第58話 十分優しいだろ
やっとヒルダを見つけた。広い屋敷に部屋がたくさんあって、探すのに苦労した。
「クロ…?」
ヒルダが間の抜けた声で問いかけてくる。よほど酷い目に遭ったのか、呆然としている。大丈夫だろうか?我は返事をする代わりにペロリとヒルダの膝を舐める。
「クロが、助けてくれたのですね…」
ヒルダが我の頭を優しく撫でる。我は鼻をピクピクと動かし、ヒルダの匂いを嗅ぐ。見たところ怪我は無いし、血の匂いもしない。ヒルダは無事のようだ。
「ぐっ、使い魔だと?いったい何処から」
「侯爵…!」
我が吹き飛ばし、壁に叩きつけた大男がゆっくりと立ち上がる。叩きつける衝撃が弱すぎたか。最近は模擬戦に猫達の相手にと非殺傷の勝負ばかりだったからな、手加減し過ぎたようだ。
「白猫と聞いていたが…まぁいい。とんだジャジャ馬娘だな、ヒルダキレア嬢。これは躾甲斐がありそうだ」
大男が舌なめずりをする。
「クロ、殺してはいけませんよ。できれば怪我も負わせたくありません」
ヒルダが立ち上がり、こちらに注文を付ける。元より殺すつもりは無かったが、怪我もダメなのか。面倒だな。
「フフッ、私を倒せると?思い上がるなよ、小娘がっ!来いっ!アリュシオン!」
部屋の中だと言うのに、大男の方から一陣の風が吹き、思わず目を瞑ってしまい、慌てて目を開ける。するとそこには、先程まで居なかったのに大きな狼が姿を現していた。野外学習の時に襲ってきた狼よりも一回りも二回りも大きい。毛並みの上からでも分かる太く、がっしりとした体躯だ。鋭い目は周囲を睥睨し、我を見ると嬉しそうに口を歪める。大方、餌を見つけたとでも思っているのだろう。何でいきなりこんなのが現れるんだよ…。
「使い魔の召喚!?そんな…!」
突然現れた狼の姿に、ヒルダが取り乱す。気持ちは分かる。だが、取り乱してはいけない。こういう時程平然としなければ。相手に舐められるだけだ。ほら見ろ、大男が得意げな表情をしている。
「驚いたかね?さぁ、無駄な抵抗は止めてこちらに来たまえ」
「侯爵様、わたくしはただ、お母様に確認したいだけなのです」
「無駄だ。今ならこれまでの無礼を許してやるぞ?ん?」
「くっ…」
ヒルダが苦し気な表情をしている。が、突然目を見開き、こちらを見た。
「クロ、殺さずに制圧です。できますか?」
「任せろ!」
「わたくしはあなたを信じますわ!」
ヒルダが覚悟を決めたようだ。
「やれやれ、それが君の答えかね?躾が必要だな。分からせてやりたまえ、アリュシオン」
一拍、空白の時間が流れる。
「アリュシオン?」
「・・・」
「なんだ!?これは!?」
大男が漸く狼の異変に気が付いたらしい。狼は黒い影に覆われて動きを止めている。大男とヒルダの会話中に暇だったので仕掛けさせてもらった。ヒルダが突然目を見開いたのは、狼の後ろで我の操る蠢く影を見たからだろう。我は更に影を操り、大男の四肢を拘束する。
「くっ、クソッ、体が…!貴様!この私にこんなことをしてタダで済むと思っているのか!」
「侯爵様、わたくしはお母様、ユリアンダルス男爵に確認してくるだけですわ。男爵の決定なら、わたくしは喜んでこの身を捧げます」
「後悔させてやる。必ず後悔させt・・・」
うるさいので、影で覆って黙らせた。
「クロ…」
ヒルダがこちらを呆れたような笑いで見ている。
「今日は助かりましたわ。感謝します。ありがとうございます、クロ」
「気にするな」
「フフッ、意思疎通できないと、やはり不便ですわね。さぁ早く家に帰りましょう。護衛は任せますわ」
ヒルダが大男に背を向け歩き出す。我もそれに続いた。
「クロが来てくれたということは、アリア達が動いているという事でしょうか。何としても彼女たちに災いが降りかからないようにしなければ。でもどうやって?どうすれば良いのかしら…」
ヒルダに続いて屋敷の出口を目指す。屋敷の使用人たちは、ヒルダを見て驚いた表情を浮かべるが、邪魔するつもりはないようだ。やがて玄関に来ると、慌ただしい雰囲気となった。時折、怒鳴り声なんかも聞こえる。アリア達が騒ぎを起こしているのだろう。玄関を守る衛兵と目が合う。
「ヒルダキレア!?どうしてこんな所に!?」
「今はマズい!おい!大人しくh、アベシッ!」
「はぐわっ!」
我は影を操り、触手の様にして衛兵に叩きつけ、沈黙させる。
「クロ、もう少し優しくできませんの?」
「殺していないから、十分優しいだろ」
玄関の扉を開け、屋敷の門に近づくと、喧騒は一段と大きくなった。なにやら言い争いの声が聞こえる。
「ここを通しなさい!此処にヒルダが居るはずです!」
「そんな者は居りません!」
「いくら男爵様といえども、此処を通すわけにはいきませんぞ!」
「ここを通りたくば、事前に侯爵様の許可が必要です。今日のところは御引取下さい」
「それでは遅いのです!えぇい、そこを退きなさい!」
アリア達が騒ぎを起こしてると思ったが、知らない女が門番たちに詰め寄っていた。誰だあれ?
「お母様!」
ヒルダが声を上げ、女に走って近寄る。あれがヒルダの母か。言われてみれば似ているような気がしてくる。髪の色とか。
「ヒルダ!」
女もヒルダに気が付いた。
「バカな…!」
「何故此処に!?」
ヒルダの登場に門番たちが唖然としている。
「そこを退きなさい!」
ヒルダの母の言葉に門番たちは今度は大人しく従った。門番が退き、母への道が開いたというのに、ヒルダはその手前で立ち止まった。
「わたくし、お母様、いえユリアンダルス男爵に問いたいことがございます」
「ヒルダ?なんです、改まって?」
「ユリアンダルス男爵は、わたくしがパルデモン侯爵様の妾になることに賛成なさったのですか?」
「そんなはずありません!賛成していたらこんな所に来たりしません。全ては侯爵様と我が夫、いえ、あの男の策略です」
ヒルダの母がヒルダに近づき、抱き締めた。
「侯爵様にあることないこと吹き込まれたのね。わたくしはヒルダが妾になることなど絶対に許可しません。ヒルダ、貴女が犠牲になる必要など無いのです」
「お母様…!わたくし…、わたくし…」
ヒルダが母の胸に顔を埋めて、嗚咽を漏らす。
「ほら、顔を上げなさいヒルダ。女の涙はここぞという時にとっておくものですよ」
母が優しく諭し、ヒルダがゆっくりと顔を上げる。母はヒルダの眦に浮かぶ涙を指で優しく拭った。
「さぁ、帰りましょう。わたくし達の屋敷に」
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