第16話


 博士がゆっくりと僕たちに近づいてくる。コーヒーハウスで話したときと同じ、人の良さそうな笑みをたたえ、穏やかな口調で問う。

 ヴァンが鞘から剣を抜き、博士に正面から近づいていく。



「おいヴァン……」



 呼びかけるが、彼は答えず、博士から目を逸らさない。

 仕方なしに僕はヴァンの隣を歩く。博士が立ち止まり、僕たちも立ち止まった。距離はまだ少しある。



「お前は卑怯者だ!」



 ヴァンが男を強く非難した。



「卑怯者?」



「そうだろ! 子供ばかり狙うのがその証拠だ。弱いから子供にしか手が出せないんだろ!」



 ヴァンは剣先をずっと男の顔に向けている。今にも斬りかかりそうに見えた。

 ヴァンの言葉を受け、博士はバカにするように鼻で笑った。



「知っているか? 人はそれぞれ固有の属性を持っている。私で言えばそれは炎だが――その属性を決めているのは脳なんだよ」



 博士は聞いてもいない知識を披露し始めた。それに勢いが削がれたのか、ヴァンは剣先を僅かに下げる。



「それがどうした! 関係ないだろ!」



 僕は男が言ったことを頭の中で反芻した。脳と属性の関係性。

 実のところ男の話の続きが気になっていた。好奇心が勝り、僕はヴァンを制するように右手を上げた。



「ロイ?」



 ヴァンは訝しげに僕を呼んだ。



「脳とは面白い発想だ。属性は魔臓によって決まっていると思っていたのだが」



 僕は腕を組み、博士の話を聞く意思を見せた。



「うん? そうか。お前は話がわかるようだな。やはりあの女の子供というわけだ」



 博士が何かに納得したようにニヤリと笑った。

 僕は無言を貫く。男から目は離さない。



「親子揃って気に食わない目をしているな――私が子供を狙ったのは、私が弱いからではない。属性魔法を使ったことがない人間にしか睡眠毒は効かないからだ。一度でも属性魔法を使えば、脳に耐性がついてしまうのだよ。だから子供がターゲットになっただけのこと――どういうわけか、ロイ・アヴェイラム。お前には効き目が薄かったようだがね」



 僕に効き目が薄かった? そういえば、誘拐されたときそんなことを言っていたな。普通は一瞬のうちに意識を失うのだろう。僕には耐性があったから、落ちるまでに時間がかかった。

 その理由は、いくつか思い当たった。



「僕は身体強化を使えるからな。それで耐性がついていたのだろう」



「それは違うな。睡眠毒は属性魔法にしか影響されない」



 となると、あのぶよぶよの無属性魔法のおかげだろうか。僕はあれを、魔力が属性魔法に変換される前の中間状態だと思っている。それを使えるようになったことで、中途半端に睡眠毒への耐性がついたのかもしれない。



「なるほど。つまり、睡眠毒は属性を決める脳の機能に作用する毒ということか」



「そのとお――」



 博士の左腕が飛び、ボトっと音を立てて地面に落ちた。

 僕との会話で油断していた一瞬の隙を、ヴァンがついたのだ。

 ヴァンは畳みかけるように追撃を加える。しかし、すぐに体勢を立て直した博士が素早く杖を構え、ヴァンに向けて炎を放った。

 ヴァンはそれを避け、さらに連続で斬りつけるが、男の身のこなしと炎魔法による牽制によって、再び距離を空けられてしまった。



「くっ」



 男はヴァンを警戒しながら浅く呼吸を繰り返した。少しずつ距離を取り、杖先をヴァンから逸らし、左腕の切断面に向け、炎を放った。

 ジュッと肉の焼ける音がする。風に乗って嫌な臭いが僕の鼻をつく。



「ぐ、ふぅ――小賢しいガキと肉体派のガキ。まったく、嫌な組み合わせだよ」



 博士の額には脂汗が浮いている。平気そうに振る舞っても、左腕を無くしたことが肉体にも精神にも大きなダメージを与えているのは疑いようがない。

 博士は今や完全にヴァンだけを見ていた。剣を持っていない僕を脅威と見ていないらしい。実際、僕が二人の戦闘に入っていってもヴァンの邪魔になるだけだろう。今僕にやれることは、博士の背後に回って逃げ道を塞ぐくらいしかない。

