【書籍化】売れ残りの奴隷エルフを拾ったので、娘にすることにした【コミカライズ】

遥透子@『バイト先の王子様』書籍化

1章

第1話 悪人の街、ゼニス

 悪人の街、ゼニス。


 それはこの世に存在するどんな地図にも載っていない、幻の街である。


 帝都ではたった一人が亡くなるだけで翌日の朝刊を賑わせるが、この街では昨日飲み屋で会った奴が今日生きている保証はない。人の生き死になど文字通り日常茶飯事で、誰かが呼吸をする間に影で誰かが死んでいる。

 そんなこの街が何故無くならないか、それはこの世に悪人が多すぎるからだ。今日も誰かがゼニスの門扉を叩く。くだらない話さ。


 そんなこの世で最も地獄に近い街ゼニスでは、奴隷商売も盛んに行われている。

 帝都ではバレたら一発死刑の奴隷商売もゼニスではポピュラーな商いだ。それこそ果物でも売るかのような気軽さで堂々と大通りに並んでいる。


 親が殺されたか、親も奴隷になったか、それとも親なんて初めから居ないのか。幸せの形は数少ないが、不幸の形は人それぞれ。色とりどりの絶望を瞳に湛えた奴隷たちが、首を鎖で繋がれ石造りの通りに並んでいるその姿は、もしかしたら一見さんには異様に映るかもしれない。助けてやれと思うかもしれない。


 だが、俺は何も感じない。何故なら俺もまたこの街ゼニスの住人だからだ。


「…………あン?」


 そんな訳で俺はいつも通り「何か面白い事でも転がってないかねえ」と視線を彷徨わせながら、通りを当てどなく歩いていた。路地裏の方に視線を向ければ、盗みがバレたらしい8歳程のガキが筋骨隆々のスキンヘッドにとっ捕まって半殺し────いや、あれは死ぬな。拳が深々と腹に突き刺さっている────全殺しになっていた。ゼニスでは極々日常的な風景で、わざわざ気に留めるまでもない。俺が声を挙げたのはそんなどうでもいい事に対してではない。少し向こうで4、5歳のエルフのガキを数人並べている、顔見知りの奴隷商人ゲスのラインナップに対してだ。


「…………待て、ありゃハイエルフじゃねえか。嘘だろ、どうしてゼニスでハイエルフが売られてるんだよ。そもそも実在してたのか!?」


 ────ハイエルフ。


 それはかつて存在したとされる、エルフの上位種だ。その存在は一般には知られておらず、高位の魔法歴史書にその特徴のみが記されている、言わばおとぎ話の登場人物。遥か昔に絶滅したとされるその種族はこの世のありとあらゆる魔法を行使出来たらしい。

 とは言え書物の中にしかその存在を確認出来ないハイエルフなんぞに興味を持つ学者は少なく「へえ、凄いね」と読み飛ばされるのがお約束になっている。


 ハイエルフの特徴は大きく2つだ。

 通常緑色の髪を持つエルフとは違い、ハイエルフは美しい水色の髪を持つらしい。そして、耳の先が極端に細い。滑らかに細くなるのではなく、ガクッと細くなるその特徴が、昔帝都で読んだ歴史書に図で説明されていた。当時は「こんな役に立たん知識に図でスペース使うなよ」と不満を持ったものだが、今日だけはその事に感謝した。


「────ようゲス。今日は随分子沢山じゃねえか。どうしたんだよ一体?」


 近寄り声を掛けると、ゲスはその醜い顔を俺の方に向けた。ボロ布1枚身に纏っただけの奴隷達は俺に反応することなく、ぼーっと虚空を見つめている。


「…………おお、ヴァイスのアニキじゃねえですかい! こんな昼間から一体どうしてこんなところに?」


 ゲスとは何度か酒場で酒を飲み交わした仲だった。俺はこの街ではちょっとした有名人で、兄貴と慕ってくる者も多い。ゲスもその中の一人だ。


「別に。只の散歩だ。それよりどうしたんだよ、エルフのガキ5人とはまた」


 奴隷というのは果物とは違いそんなポンポン売れるものでもない。日に1人でも売れたら上々という商売だ。衰弱死してしまわないように最低限の食事を与えなければいけないし、夜間の置き場の問題もある。5人も扱うのは非効率的なのだ。そんな事を本職のゲスが分かっていないはずはない。


