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 それから程なくして二人の注文したパスタが運ばれてきた。

 この店は大皿をシェアして食べるのがスタイルなので、二人は二人前の量のボロネーゼを注文していた。取り皿に豪快……もとい手早く取り分けてくれている智夏を見ながら、碧は頭に浮かんだ質問を投げる。

「智夏って、バイセクシャルってことになるん?」

 初めてされた告白から少しだけ時間が経ったためか、碧の頭は幾分か落ち着きを取り戻していた。まだ、ふわふわとした幸福感は消えないが、そもそも一緒にいることが心地良いと思っていた相手だったので、気まずさなんてものはない。

「まー、そういうことになるんかなー。女の子と付き合ったことは初めてやけど」

 いつもの軽い調子でそう返されて、碧は驚く。

「嘘っ!? あんなに手慣れた感じで告って来たのに? あれは、絶対何人も彼女いた人のセリフやって!」

 驚きの余りついつい大きくなった声は、しかし店内の喧噪が搔き消してくれた。セーフ。

「告白なんて、男相手でも女相手でも言う言葉なんて同じようなもんやろ。この世で一番大切にしたい相手に言う言葉なんやからさ」

「でも、姫さん扱い、なんて言葉普通出んって! それに大切にさせて、なんてプ、プロポーズみたいやん……」

「あー、それ? 碧に前借りた少女漫画に描いてあったやん。『女の子はいくつになってもお姫様~』みたいな言葉。私、あれにはどうもピンとこんかったけど、碧はああいうの好きなんやろ? せやったら、私もしたげななぁって思っただけやで。それにな、相手のこと大切にするのはなにも、男だけの責任ちゃうやろ? 私は今までの彼氏にだって『大切にする』って言ってきたで」

 智夏が言った少女漫画とは、二ヵ月程前に彼女に貸したお気に入りの漫画のことだ。昔から新刊が出る度に買っていた恋愛漫画で、俗に言うシンデレラストーリーの内容だ。確かにあの漫画では、女は守られる前提で、お姫様扱いするのも大切にするのも男の役割だった。

――こんなこと、指摘されなきゃわからへんなんて……なんで私、大切にされるのは女だけって思ってたんやろ……

 たまたま鞄に入れっぱなしにしていた漫画だった。彼女に貸そうなんて思ってもみなかったし、そもそも内容的に好きではないだろうと思っていた。現に好きでもなさそうな感想だったが、それでもその中身を碧が好きなんだと考えて、描いた夢と理想を叶えようとしてくれているのだ。

「……私も、大切にする……」

 ぽつりと呟いた言葉に、智夏は本当に嬉しそうに笑う。

「ほんま? 碧にそう言われるん、嬉しいわ。ほんまは元カレとかのことなんて、今の恋人に言うことじゃないんやけどな。これで最後にさせてや」

 手を前に出して軽く謝る仕草をする智夏に、碧も頷いた。

「さ、せっかく取り分けたんやから、冷めへんうちに食べよや。ちゃんと食いながらでも、碧の質問答えるからさ」

「うん。いただきます」

「いただきます」

 二人で手を合わせて食べ始める。何度か来たことのあるチェーン店なので、味はもう保証されている。なので何の心配もない。

――って、あれ? 心配が、他にもあったような……あっ!!

「病気って、何やったん!?」

 立ち上がらんばかりの勢いの碧に、隣の智夏が驚いたように咽てしまう。なんとか口に入れたパスタを飲み込みつつも、げほげほと咳き込み、それから水をぐいっと飲み干して漸く落ち着きを取り戻す。

「検査……内視鏡の検査やったんやけど、簡単に言えば腸の病気で、難病らしいわ」

 ガツンと、頭が殴られたような衝撃だった。

――難病って、何? がんとか、そんなの?

「な、難病……って?」

 震える声で、そこまでしか声にならなかった。本当に、今日の智夏は予想外のことばかり言ってくる。

「ほとんど治る余地のない、一生付き合っていかなあかん病気ってことやわ。良くなることもあまりないらしいから、悪くなる一方で、最終的には人工肛門とか大腸がんとかそういうもんになってまうらしい」

 彼女の口から、聞き慣れないどこか遠くの世界の話のような言葉が次々と飛び出す。

 治らない。難病。がんになる。一生付き合っていく。それは、どんな言葉よりも重苦しく、そして冷たい。

 少女漫画の世界では、難病に侵された恋人は、奇跡的に回復するものだ。それか綺麗に綺麗に死んでいって、残されたヒロインは――

――なんで幸せそうに笑ってるん?