 僕はゆっくりと男を中心に時計回りに、ヴァンと二人で博士を挟み撃ちにするように移動していく。

 博士は背後を取られるのを嫌い、後退っていく。



「解毒剤は持っているのだろう?」



 僕は博士の注意をヴァンから逸らそうと試みる。



「さて、どうだったか」



「純粋に興味があるんだが、魔法毒の解毒というのは、どういう仕組みなんだ?」



「帰ったらママにでも教えてもらうといい。君の亡骸は、私が責任を持っておうちまで運んでやろう」



 無駄口を叩きながらも、博士はヴァンへの警戒を怠らない。二度同じ手は通用しないか。でも、腕一本になった博士よりも僕たちが有利なんだ。焦る必要はない。

 博士は一歩、一歩と後退る。後ろには木があった。

 僕とヴァンはさらに距離を詰めていく。

 博士は、地面から露出している根っこに踵をぶつけ、バランスを崩した。その瞬間を逃さず、ヴァンが地面を蹴る。そのとき僕は、博士が嫌らしい笑みを浮かべたのが見えた。

 ダメだ、ヴァン。そいつはつまずいたんじゃない。君を誘い込んだんだ!

 制止する間もなく、ヴァンは博士との距離を詰めた。

 地を這うような鋭い一閃が――空を切った! 博士は躓いたふりをして、しゃがんだ勢いを利用し、飛び上がってヴァンの攻撃を避けていたのだ!

 博士は、背後の木を蹴り、その勢いのまま、隙のできたヴァンの顔を思いっきり蹴りつけた。

 ヴァンが勢いよく転がっていく。



「ヴァン!」



 急いで僕はヴァンのもとへ走る。

 が、僕がたどり着くよりも早く、博士は杖をヴァンに向け、炎を放った。ゴオッという音とともに高速でヴァンの頭に炎が迫る。

 僕は無我夢中で左手をその射線上に差し入れた。衝撃と共に手のひらに熱が伝わった。

 あっつ。淹れたてのコーヒーを手に溢したくらい熱かった。

 僕は左手を冷やすため、手を軽く振った。



「冬に温まるにはちょうどいいぬるさだ」



「な、いったいなぜ……」



「実は、生まれつき炎が効かない体質でね。僕を焼き殺したければ、クインタス程度の火力は用意しておくことだ」



「そんなこと、あるはずが――」



 博士が初めて動揺を見せた。

 もちろん、僕はそんな体質ではない。無属性魔法で左手を厚く覆い、火への耐性を高めただけだ。エルサの書斎のオイルランプで火傷を負ってまで試した甲斐があったというものだ。

 僕は脚力を強化した脚で地面を蹴り、博士に迫る。ヴァンが動けない今、やつがショックを受けているこのタイミングしか、勝機はない。

 博士は一瞬遅れて動き出し、杖を僕に向け、炎を放った。それを僕は再び無属性魔法を纏わせた左手で防御した。

 僕のブラフが博士に迷いを生じさせたのか、ヴァンと戦っていたときよりも動きに精彩がない。



 博士の眼前まで接近する。そして、強化した右手で博士の腹を思いっきり殴った。

 衝撃で博士の足が地面から浮く。着地する直前、腹にもう一発拳をねじ込んだ。口から血を吐いた博士にとどめを加えるべく、回し蹴りの体勢に入る。

 僕の右足が博士の顎に吸い込まれる――寸前、博士は杖を捨て、右手で僕の足を掴んだ。掴まれた場所に、ちくりと鋭利なもので刺された感覚があり、直後、気持ちの悪い何かが体内に侵入してくるのを感じた。

 くっ。まずい。これは良くないものだ。

 僕は残る左足で地面を蹴り、博士の側頭部を蹴りつけ、なんとか拘束から逃れた。バランスが取れず地面に倒れ込んだ。

 追撃を覚悟したが、代わりに聞こえてきたのは、痛みを堪えながら笑う博士の声だった。



「ぐぅ。くっ。ごほ。はは。ようやく終わりだ」



 僕は博士から距離を取ろうと、足に力を入れ、立ち上がる。

 しかし、ぐらりと視界が揺れ、再び地面に膝をつくことになった。少しでも離れようと、腕の力で地面を這う



「私の研究分野は魔法毒だと言っただろう? ん? 違うな。魔力療法と言ったのだったか? まあ、同じものだがね」



 ゆっくり近づいてくる足音が後ろから聞こえる。僕は這いずり、みじめに逃げる。

 ざっ、ざっざっと不規則な足音が僕を追い越し、僕の正面に回り込んで止まった。



「面白いことを教えてやる。お前とリビィの息子に使った魔法毒だが――まだ解毒剤は作っていないんだ。これからお前たちの体を使って中和魔力を生成する予定だったからね」



 視界がぐわんぐわんと揺れる中、目の前の足に縋るように手を伸ばした。博士はもう僕を脅威と思っていないのか、足首を掴んでも振り払う素振りすら見せない。



「エルサ・アヴェイラムの息子――あの女の才を受け継いだのは、兄ではなくお前の方だったのだな。惜しいことをしてしまったよ」



 博士がつぶやく。

 子供をさんざんいたぶって、なに勝手に感傷に浸っている?