 聞いてくださいよアニキ、とゲスは笑い、その黄ばんだ汚い歯を惜しげもなく覗かせた。


「この前、丘の上のある館の住人が皆殺しにされた事件があったじゃないですか」

「あったな」


 勿論覚えている────犯人は俺だからだ。あの貴族は上っ面こそいいものの、陰で人身売買の元締めをしていた。だから死んだ。


「実はね…………あの館の地下に、奴隷を飼う牢があったんですよ。そこにはもう大量の奴隷がいたんですわ」

「…………そうだったのか」


 地下牢の存在には気が付かなかったが、俺は殺しが目的だったからまあ仕方ないだろう。もし気が付いていればこいつらが奴隷になることはなかったのに……などといった後悔はない。俺は驚きを自分の中に閉じ込めた。


「盗みに入った火事場泥棒の類がそれに気が付きましてね、でもそんな大量の奴隷、個人じゃどうする事も出来ない。それで、数人の奴隷商人でその奴隷達を分け合ったんですわ」

「…………それが、これか」


 地面に転がっている、奴隷たちに視線を落とす。


「そうなんす…………正直困ってますわ。こんな大量に渡されてもすぐに売れるわけでもなし。それに、1匹痛んだ奴も引き受けさせられちまった」


 そう言うとゲスはハイエルフに視線を向けた。


「綺麗なエルフのガキなら引き取り手に苦労もしないんですけどね、こいつぁダメだ。髪もおかしな色だし、耳も変形しちまってる。おおかた館の主の嗜虐趣味か、実験にでも使われてたんでしょう」


 全く的外れな物語をゲスはペラペラと喋っている。生まれた時から地面を這いずって生きて来たようなこいつが、ハイエルフの存在など知っているはずもなかった。


「で、どうするんだこいつ」


 俺は顎をしゃくって、ハイエルフの子を示した。さあねえ、とゲスは大きく息を吐いた。


「売れなきゃ、その辺にでも捨てるつもりですわ。野犬の餌にでもなるでしょうよ。ま、こいつらにとっちゃそっちのが幸せかもしれないですな」


 カカカ、とゲスは大きく笑った。何が面白いのか全く分からなかったので、合わせて笑う事はしなかった。そろそろ本題に入ることにしよう。


「────こいつ、いくらなんだ?」

「…………は? 買う気なんですかいアニキ?」

「それは値段次第だな」


 例え1000万ゼニーでも買うつもりだったが、そんな事を言えば無限に吊り上げられるに決まっている。知り合い相手でも商売は全力なのがゼニス魂だ。


「いやァ…………悪いことは言わねえ、こっちの普通のにしといた方がいいですよ。曰く付きの奴なんてわざわざ買うもんじゃねぇ」


 何をトチ狂ったのか、ゲスは自分から商売のチャンスを逃すような事を言い出した。その優しさを、奴隷から求められても一度も与える事をしなかった奴が、どういう風の吹き回しだろうか。


「…………俺はな、前々からお前の商いに協力したいと思ってたんだよ。その売れないエルフ、俺が引き取ってやる」


 100パーセント嘘で構成された俺の感動的なセリフに、ゲスは瞳を濡らした。


「ア、アニキ…………このゲス、感動いたしやした! そういう事なら是非、引き取ってくれるとありがたいす!」


 ゲスは座ったまま、深々と頭を下げた。


「で、いくらなんだ」


 そんなゲスには目もくれず、ハイエルフの少女を眺めながら聞くと、そうっすねえと間延びしたゲスの声が聞こえてくる。


「普通のエルフの少女なら大体300ゼニーで売ってるんで…………まあ状態とか考えて250…………いや、アニキなら230でどうですかい?」


 230…………帝都なら一般家庭の一日の食費未満だな。片やゼニスではそんな端金で命が売買される。とても同じ世界とは思えないが、これが現実だ。


「構わない、300出すよ」


 俺はポケットから銅貨を3枚取り出し、ハイエルフの傍に投げた。奴隷たちはピクリとも反応しない。もう、何もかもを諦めているようだった。


「アニキ…………本当に助かります! やっぱりアニキは最高の男っすわ…………」

「あまり持ち上げるな。ところでほれ、鎖を外してくれ」

「ああ、ちょっと待ってくださいね」


 ゲスは鍵束からひとつの鍵を探し出すと、ハイエルフの首元に当てがった。がしゃん、と重たい音と共にハイエルフを繋ぎ止めていた鎖が地面に落ちる。助かったというのにハイエルフの少女は俯いたまま何の反応もない。自分に何が起こっているのか、全く分かっていないんだろう。


「ほれ、いくぞ」


 俺は少女の手を取って無理やり立たせると、ゲスに背を向けて歩き出す。ハイエルフの少女は俺の手を握り返すこともせず、ただされるがままだった。


 まいどありーというゲスの不愉快な声が、いつまでも大通りにこだましていた。

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