第27話 ヴァイス、10年振りの実家
「そろそろ顔見せにいくか…………」
虫取り網を片手に庭を走り回っているリリィをリビングから眺めながら、俺はひとつの決心を固めた。
────10年振りに実家に顔を見せにいこう、と。
…………魔法学校を卒業後、俺は親に相談することもなく逃げるように帝都を飛び出した。理由は簡単で、学校の先生や魔法省のお偉いさんがこぞって俺を魔法省に就職させようとしたからだ。それだけ俺の魔法の才能は飛び抜けていたらしいが、はっきり言って役人などゴメンだった。魔法省勤めは帝都において分かりやすいエリートではあるものの、そんなものに俺は魅力を感じなかった。
本当なら帝都に帰ってすぐに訪ねるべきなんだろうが、それがここまで延びてしまったのには理由があった。その理由は今、虫取り網の中に手を突っ込んで、満面の笑みでゲットした何かをこっちに見せてくれている。
…………そう、リリィの存在だ。
一言で言えば、リリィの事をどう説明したものか答えが出なかったのだ。10年振りにいきなり帰ってきて、しかも子供連れ。それも実の子供ではないときた。あまり干渉してくる方ではなかった父はともかく、母はびっくりして気を失うんじゃないか。勿論奴隷を買ったなどとは口が裂けても言えない。
それに両親は、俺が孤児を引き取るような性格でない事を理解している。リリィの事を根掘り葉掘り訊かれる事を想像すると、どうしても足が遠のいてしまうのだった。
◆
「孤児? あら、そうなの。どうりで似てないと思ったわ」
「…………それだけ?」
怒号か、平手打ちか…………それとも号泣か。
10年振りに実家に帰省するにあたり、両親のあらゆる反応を想定していたのだが…………母の反応は異様なほどさっぱりしていた。父は仕事に出ていて家にはいなかった。10年振りに会った母は、やはり多少老けてはいたものの、想像していたよりずっと溌剌としていた。
「立派な事じゃない。お前も大人になったわねぇ…………リリィちゃん、おばあちゃんですよ〜?」
「おばーちゃん?」
母はリリィの前にしゃがみ込むと、麦わら帽子の上からリリィの頭を撫でた。
「ま、立ち話も何だしとりあえずあがりなさいな」
母に連れられ、俺とリリィはリビングに通された。懐かしのリビングは10年前とほぼ変わっていなかった。色々な記憶がぶわっと脳内を駆け巡る。
「ここ、ぱぱのおうち?」
リリィは落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回している。
「そうだ。小さい頃はここに住んでいたんだ。あれはパパのおかーさんだ」
「ぱぱのまま? …………りりーのまま?」
「リリィのママではないかなあ」
テーブルについて待っていると、グラスをお盆に載せた母がキッチンから現れる。リリィは母からグラスを受け取ると、お茶を一気に飲み干した。外暑かったから喉乾いてたみたいだ。
「ヴァイスぅ、しっかり父親やってるじゃない。おかーさん鼻が高いわ」
母が弄るように小突いてくる。生意気だった坊主が「パパ」などと呼ばれているのが面白いんだろう。
「うっせえ。つーか10年振りなのにさっぱりしすぎだろ。俺は殴られるんじゃないかと覚悟してたんだぞ」
「殴る? どうして?」
俺の言葉が心底意外だったのか、母はきょとんとした。
「…………ほら、何も言わずに出てっただろ俺。心配かけたのは理解してたからさ。『このバカ息子が!』くらいはあるものだと」
「あははっ、ないない! 私の息子だよ? どっかで元気にやってるだろうとは思ってたしね。それにジークリンデちゃんも来てくれてたから」
「…………ジークリンデが?」
意外な名前に思わず聞き返す。
「あの子、魔法省に入ったのは知ってる?」
「ああ」
本人曰く、俺が逃げたせいで入省する羽目になったらしい。どの道ジークリンデは役人になっていたと思うけどな。どうみても天職だろ。
「お前が家を出てってすぐ、魔法省の制服を着たあの子が訪ねてきてね。『ヴァイスは絶対に私が見つけます。だから心配しないでください』って真剣な顔で言うのよ。私はいいって言ったんだけどね。それからはちょくちょく顔を見せに来てくれてるの。『すいません、まだ見つかりません…………』ってね」
「…………そうだったのか」
もしかして、俺が魔法省から指名手配されていたのはジークリンデの差し金だったのか?
…………俺が一番心配をかけていたのは、両親ではなくジークリンデだったのかもしれない。
「ヴァイス、あの子の事ちゃんと考えてあげなさいよ? お前みたいなちゃらんぽらんをずっと気にかけてくれるのなんて、きっとあの子くらいよ」
「…………そうかもな」
俺は善人ではないが、人の想いに応えてやりたいという気持ちはある。
あいつの望みと言えば…………リリィの母親になることだろうか。出来れば叶えてやりたいと思うが、それに関しては俺がどうこうというよりリリィの気持ち次第だろう。
ジークリンデがリリィに気に入られるようにサポートするくらいしか、俺に出来ることは無さそうだ。今度酒でも飲みながらその辺話してみるか。
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