 僕は怒りに任せ、掴んだ足首からありったけの魔力を流し込んでやった。



「なっ」



 男は反射的に足を引き、僕の肩のあたりを蹴り上げた。

 僕は地面を転がり、仰向けの状態で止まった。



「お前、私に何をしたっ!」



 男は激昂する。まるでその答えをすでに知っているかのように。

 僕は、高速で魔力循環を行う。

 やつが言っていた中和という言葉が、僕の想像する通りの意味であれば、必ず回復すると信じて。

 ドサっと音を立て、博士は膝をついた。

 二人分の浅い呼吸音が冬の空に消えていく。片方はだんだんと早くなっていき、もう片方は、深くゆっくりとしたものへと変わり始めた。



「魔法毒の研究者なら、この後自分がどうなるかくらい、わかっているだろう?」



 視界が安定し始め、毒の中和が成功したことを確信した。僕は立ち上がる。



「ごほっ――小賢しい――ガキだ。はぁ、はぁ。最後にひとつだけ――ごほっ。私の話を、聞いて――くれるか?」



 博士が虫の息であることを確認すると、僕はヴァンのところまで行って口に手を当てた。

 息はある。気を失っているだけのようだ。やはり丈夫な男だな。あの程度で死ぬとは思っていなかったが。

 ヴァンの無事を確認し、僕は急いで小屋の前へと戻った。

 地面に横たわるルビィの息を確かめる。さっき僕が食らった毒の即効性から考えて、もうほとんど諦めていた。しかし、僅かに指にかかる息が、彼の生存を教えてくれた。

 あれが言うには、中和魔力はまだ作られていない。でも、僕たちの体を使って作る予定だったとも言っていた。ということは、ここの器具を使えばできるはずだ。

 ルビィを小屋の中の台へと運んだ。

 さっき布袋に入れたものを全て取り出し、ひとつひとつ見ていくが、見たこともない実験器具を前に、僕は立ち尽くしてしまう。



 だめだ、時間がない。

 あとひとつ、僕ができること。それは、魔力循環だ。ルビィの体を自分の体の一部であるかのように、魔力循環を行うんだ。

 だけど――二年前の夏、蹴り殺してしまった魔物のことが頭をよぎる。あのとき同じことをして、結局助けられなかった。

 後ろ向きな考えを追い払うように、僕は頭を振った。魔力の操作はあの夏よりも上達している。だから、大丈夫だ。



「お願いだから助かってくれ。僕のために」



 僕はルビィのお腹に手を当て、魔力を流し込んでいく。

 すぐに、自分の魔力操作が格段に上手くなっていることに気づく。あのときは、魔物の体内に入った魔力がすぐにコントロールを失い、霧散してしまっていた。しかし、今はしっかりとルビィの体の奥の方まで浸透し、循環させることができている。

 よし、これなら!



 僕は魔力循環を続けた。時折、ルビィの口元に耳を寄せ、呼吸を確認する。心なしか、彼の表情が和らいだような気がするが、自分が毒を中和したときのように、すぐに良くなっていく気配はない。予想はしていたが、やはり他人の魔力では中和することができないのか。



 循環の過程でロスが生じ、少しずつ僕の魔力は減っていった。もうどのくらい続けたかわからない。

 ああ、眠い。もう寝てしまおうか。

 意識が落ちそうになったとき、入口の方から声がした。もう外は暗くなり始めていて、その人物の顔は見えない。だけど、その輪郭を僕は知っている気がした。書斎で読み物をしているときに、仕事が終わって部屋の中に入ってくる輪郭と同じだ。



「えるさ……さん」



 緊張が途切れ、ルビィのベッドに突っ伏した。



「ロイ! 無事か! ルビィは!?」



 ヴァンの声?



「状況を教えて!」



 こっちはエルサの声だ。彼女ならルビィを救えるのだろうか?

 それなら、僕は何を伝えれば――



「僕の魔力――毒、中和済み――です」



 頭の上で二人が言葉を発しているのが聞こえるが、意味をなさない。意識が途切れる前、誰かの手が、控えめに僕の手に触れた。その手を握ると、おっかなびっくりといった様子で握り返してくる。

 少しだけ心が軽くなったような心地で、僕は眠りについた。

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