第16話


 リアムとデズモンドは黙々と料理を口に運んだ。ひゅうと風の音が大きく聞こえる。

 ふと、リアムは違和感を覚え、顔を上げた。ベンジャミンとジェイコブがナイフとフォークを持ったまま固まっている。リアムは食べるのを中断し、大きくため息を吐いた。



「なあ、言いたいことがあるならさっさと言えよ」



 問い詰めるが、二人とも何も言わない。



「なんとか言えって。おい、ベン!」



 リアムが声を荒らげるが、ベンジャミンはまるで聞こえていないかのように無反応だ。彼はただ、じっとナイフを見つめていた。俯いていたジェイコブが顔を上げ、リアムを見た。



「落ち着けって」



 ジェイコブがテーブルを左手で叩いた。大きな音が鳴る。今まで反抗したことのないジェイコブが思わぬ態度を見せたことにリアムは一瞬唖然とし、遅れて怒りが込み上げてきた。格下とみなしている相手からの指図はリアムが最も嫌うことのひとつだった。



「え、お前ら何? もしかして俺らより偉くなったとか思っちゃってるわけ?」



「はは」



 ベンジャミンはナイフを見つめたまま、空気を読まずに笑った。こんな状況でもヘラヘラしているのが余計にリアムを苛つかせた。



「何ヘラヘラしてんだよ」



「はは、ただの冗談だろ?」



 ベンジャミンはナイフから目を離さず、淡々と言い返した。いつもへりくだっているだけの二人が強気な態度を崩さないことを、リアムは意外に思った。こいつらがグループを抜けようとしてるって話、マジかもしれねぇな。



「てかさ。早く言っちゃえば? お前らの考えなんてこっちはわかってんだからさ。僕ちゃんたち学園のみんなから怒られるのがこわいこわいなので、グループ抜けたいですぅって。早く言えって。言えよっ!」



「落ち着けって」



 再びジェイコブがリアムを宥めた。少し語気を強めればすぐに謝ってくると思っていたリアムは、ジェイコブが本気でグループを抜けようとしているのだと確信した。リアムはジェイコブを睨みつけるが、彼はまたヘラヘラと笑うだけだった。



「ベン、お前さっきからなんでナイフ凝視してんだ?」



 はらわたの煮えくり返りそうなリアムとは対照的に、デズモンドは冷めた調子でベンジャミンに問いかけた。見ると、ベンジャミンは相変わらずナイフを持ったまま動かず、デズモンドの質問にも答えない。



 カチャカチャと音がした。ジェイコブが匙でスープをすくっている。リアムに怒りをぶつけられたことをなんとも思っていないようだった。頭に血が上り、怒りを吐き出そうとする――その直前、リアムはスープを飲むジェイコブの動きに違和感を覚えた。決定的に何かが欠けている気がする。しかし、それが何かはわからない。



 すうっと怒りが収まっていった。

 何かがおかしい。

 ジェイコブは一定のリズムでスープを口に運んでいる。その様はまるで、ぜんまい人形のようであった。

 そうか、違和感の正体はそれだ。動きから人間味が感じられないのだ。

 よく見れば、さっき机を叩いたジェイコブの左手が握りこぶしのまま少しも動いていないことに気づく。右手だけが皿と口の間を上下していて、それ以外の動作を覚えていないかのようだ。



