第111話 リリィ、おもいだす
いつでも冷静さを失わないレインの才能が、この時ばかりは裏目に作用した。
(…………ダメ、か)
身体は満足に動かず、魔力はもう一滴も残ってない。何より…………気力がもう尽きていた。
レインの頭脳は極めて正確に状況を整理し、瞬時に『自らの死』という計算結果を弾き出した。思わず笑いそうになるくらい、レインはその答えに自信が持てた。
(…………まさか、こんなところで終わりなんて、ね)
やり残したことは、まだ山のようにあった。
母親に認められたい。
クラスの皆に認められたい。
優秀な魔法使いになってフローレンシア家をもっと大きくしたい。
…………あの子に────リリィに、今日のことを謝りたい。
カランと音を立てて、レインの手から杖が転がり落ちる。レインはそれを拾う代わりに────ゆっくりと目を閉じた。瞼が落ちるその間際に、足元までスライムキングが迫ってきているのが見えた。
「…………こんなはずじゃ、なかったのになあ……」
ズズズ、と足先が何かに飲み込まれていく。死の間際には何とも不釣り合いなひんやりとした感覚に「ああ──そういえばこれは元々泉だったな」なんて、そんなことを最後に考えた。
「…………」
…………思考を放棄しても、音だけは鮮明に頭の中に響いた。どうやら耳は律儀に最後まで仕事を全うつもりらしい。耳を澄ませると、身体が飲み込まれていく不快な音の中に、風の吹き抜ける音や心地よい鳥の囀り、そして────
「れいん〜〜〜〜〜っ」
────聞こえるはずのない声が、聞こえた。
◆
(…………どーゆーじょーきょー……?)
やっとレインを発見したものの、その状況はリリィの理解の範疇を遥かに超えていた。ただ、レインが襲われていることだけは分かった。おっきなぽよぽよにレインの身体が半分くらい飲み込まれていたからだ。
「リリィ…………?」
「れいん、だいじょーぶ!?」
リリィは慌ててレインに駆け寄ろうとする…………が、レインはそれを手で制し叫ぶ。
「リリィ! 私のことはいいから今すぐにげて!」
「えっ、えっ、なんで…………?」
「いいから! はやく!」
レインの剣幕に、リリィは困惑し固まってしまう。そしてその隙をスライムキングは見逃さなかった。
「ボオォォォォォ…………」
スライムキングはその大きな身体をゆっくりとリリィの方に進ませていく。それによりレインの身体は解放されたが、やはりまだ力が入らず立ち上がれない。
「何してるの! 早くにげなさいってば!」
「えと、えっと…………」
どうすることも出来ず、混乱してうろうろと辺りを往復するリリィ。その間にもスライムキングはじっとりと距離を詰めていく。
リリィは何度かその場を往復した後、ぽよぽよから解放されたレインが座り込んだまま動かないことに気が付いた。
(れいん…………けがしてる…………?)
(おっきなぽよぽよにやられた…………?)
リリィは足を止め、スライムキングに視線を向ける。リリィの知るぽよぽよは心優しい生き物のはずだったが、おっきなぽよぽよからは嫌な感じがした。ヴァイスならそれを「敵意」と呼んだだろうが、リリィにはまだそれが何か分からなかった。
「ボオォォォォォ…………」
「リリィ! そいつとたたかっちゃダメ! にげて!」
(やっぱり…………おっきなぽよぽよが、れいんいじめた)
レインの悲痛な叫びについにリリィは状況を理解することが出来た。慌ててポケットから杖を取り出し、ぽよぽよに向ける。
…………向けたはいいものの、リリィはどうしても魔法を使う気力が湧かなかった。いざこうして杖を生き物に向けてみるとそこにはどうしようもないほど高い壁がある気がした。レインとは裏腹に、リリィには実戦に必要な素質が圧倒的に不足していた。
「…………うぅ」
リリィの感情がぐちゃぐちゃになっている間に、スライムキングはリリィの目の前まで迫っていた。レインは傍にあった石を掴むと、スライムキングに向かって思いきり投擲する。
「────このっ!!」
「ボオォォォォォ…………?」
ドプン、と石がスライムキングに飲み込まれる。液体の身体を持つスライムキングにその攻撃は何一つダメージを与えることは出来なかったが、興味を再びレインに向けることには成功した。スライムキングはゆるりと身体を反転させ、再びレインを飲み込まんと前進する。
「うう…………ううう……」
リリィはそれを黙って見ていることしか出来なかった。目の前の状況は完全にリリィのキャパシティをオーバーしていて、瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出す。レインを助けたいけど、その為に何をすればいいのか分からなかった。
そんな限界状況の中────リリィはふと、とある日の会話を思い出していた。それはテストが発表された日の、ヴァイスとの会話。
『もしリリィがピクニックに行って、怖い魔物にぽよぽよが襲われてたら…………どうする?』
『たすける!』
『どうやって助けるんだ?』
『まほーでやっつける!』
『怖い魔物は魔法でやっつけてもいいのか? 怖い魔物にも家族がいるかもしれないぞ?』
『…………うーん、よくわかんないかも…………』
『それじゃあ…………こういうのはどうだ? 誰かを助ける時だけ戦う、ってのは』
『たすけるときだけ?』
『そうだ。今回の話だと怖い魔物にぽよぽよが襲われているだろ? そういう時だけ戦ってもいいんだ』
◆
「たすける…………ときだけ……!」
その言葉は、一筋の光となってリリィの心の中に降り注いだ。暗雲に覆われた空がぱあっと明るくなっていく。身体中に元気が満ち満ちていく。
リリィは乱暴に涙を拭い、顔を上げる。ぽよぽよは今まさにレインを飲み込もうとしていた。ぐずぐずしている時間はなかった。
「むずむず…………」
リリィは再び杖をぽよぽよに向けた。今度は迷わない。持てる魔力を全て杖先に集中させる。
「むずむず…………!」
クリスタル・ドラゴンの素材を使用した透明な杖の先に、赤い魔法陣が出現する。それはリリィの魔力を吸収し、大きく大きくなっていく。
やがて魔法陣はスライムキングを包み込むほど大きくなり────
「たぁーーーーーーーーッ!!!!」
────赤い閃光が、辺り一帯を包み込んだ。
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