第63話 敗北を知りたい…!

 ふむ、今日も勝利であったな……。我は昼間におこなわれた模擬戦を思い返す。今日の相手は大きな甲羅を持つ亀だった。模擬戦開始と同時に相手の影を操り、下から亀の顎を打ち抜くように、実体化した影で強打してやった。もちろん、手加減した一撃だ。ケンカと同じで相手を殺してはいけないからな。


 相手の亀はその一撃で気を失い、我の勝利が確定した。昔は、亀の堅牢さを前に手も足も出なかったものだが、我も成長したものだ。


 しかし、あまりに一方的な模擬戦の内容に、我はいまいち勝利を喜べないでいた。一方的過ぎて詰まらないのだ。


 最近ふと思う。もしかしたら我は、強くなりすぎてしまったのではないかと。昼間ならばともかく、影が世界を埋め尽くす夜なんて、なにが相手でも負ける気がしない程だ。いつかの巨大なワイバーンや、それを打ちのめしてみせたネズミにも楽に勝てるだろう。


「フフッ、敗北を知りたい……!」


「え? 何か言った?」


 我の独り言に、アリアがこっちを見て反応する。アリアは今、体を洗い終わり、温風の魔道具で髪を乾かしているところだ。その長い黒髪が風にたなびいている。きっと風の音で聞こえなかったのだろう。


「いや、なんでもない」


 我は少し声を大にしてアリアに応える。


「そう?」


 髪を乾かすのを終えたのか、アリアが椅子から立ち上がるのが見えた。


「いよいよ明日ね。どんなことをやるのかしら?」


 はて、明日は休みのはずだが。何かあっただろうか?


「何かあるのか?」


「忘れたの? あなたが勧めたんじゃない。ヒルダ様のお屋敷で、ハンターのお勉強よ」


「ああ……」


 そう言えば、そんなこともあったな。ヒルダの屋敷には一度視察に行かねばと思っていたので丁度良い。


「気のない返事ね」


「そんなことより、ブラッシングしてくれないか? 背中が痒い」


「そんなことよりって……はぁ……」


 アリアが納得いかなそうな顔でため息をついた。まさか、やってくれないのか!?


「ダメか?」


「分かったわよ……」


 アリアが渋々頷く。仕方ないだろ。痒いものは痒いのだ。背中は足も舌も届かないので、我ではどうしようもないのだ。


 背中のムズムズを我慢してアリアを見つめると、アリアが机の引き出しからブラシを取り出す。


「こっち来なさい。そこだとベッドが汚れるわ」


 我は素直にアリアに従うことにした。ベッドから降り、アリアの足元へと小走りで向かう。


「まったく……。次からはもっと早く言いなさい。せっかく着替えたのに、また毛だらけになっちゃうじゃない」


 アリアの元に着くと同時に、顔を両手で挟まれた。そしてそのまま、顔をむにむにと弄ばれる。コイツ、調子に乗りおって。我はアリアの手から逃れると、アリアの手に噛みついた。


「痛っ! まぁ、なんて酷い猫なんでしょう。ブラッシングしてあげようとしている私の手を噛むなんて! これはブラッシングお預けかしら?」


 アリアが大げさに痛がり、泣き崩れる真似をする。噛んだと言っても、甘噛みじゃないか。アリアめ、我をからかって遊んでいるな。その証拠にアリアの顔には笑みがある。我は相手にせず、アリアに背を向けた。


「やるなら早くしろ」


 本当に痒いのだ。


「もう、ノッてくれても良いじゃない」


 そういう面倒なことは人間同士でやってくれ。猫に何を求めているんだ、コイツは。


「お客さん、痒い所はございませんか?」


「背中だと言っている」


 アリアがまた何かロールプレイを始める。声も低くして口調も変え、別人を演じている。コイツは何処を目指しているんだろうな……。


 アリアの持つブラシが、やっと我の背中を掻いていく。待ちに待ったブラッシングだ。痒かった背中がゾリゾリと掻かれて非常に気持ちが良い。あふん、きもっちー!


「うわ! こんなに毛が抜けたわよ。あなたハゲるんじゃない?」


「嫌なこと言うな! 生え代わりの時期なだけだ!」


 アリアがブラッシングで取れた毛の塊を見せてくる。抜けた毛はどんどん増えて、毛の塊はどんどん大きくなっていく。今では我の顔より大きくなった。ここまでくると我も心配になってくる。大丈夫だよな? ハゲないよな!?


「よし、こんなものね」


 背中が痒いと言っただけなのに、アリアは全身一通りブラッシングしてくれた。アリアには意外と面倒見が良いところがある。そういうところは好感が持てるな。


「明日も早いわ。もう寝ましょ」


 アリアが服に着いた毛を叩き落としながらベッドに向かう。我もそれに続いた。


「明かり、消すわよ」


 アリアはベッドに横になると、厚手の布団を被る。寒くなってきたからな。冬用の布団だ。


「アリア」


「はいはい」


 アリアに声をかけると、布団を持ち上げてくれる。我は布団とベッドの間に入り、アリアの横で丸くなる。我はこの布団の中で眠るのを気に入っていた。今はまだ布団が冷たいが、そのうち温かくなるだろう。そうすると全身がホカホカと温められる。ベッドと布団とアリアに挟まれた狭い空間というのも良い。なんだか落ち着く。

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