第56話 微かな花の香り
「では、我は行くぞ」
猫達に指示を出し終え、我はアリアに背を向ける。とりあえず、貴族街に向かった方が良いだろう。ヒルダが連れ去られたのは、貴族達が住んでいる貴族街のはずだ。
「待ってクロ。私も行くわ!」
アリアが引き止めるが、我は駆けだす。
「遅ければ置いていくぞ!」
「イノリスに乗るから大丈夫!」
「えっ!?何々?どういうこと!?」
急に話を振られたイノリスの主、ルサルカが驚いている。おそらく、事態が飲み込めず、混乱しているのだろう。
アリアが付いて来るか。できればアリアには学院に残り、学院に居たというアリバイを作っていてもらいたかった。今回のことは、使い魔の暴走で片付けるのが一番アリアに害が及ばない選択だと思う。しかし…。仲間の窮地に何もするなと言うのは酷か…。仕方ない。万が一の場合は、アリアを連れてこの国から逃げることも視野に入れておこう。
考えながら駆けていると、横に並走する影が現れた。
「王様、馬車から降りる金髪の目撃情報は、只今三件報告されています」
茶トラの猫だ。たしか、この辺りのボスだったはず。
「ヒルダの匂いが分かるのは我しかいないからな。虱潰しで探すしかないか…。案内してくれ」
「はい、こちらです」
我は茶トラの猫が前に出て、我を先導する。できれば早めにヒルダが見つかって欲しいところだが、難しいか…。
「違うな。この馬車からはヒルダの匂いがしない」
もう何度目かも分からない落胆のため息をつく。今回も空振りか。
「アリア!外れであった!」
屋敷の門の辺りに居るであろうアリアに声をかける。アリア達はイノリスに乗って、しぶとく我に付いて来ていた。イノリスが居ると、人間達の目がイノリスに集まるので、我が屋敷に侵入しやすい。できれば、このまま付いて来て欲しいものだ。
「次は何処だ?」
「こちらです、王様」
我はこの辺りのボス、白の毛長猫の先導で駆け出す。
「しかし王様、金髪の人間などいくらでもいますわ。その中から一人を探すというのは…」
「難しいことは分かっている。だが、やらねばならんのだ」
「ですが、どうしてそこまで人間に尽くすのです?」
「尽くす…か」
我に人間に尽くしている感覚は無い。攫われたのがヒルダだから助けるのだ。では何故ヒルダを助けるのか。アリアが泣いていたから?リノアの主だから?それもあるが、我の真の目的ではない。我の真の目的。それは、猫達が我の命令をどの程度守るのかテストすることだ。我は、王都の各地のシマのボスを残らず倒し、ボス達の上に王として君臨した。猫達が、今までにない新しい地位である王の命令にどれだけ重きを置くか、それが知りたかったのだ。今回の誘拐騒動は、王の力を試すのに良い機会だったから利用しているに過ぎない。
無論、我もヒルダを助けたい意思はある。ヒルダは飯をくれる良い奴だしな。それにヒルダは猫に優しい。今回、猫達の力で助かったとしたら、ますます猫に優しくなるだろう。そんな人間が増えることは猫にとってもプラスになるはずだ。
「我は人間に尽くしているのではない。ヒルダは猫に有益な存在だからな。だから助けるだけの話だ」
「なるほど」
猫達には表向きそういうことにしておこう。
「次はあの屋敷です」
王都の中心に位置するでっかい城のすぐ近く。今までの屋敷よりも大きく立派な屋敷が次のターゲットだ。でかい門には屋敷を警備する人間が複数居り、今までで一番警備が厳重そうだ。ここはイノリスに任せた方が良さそうだ。
「アリア!次はあの屋敷だ!」
「分かったわ!イノリス、次はあの屋敷よ」
我は走る速度を落とし、イノリスを先行させる。屋敷の門番がイノリスの存在に気が付いた。
「なんだ!?」
「使い魔!?」
「こっちに突っ込んでくる!」
「応援を呼べー!」
門の周辺は忽ち大混乱となった。その隙に、我とこのシマのボス、三毛猫は屋敷の庭へと侵入する。
「こっちに馬車がありやす」
三毛猫の案内で我は馬車へとたどり着くと、急いで匂いを確認した。いくつもの匂いに紛れて、甘いミルクのような匂いと微かな花の香りがした。間違いない、ヒルダの匂いだ。ヒルダはここに居る!
「アリア!見つけたぞ!」
我は門に向けて吠えるように叫ぶ。門ではアリア達と屋敷の警備が睨み合いを続けていた。警備員が束になってイノリスに向け槍を構えている。
「私は友達を探しているだけよ!早くそこからどきなさい!」
「な、ならん!そんな奴はここには居ない!この屋敷には一歩も入れさせんぞ!」
「そ、そうだ!我らに手をだ、出したら、貴様もタダでは済まんぞ!」
イノリスの姿に及び腰になりながらも、警備員達は門を固守している。
「クロ!先に行って!」
アリアが我に先に行けと叫ぶ。そうだな、その方が良さそうだ。
「必ずヒルダ様を助け出すのよ!」
我はアリアに背を向け、屋敷へと走る。
「今までご苦労だった。もうよいぞ。捜索は打ち切ってよい。皆に伝えよ」
「へい」
三毛猫を労うと、我は潜影の魔法を使い、屋敷へと侵入した。
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