「ジェイ、その動きやめろって。気味わりぃんだよ」



 リアムの言葉にジェイコブは反応しない。

 リアムはデズモンドと顔を見合わせた。デズモンドも違和感に気づいているらしかった。彼はさっぱりわけがわからないといった感じで肩をすくめる。



「ベンもナイフばっか見てんなって。普通に怖いだろ」



 デズモンドがベンジャミンに言った。その声に反応するように、ベンジャミンは顔を上げ、口角を上げる。目元が笑っていない。不気味だった。

 ベンジャミンはナイフを高く掲げた。



「お、おい。危ねぇだろ。下ろ――」



 リアムの声を遮るように、ベンジャミンがナイフを持った右腕を勢いよく振り下ろした。

 赤い液体がテーブルに飛び散る。

 ナイフは隣に座るジェイコブの手の甲に突き刺さっていた。彼が繰り返しすくっていた白いジャガイモのスープに、赤が浮かぶ。

 リアムは何が起こったのか理解できず、絶句した。



「は、はぁ? な、なにしてんだよお前ぇ!?」



 デズモンドが悲鳴を上げて立ち上がった。勢いで椅子が倒れる。

 ベンジャミンはナイフから手を離した。ナイフは微動だにしない。ジェイコブの手を貫通し、木のテーブルに突き刺さって固定されているのだ。



「はは、ただの冗談だろ?」



 ベンジャミンがヘラヘラと笑う。



「いや、冗談って、お前。これが冗談で済むかよ……」



 ショックからなんとか立ち直り、震える唇でリアムは言った。

 ジェイコブはまるで刺されたことに気づいていないかのように、かき混ざってピンク色になったじゃがいものスープを静かにすくい続けている。



「お、おいジェイ。お前気づいてないのか?」



 デズモンドが口元をひきつらせながら言った。



「落ち着けって」



 デズモンドの問いかけに答えるようにジェイコブが言った。



「はは、ただの冗談だろ?」



 ベンジャミンが淡々と言って、食事を再開した。パンを掴んだ手はジェイコブの返り血で汚れている。



「は、はは。なるほどな。な、なんだよビビらせやがって。何か仕掛けがあるんだろ?」



 リアムは声を震わせながら言った。

 こいつら、事前に打ち合わせでもして悪戯を仕掛けてきたに違いない。二人のまるで動じない様子を見てリアムはそう期待し、ふぅと大きく息を吐いた。



「だ、だよな。ったく、悪戯かよ。心臓止まるかと思ったわ」



 デズモンドが倒れた椅子を起こしながら言った。



「で、これどうなってんだ?」



 リアムはジェイコブの手の甲を貫通し、テーブルに突き刺さっているように見えるナイフに手を伸ばした。すると、ジェイコブは左手をゆっくり持ち上げ始めた。赤色の液体がナイフを伝ってテーブルに滴り落ちていく。ジェイコブはさらに左手を持ち上げた。手のひらがナイフの柄の部分をずるっと通り過ぎ、びーんと音を立ててナイフが振動した。



「い、いや、本格的すぎるだろ。はは……。な、なあ? デズ」



「あ、ああ……」



 ジェイコブが右手でナイフの柄を逆手に持ち、テーブルから引き抜いた。唾を飲み込む音がはっきりと聞こえた。自分かデズモンドのどちらの喉から鳴った音なのかはわからなかった。



「ジェイ、ナイフ置けよ。な? もう十分楽しんだからさ」



 リアムがジェイコブを諭すように言った。



「落ち着けって」



「はは、冗談だろ?」



 ジェイコブとベンジャミンはヘラヘラと笑っている。落ち着けって。冗談だろ? ジェイコブたちがさっきから同じセリフしか言っていないことにリアムは気づいた。まるでその言葉しか知らないみたいに。

 背中が冷たい。冬なのに汗が止まらない。



 ジェイコブは立ち上がり、隣に座るベンジャミンの背後に立った。次は何をするのか。動くこともできずに、戦々恐々とジェイコブの一挙手一投足に目が引き寄せられる。

 ジェイコブはナイフを振り上げた。リアムたちが止める間もなく、ベンジャミンの頭目掛け、ナイフは思いっきり振り下ろされた。

 ベンジャミンの手からスプーンが落ちた。テーブルにあたり、金属音を立てる。刺された瞬間、ベンジャミンの全身は脱力したが、頭から生えているナイフをジェイコブが持っているおかげか、崩れ落ちることはなかった。頭頂部を糸で吊った、操り人形のようだ。



 リアムとデズモンドは声にならない悲鳴を上げた。これは悪戯なんかじゃない。何かがおかしい。すべてがおかしい。



 デズモンドは再び立ち上がり、後ずさり、テーブルから離れる。続いてリアムも立ち上がろうとするが、脚に鋭い痛みを感じ、自分が骨折していることを思い出した。テーブルに立てかけてあった松葉杖に手を伸ばすが、焦ってそれを倒してしまう。



 ジェイコブがベンジャミンの頭からナイフを抜き取ると、糸の切れた人形のようにベンジャミンは前に倒れた。食器がひっくり返り、スープやパンが飛び散る。ベンジャミンの頭頂部からはどくどくと血がしたたり、トレイやテーブルに血だまりを作っていく。



 ジェイコブはナイフを順手に持ち替え、握りしめた。そして、何ごともなかったように席に着く。



「じょ、冗談だよな!? 早く種明かししろよ! おいベン、起きろって! ベンっ!」



 リアムは半狂乱になって叫んだ。



「落ち着けって」



 ジェイコブは落ち着いた様子でリアムを宥め、ナイフを持った右手をテーブルの上に置いた。切っ先が真上を向いている。

 次の瞬間、さっきのベンジャミンみたいに、糸が切れたようにジェイコブはテーブルに倒れ込んだ。

 リアムは目の前で見てしまった。ナイフの先端がジェイコブの眼球に突き刺さるその瞬間を。



 吹き荒ぶ風の音だけが聞こえる。リアムは言葉を発することができなかった。

 後ろでどさっと音がした。ハッとして、息を吸うのを忘れていた自分に気づく。振り向くと、デズモンドが地面に手と膝をついていた。



「おえぇ、げほっ。ごほっ」



 デズモンドが芝生に嘔吐した。リアムは彼から目を逸らし、一刻も早くこの場から離れようと、倒れた松葉杖に手を伸ばした。



 手が――体全体が震えていた。

 リアムは震える手でどうにか松葉杖を拾い上げ、椅子から立ち上がった。デズモンドを待つ余裕もないまま、まだ賑わっているであろう食堂へと続くレンガ道を歩いた。

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