 残された子供と一緒に幸せに生きたり、新しい恋人と幸せになったり……こんなに好きになってしまった相手が、この世にもういないのに、なんで!

 思わず固く握り締めた手が、暖かいものに包まれる。慌てて視線を落としたら、智夏の手が添えられていた。細長い指先はひんやりと冷たいのに、どこか暖かさに溢れている不思議な手だ。

「ちょいちょい碧。話最後まで聞けよ? あんた今、私のこと勝手に殺してたやろ? 難病やって言うても、今すぐ死ぬような病気ちゃうねん。そりゃなんも治療せんかったら十年もしたらがん化するって言われてる病気やけど、薬飲んで生活気を付けたら、普通に生きていける病気やねん。だから、安心せえ」

 安心と疑心がない交ぜになっている碧の肩に頭を乗せて、智夏は「碧のこと、そう簡単には一人にはせんから」と付け加えた。「同性婚って日本はまだ認められてないけど、私は将来のことまで考えれたらええなって思って、考えてるからな」とも。

「智夏って、しぶとそうやもんね」

 心に巣食った不安を吹き飛ばすために、敢えて碧はそう茶化した。

 嘘をつかない彼女の言葉を、一番に自分が信じなければ、いったい誰が信じるというのか。

――かっこいい自慢の恋人は、男の子みたいに強くて男前な性格なんだから。だから……私も、将来のことを考えたお付き合いをしたい。

 大好きな少女漫画の世界では、恋愛が成就すればストーリーはハッピーエンド。続きがあったとしても番外編みたいなもので、そのどれもが幸せ絶頂の景色を切り取る。少女漫画の醍醐味はやはり、恋愛が成就するまでの片想いの期間で。

「智夏って……私のこと、いつから……す、好き、やったん?」

 自分で言っていて気恥ずかしさに負けて言葉に詰まる。なんだか自分がとてつもないナルシストにでもなったような錯覚がして、顔から火が出そうだった。同じようなセリフを隣の彼女に言わせたら、それはもう歯の浮くような口説き文句に早変わりするだろうに。

「……初めて見た時から……負けたって、思った」

「え、ま……負けって?」

 予想外の返答に、思わず碧は智夏の瞳を覗き込む。彼女にしては珍しく、その目がすっと逸らされる。少しの間をおいてから、観念したような溜め息と共に智夏は続きを言ってくれた。

「見た目も性格も可愛すぎて、惚れてもた。惚れたら負けって言うやん、そんだけの意味やけど。とにかく、最初は女もいけるんか自分? って思ったけど、べつに他の女の裸見て興奮するわけでもないし、気の迷いかー? って悶々としてて、仕方ないしセクマイの友達に聞いたら『お前、男やったら誰彼構わずヤりたいと思うか?』って突っ込まれて、確かにっ! って理解したんやわ」

 最後の方にはいつもの調子を取り戻し、身振り手振りまで加える彼女の言葉が、なんだかとても嬉しかった。女だから、誰でも良いというわけでもなく、智夏は碧を、碧だから選んでくれたということなのだから。

 彼女の言葉に出てきた『セクマイ』というのはゲイやレズビアンといった人達のことだろう。もしかしたら、あの集まりにもいるのかもしれない。しかも、この様子だとけっこう公言してそうな雰囲気だ。

――でも、確かに……智夏にはなんでも話せそうな雰囲気、あるもんなぁ……

 多少のことには驚きもせず、笑い飛ばしてしまいそうな空気を持つ智夏は、小柄な身体のくせに頼りがいのあるお姉さん的存在だ。そんな彼女には性別なんてものは、ほんの小さな問題なのかもしれない。

「触れたいって思った女は碧が初めてやわ。好きやで、碧」

 握られた手に力が入る。綺麗な彼女の横顔に、碧は「私も、好き」と真っ直ぐに返した。

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