第25話 遅刻したくない
「グツグツグツ……」
「……え?」
……え? なんか、沸騰してない? 気のせいかな、グツグツ聞こえるの。
やかんの中を覗くと、どくどくと波打つ水面の上に、これでもかとばかりにぼこぼこと気泡が浮かんでくるのが見えた。
……おん?
え、超沸騰してる。……なんで?
「……」
……いや、待てよ。
そういえば、「花」が吸い取ったエネルギーって、どこいった?
この世界には、力学的エネルギー保存の法則、というものがある。
その名の通り、力学的エネルギーはいついかなる場合でも保存される、というものだ。
例えば、ジェットコースター。
電気の力でゆっくりと昇って行って、やがてコースターは高さの最高点に達する。
眼下にテーマパーク全体の景色が広がり、「おお……いい眺めぇぇえええええええ!?」という感じで、それはもう物凄いブサイク顔で落ちるだろう。
ここで、これから落ちますよ~という最高点の高さをhとする。
目の前に見える次の山は、今いる場所と同じ高さh。
想像したくもない、下を向けば見える最下点の高さは0。つまり地面だ。
最初に持っているのは位置エネルギー、質量×重力加速度×高さでmgh。数値や記号はあまり重要ではないが。
「へー、mghなんだ……てか景色キレイぃぃぃいいいいい!?」てな感じで、一番下まで落ちる。
一番下、つまり高さ0の地点では、位置エネルギーがすべて運動エネルギーに変換され、持っているエネルギーは1/2×質量×速度の2乗で1/2mv²となる。
今度は、そのエネルギーを使って目の前の坂を上る。
「あばばばばばばば!?」と、もう話は聞いていない様子で、コースターは一気に坂を駆け上がる。
高さをh昇ったところで、ちょうど運動が止まった。
この過程で、最下点で有していた運動エネルギーは全て位置エネルギーに変換され、コースターが持つエネルギーは再びmghとなる。
なぜ高さhで止まったか? もともとそれだけのエネルギーしか持っていなかったからだ。
つまり、エネルギーは減らない、ということ。
空気抵抗などを無視して話を進めたが、そういった要素を考慮してもなおこのことは成立する。
空気抵抗は空気にエネルギーが逃げ、摩擦は摩擦にエネルギーを使っているだけなので、ジェットコースターがある空間全体で見ればやはり力学的エネルギーは保存される。
そのはずなのに。
おかしいと思っていたのだ。エネルギーが消滅するなんてことはあり得ないから。
だから、この現象は、この沸騰は。
「奪ったエネルギーを、与えた……?」
それなら、説明がつく。逆に、それ以外では説明がつかない。
エネルギーを「奪い」、「与える」『チート』。
あの時の説明書にこんな内容は一切書かれていなかったのだが、恐らくそういう『チート』だ。
「奪って」、「与える」。
「奪う」は、実質6秒間の時間停止。
「与える」は、発動の仕組みはまだよく分からないが、他者や他物体の持つエネルギーを、完全に自分のために、好き勝手に行使できるということだ。
……えっと、まぁ、その、ほら、うん。
「ってええええええええええええええええ‼」
俺、TUEEEEEEEEEEEEEEEERYYYYYYYYYYYYYYYYYEEEEEEEAッ!!!
何で何で何で!? 何で俺こんな!? 何で俺こんな強くなっちゃってんのぉぉぉ!?
しかもこの文明社会で! 高度にシステム化された文明社会で! 一体何に使えって言うんだよおおおおお!
一向に、解! せ! ぬッ!!!!!!
「……フゥ、フゥ……」
叫び疲れた……。かっくりと膝が折れ、床にへたりと座り込む。
……えっと、ああー……、……そうだ。例えば、学校でどんな時に使えるだろう? サッカー? バスケ? ドッヂボール?
……ん? 学校?
「ハァ……、ハァ……」
8時20分、一時間目が始まる時刻。
ちょうどその瞬間、大通りを爆走する高校生は、そう、俺。
新たな能力に目覚めたせいで遅刻しました、どうも俺です。
しきりに脈打つ鼓動。
息が入ったり出たりするのがとても苦しい。
足には、階段を駆け上がった鈍い疲労が。そもそも学校に階段なんて作るな。生徒が疲れるだろ。ついでに言うと怪談も作るな。生徒が怖がるだろ。
そんなことを考えながらふらふらと廊下を歩いていると、「2-8」の札がやっと見えた。
さすがに今この状況で廊下は走れない。常識的にも、体力的にもきついところがあります……。
教室後方のドアに手を掛け、なるべく音を出さないようにしずーかに開ける。
ドアを必要最小限だけ開けて教室へと入り、念には念をと『マクスウェル』まで使って音を消していたのだが、やはり姿までは隠すことは出来ないようで。
教室で唯一後ろを向いていた人物に見つかり、チョークのコツコツと言う音が止まった。
「……じょ、城ケ崎!」
げ……。見つかった……。
クラス中がばっと振り向き、無遠慮な視線が俺に突き刺さる。居心地の悪い、嫌な視線だ。
「……えっと、先生、遅れてすいません」
我らが担任にして物理担当・一ノ瀬一乃は、頬をぷくっと膨らませて怒ったような顔を俺に向ける。ちっうっせーな反省してまーす。あれは本当に反省しろ。
俺のばつの悪そうな表情を見て取ったのか、一ノ瀬先生は気の抜けたようにぽしゅっと息を吐きだし、呆れたようにふっと微笑む。
「……城ケ崎。学校、来れたんだな……」
いやだから俺が不登校みたいなのやめろ。違うから。毎日ちゃんと来てるじゃん。
「ええ、まぁ」
「理由は後で聞くから、席について」
「うす」
一番後ろの自席に向かい、鞄を下ろし、席につく。
鞄を引っかけるついでに、ちらと左隣を見る。
わざとボタンを外し柔らかな肌が覗く胸元、ふわりと羽織る黒のカーディガン。
つやつやと輝く亜麻色のポニーテールが揺れて、「城ケ崎譲が苦手な女子ランキング」暫定一位、春川遥と目線がぶつかった。
ルビーのように綺麗に輝く彼女の目に気づき、俺が軽く会釈すると、彼女は何か言いたげに口を開いたが、言葉を紡ぐことはせずにおずおずと会釈だけを返してくる。
それっきり彼女は前を向き、俺も現在進行中の授業の道具を出す。……春川さん、ちょっと気付いたんですけど、たぶんノートの答え間違ってますよ? 電源電圧が十万ボルトなのはおかしいですよ? ピ〇チュウを電源にしてるんですか?
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