第18話


「あっ! おい! そっちは女子寮だぞ!」



「緊急事態だ! 入らせてもらう!」



 僕とウェンディの間の気まずい沈黙を破ったのは、部屋の外から聞こえてきた怒声だった。続いて、階段をドタドタと上がる音が聞こえてくる。



「待ちなさいよ、アダム!」



「女子の部屋に入って何する気! この変態寮長!」



「覗き魔!」



「変態化委員!」



「黙れ! さすがに言いすぎだ!」



 女子寮への侵入を止めようとする女子たちの声と反論する正常化委員の声が聞こえてくる。



「ちょっとまずいんじゃない? あんた、ベッドの下に隠れなさいよ」



 ウェンディが言った。



「いや、それは……」



「もう! 早く!」



 ウェンディがベッドから立ち上がり、僕の手を引いた。言われるままに、僕はベッドの下に潜り込んだ。

 直後、ドアが開いた。



「え? あの、なんですか?」



 ウェンディが戸惑いと不機嫌さを半々に混ぜ合わせた声で応対した。僕の目の前に彼女の足があり、大儀そうに足を組んだのがわかった。



「談話室にお前がいないから怪しいと思ったのさ」



「あたし、休んでたんですけど」



「中を調べさせてもらってもいいか?」



「え、ふつーに嫌ですけど――あ、ちょっと! なに勝手にっ」



 男の足がベッドに近づいてくる。

 足が止まる。片方の膝が床についた。手には懺悔球が握られている。

 と、そのとき。

 バンッと廊下からドアが勢いよく開けられる音が聞こえてきた。続いて廊下を走る足音。

 アダムが急いで立ち上がり、部屋から出ていく。



「おい、一年! おらっ!」



 何かがぶつかった音がした。



「うっし。やっと当たったぜ」



「いったた。強く投げすぎっすよ。――うわっ、マジで緑色になるんだ。すげー」



 信者先輩の声だ。懺悔球を食らったのか?

 僕はベッドの下から這い出る。



「いや、なんでお前なんだよ!」



「ひどいなぁ。人をこんな惨めな姿にしておいて。でもいいんですか? 彼ならもうずっと前に旧音楽室に向かいましたよ」



「くそっ。お前もあとで反省文だからな!」



 正常化委員の足音が近づいてくる。



「布団! 布団に潜りなさい!」



 ウェンディが小声で僕を急かす。躊躇する時間もなく、僕は布団の中に潜り込んだ。足音はこの部屋の前で止まることはなく、そのまま通り過ぎて階段を下りていった。

 布団から出る。溜息がこぼれた。息をしてはいけないと思って呼吸を止めていた。

 間一髪、見つかるところだったからだろうか。鼓動が異常に早い。



「あー、えっと。もう大丈夫そうなので、出ていきますね」



「あ、待って。あたしも行くわ」



 なんとなくそわそわして、さっさと出ていこうとするが、ウェンディが僕を呼び止めた。



「――では、参りましょうか。レディ」



「何それ。変なやつ。ベッドの下で頭でもぶつけた?」



 部屋から出ると、信者先輩がちょうどこちらへ歩いてきたところだった。

 彼は僕が脱いだ赤いベレー帽とマントを羽織っていて、さっきの正常化委員とのやりとりに合点がいった。僕の身代わりになってくれたというわけだ。



「僕のために申し訳ござい――じゃなくて、ありがとうございます」



 謝ろうとすると彼の肌の色が緑から青に変わりかけたから、感謝を告げた。青は負の感情だ。言い直せば赤に変わったから、たぶんこれで正解だろう。



「当たり前のことをしただけさ」



 真っ赤な顔で朗らかに笑うのはちょっと怖いけど、彼が納得しているならまあいいか。






 僕とウェンディと信者先輩の三人で談話室に入ると、みなが受信機の音声に集中していた。マッシュの弾くピアノの音はいまだ流れ続けていたが、その他に言い争う声が聞こえてくる。

 生徒会長とエベレストたちの声だ。



「何を言い争ってるんだ?」



 信者先輩が尋ねた。



「演奏中に会長が乗り込んでいって、なんかおかしなことに――うわあ、緑っ!」



 信者先輩の肌の色に気づいたその生徒は、体を大きく仰け反らせた。その反応に驚いて信者先輩は一瞬青くなる。



『お姉さん、お願い! あと十二小節だけ弾かせて?』



 マッシュの声だ。



『だめよ。今すぐやめないと懺悔球をぶつけます。あなたたち全員にです』



『しかし、生徒会長はそれでよろしいのですか?』



 ペルシャが不安を煽るような声音で問いかけた。



『何がです?』



『彼が今やっているのは世界初の遠距離コンサート。それを止めるということは、歴史的瞬間を妨害した悪女として歴史に名を残すということです。会長にその覚悟がおありで?』



 おお……。ペルシャの口のうまさを客観的に聞くと、つくづく仲間でよかったと思わされる。



『うぐっ。だ、だめです! だめなものはだめなんですっ!』



 しかし、生徒会長も強情だ。



『ルカちゃん! こうなったらアレをやるしかないよ!』



 なんだなんだ? エリィとエベレストには何か秘策があるのか?



『こほん。――お姉さま。わたくし、お姉さまにご相談がありますの。お姉さま。聞いてくださいませんか、お姉さま』



 エベレストが甘えるような声で普段言わないようなこと言い出した。やけに『お姉さま』という単語を連呼している。

 これに似たセリフを僕は聞いたことがある。そう、これは僕たちがやる予定だった劇の中で、探偵にやられそうになった悪の手先が命乞いをするときのセリフだ。それをエベレストは対お姉さま用にアレンジしている。



『な、何よ』



 生徒会長の困惑する声。

 エベレストが高飛車な感じなのは学園ではそれなりに知れ渡っているから、しおらしい様子のエベレストに彼女は虚をつかれたようだった。



『お姉さま。わたくし、お姉さまが生徒会長として、そして正常化委員長としても頑張ってる姿、ずっと素敵だと思ってましたの』



『そ、そんなこと言って、私が甘くなるとでも思ってるんでしょ』



『本当のことですわ。お姉さま。見ての通り、わたくしってプライドが高いでしょう? そのせいでいつも気を張ってしまって……』



『……』



『ですから、ときどき人に甘えたくなりますの。お姉さまのような、真面目で、包容力のある、素敵な女性に。たまにでいいので、お姉さまに甘えちゃ……だめ?』



『きゅぅん……アルトチェッロさん……私がお姉さまになって……はっ! だ、騙されないわよ。またそうやって――』



『おねがい、お姉さまぁ』



『いつでも私を頼りなさい! あなたのことは私が守り抜いてみせます!』



 力強く、頼もしい、生徒会長の声だった。

 さすがは正常化委員長までも兼任するだけのことはある。

 すごいな、エベレストは。一番の強敵をいとも簡単に撃破してしまった。



「あれには勝てないわ」



 ウェンディが恐ろしげにつぶやくと、上級生たちは揃って神妙に頷いた。それを一年生たちがポカンとして見ている。

 同級生の僕らには理解できない強烈な何かが、彼らの胸をまっすぐに貫いたようだった。






 マッシュが最後まで曲を弾き終え、そして受信機からは何も聞こえなくなった。一つの戦いを聞き届けた僕は、信者先輩から帽子とマントを返してもらい、寮の正面入口の前まで来た。

 あとは僕かヴァンのどちらかがあの鐘を鳴らすだけだ。

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