞄をいつの間にか子分に取られ、その中を物色されていた。
やつらが気になったのは、直方体の黒い箱。
筆箱とは違う、学業には関係なさそうなもの――つまりエイトールの私物だ。
「か、返せよっ!」
「お、その焦り具合。お前にとってこいつは大切なものらしいな? なら謝罪の代わりに貰っておいてやってもいいぜ?」
黒い箱を顔の横で揺らしながら、グレインは下品な顔で笑う。
子分たちもゲラゲラ笑う。
それを見て、エイトールは決心した。
(よし、こいつらぶっ殺して海に沈めよう)
いくら喧嘩を起こそうとも、バレなければ問題にはならないはずだ。
やっちゃう? やっちゃおう! やれ、エイトール!
己の中の悪魔がシュプレヒコールでその決心を応援している。
エイトールは拳を強く握った。
「――いい加減にしなさい、この帝国貴族の恥晒しめ!」
しかし、その拳が振るわれる前――。
いつの間にか近くにいた少女が、ぴしゃりと言い切った。
荒々しいが下品な印象はない、強く芯の通った美しい声。
横合いから襲い掛かったその叱責に、グレインたちが肩を跳ねさせて固まっている。
その手から黒い箱を奪い取った少女は、硬直したバカ三人に捲し立てた。
「さっきから聞いていればなんですかその主張は! 筋も論も通っていない言いがかりではないですか! その上、人様の大切なものを奪い取って笑うなど品性どころか人間性を疑います!」
その苛烈な叱責は、まるで導火線に火のついた爆弾だ。
燃えるような赤髪と
笑えば可愛いだろう顔立ちも、今ばかりは烈火の如く怒りの色合いに染めている。
凛々しい眉は吊り上がり、鋭い目はナイフのような視線でグレインたちを睨んでいた。
「な、なんだよプルーム? お前には関係ないだろ?」
「関係大ありです! お前みたいなやつがいるから帝国貴族は横暴な者が多いと勘違いされるのですよ!」
「な、なんだと!?」
グレインは顔を真っ赤にしながら少女へと詰め寄った。
鼻のデカいそばかす顔が近くに来ても、少女は少しも怯まない。
「オレの父さんは皇族付きの秘書官だぞ!」
「お前の父親が偉くてもお前が偉いわけではありません。そんなことも分からないのですか、この低脳は!」
「おまっ……誰が低脳だっ!」
グレインが握った拳を少女へと突き出した。
パシっ!
腰の入っていない乱暴な拳は、横から伸びたエイトールの手に止められる。
「おい。女の子の顔を殴ろうとしてるんじゃねぇよ」
「ぐっ、離せよ、エイトール!」
言われた通り手を離すと、グレインはよたよたと転ぶように後ろに下がる。
そこで合流した子分はヒヤヒヤした顔をしていた。
「グ、グレインさん。プルーム家に手を出すのはマズイんじゃ……」
「そ、そうですよ。オレたち退学になっちゃいますよ……?」
「ぐっ……!」
グレインは歯を食いしばりながら拳を収める。
子分たちに言われて少し頭が冷えたのだろう。
「きょ、今日はこれくらいにしておいてやる! エイトール! 次会った時はきちんと謝る準備をしておけよ!」
情けない捨て
その惨めな背中を見送ってから、エイトールと少女はお互いに顔を合わせる。
そして数秒後――同時に「ぷっ」と吹き出した。
「ありがとう、エイトール。私を守ってくれて」
「いや、俺の方こそ礼を言うぜ。庇ってくれてありがとう、リタ」
小さく開いた窓から、教室に風が迷い込んだ。
ふわりと広がった少女の赤毛が、彼女の笑顔を美しく飾る。
少女の髪からは、優しくて甘い蜂蜜みたいな匂いがした。
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