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まだ少しふらついている智夏を助手席に乗せて、碧の運転で病院近くにあるパスタ屋に向かう。
どうやら昨日の夜から何も食べていないらしい智夏が、「とにかく腹が減った。碧が食べたいもんでエエから、どこかで昼飯食べよ」と言うので、碧は特に何も考えずに好きなパスタと答えてしまった。
そして答えてから、この決定は問題があったと悟る。この近くにはパスタ屋やカレー屋、喫茶店等があるが、食べ物の好き嫌いがない智夏はどこでも美味しく食べることが出来、碧もそこまで好き嫌いがあるわけではないので、今の気分的にパスタを選んだ。
しかし、智夏は昨日の夜から何も食べていない。その理由は検査のために他ならない。それはつまり、胃に何か入れていては結果が出ない病気。胃腸関係の病気の検査ではなかったのだろうかと推測出来る。
そんな検査の後に重たいパスタ料理等、本来なら選んではいけないはずだ。しかし彼女は何の躊躇もなくその提案に乗っかっている。それが碧を更に困惑させた。
「碧、運転上手なったなぁ。初めて集まりにこの車で来た時は、マジで人撥ね飛ばすんちゃうか思ったけど」
当時のことを思い出したのか、智夏が隣で笑いながらそう言う。智夏に車のことを聞くうちに運転にも興味を持った碧は、努力の成果を試しに見せてみようと、集まりにこの軽自動車で行ったことがある。
その時は初心者らしい急停止と急発進を披露してしまい、周りから大笑いされてしまった。それでも恥ずかしがる碧の隣で、智夏は満足そうに笑ってくれていた。
「もう……そのことは、言わんといて……」
恥ずかしさで前を向いていられなくなりそうになる碧に、智夏はあの時と同じように笑った。満足そうに、包まれるような優しい声で笑った。
「碧ってマジで可愛いよなー。大学でもいじられキャラちゃう?」
にやっと笑う口元の上で、悪戯気に細められる瞳。集まりの時に見る興奮した鋭い眼光でもなく、普段よく見る気だるげな様子でもない、強さを宿した瞳だった。
――その瞳、かっこいい。
「そ……そんなん、ちゃうし」
心に浮かんだ言葉に戸惑い、返答におかしな間が出来てしまった。
普段から男勝りな言動の多い智夏のことは、確かに同性ではあるが『こんな人が男の人だったら良いのに』と思うくらいにはかっこいいと思っていた。見た目は完全に女性だが、中身が男前過ぎるのだから仕方ない。
だからなんだか、まるで『異性』に見せるようなその瞳の輝きを見てしまい、どうにも気恥ずかしい気持ちになってしまったのだ。
「ほんまかー? 真面目ちゃんな碧は好きやけど、あんまいじられ過ぎんなよー」
不自然な間には気付かなかったのか、智夏は変わらず笑いながらそう言い、碧の頭を撫でてきた。
子ども扱いされたような気がして、碧はその手を無視して運転に集中することにする。智夏はまだ笑ったままだ。やはり病気という感じは、しない。
そうこうしているうちに目の前に目的地のパスタ屋の看板が見えてきた。右折で駐車場に入ることになったが、智夏がさりげなく左右と後方の確認もしていることに気付いて、いつもより安心して右折することが出来た。
駐車スペースにもしっかり駐車を決めると、智夏が「おー上手いやん。いっぱい練習して偉いな」と目を細めて褒めてくれた。駐車の時にも周囲の確認をちゃんとしてくれていたのに、そんなことはおくびにも出さない。
運転席から出た碧は、智夏がちゃんと降りられるか心配で助手席の方へと回ったが、どうやらもう麻酔の影響は抜けたようで、しっかりとした足取りの彼女が降りてきた。
静かにドアを閉める彼女を見て、本当に車が好きなんやなぁと感心する。普段の扉の開け閉めの様子を見る限り、彼女はがさつな人間だ。
「あー、碧はそんな姫さん扱うみたいに動かんでエエんやで」
碧の行動に気付いた智夏がそうバツが悪そうに言った。気遣いをしたつもりだったが裏目に出てしまったみたいで申し訳ない。自信家な面もある智夏だ。プライドだってあるだろう。
そう考えたら今回の迎えだって、本当はかなり心境的に辛いのかもしれない。年下の、ましてやまだ初心者マークをしていても心理的には問題ないような運転をかます女に迎えを頼む等、本来ならばしたくなかったはずだ。
平日の午前中ということもあり、他の人間の都合がつかなかったのだろう。
――そういえば……彼氏だって、いる……よな?
ずきんと、心が痛んだ。それが何故かはわからない。表情に出てしまっていたのか、智夏がすっと碧に近寄ってくる。小さなバッグを肩に掛けたその身体が、ぶつかる寸前まで近づいて――
「――姫さん扱いしたいんは、碧の方やねんから」
耳元で、囁かれた。
碧よりも小柄な智夏だが、正面から腰に手を回し、肩にこてんと頭を添えるようにして耳元で、ダイレクトにそう囁かれた。
道端、というか駐車場の真ん中だ。昼前なのでそれなりに人通りもある。首から下が固まってしまって、唯一自由に動いた瞳だけで、その赤茶を見る。
軽い軽い、遊び人のような言葉の上で、その瞳だけは熱心に碧を見ていた。
まるでじゃれ合う女子高生のような感覚で、しかしその瞳には、本気の熱量が渦巻いている。
――本気、だ……
嘘を言うような人ではなかった。特に、人に対する感情を伝えることに関しては、絶対に嘘をつかない人だった。
仕事柄口が上手いことは、碧だけでなく周知の事実ではある。趣味が派手なために遊び歩いているのも事実だ。嘘はつかないだけで上手くはぐらかすために、身体の関係の人間がちらほらいるという噂も聞いている。
碧だって交際経験こそないものの、頭も身体も大人の女のつもりだ。そういう関係があるということも理解しているし、正直、本人同士がそれで良いのなら周りが口を出す問題でもないと思っている。そもそも、噂は噂だ。同性に嫌われる要素抜群の彼女だから、本当に噂だけかもしれない。確かに口は上手いが。
それでも、嘘はつかない人だった。少なくとも碧の前では。
「なーに?」
ただ言葉を零しただけの口元が、卑猥にすら感じる。腰に回された腕に力が入る。上目遣いの瞳が、まるで何かをねだるように揺れている。こんな顔を男性にもしているのだとしたら、確かに男の方から群がってきそうだ。
ほとんど抱き合うような体勢で、かっこいい――『理想の“男性”像』である彼女の顔が目の前にある。
――かっこよくって、気が遣えて、稼いでいて、自慢出来る車持ってて、私に優しい……女の、人……
「えっと……よ、く……わかんない……」
この状況がよくわからない。多分、自分は口説かれてる。でも、彼女は女で、自分も女だ。嘘はつかない人だけど、悪ふざけはする人だから、きっと今のこれも悪ふざけで……?
小さな笑い声が響いて、それに合わせて赤茶の髪が揺れる。そして優しい笑顔のまま、彼女はしっかりと碧を瞳に映して言った。
「このままここで口説かれるか、店の中でメシ食いながら口説かれるか、どっちが良い? あ、このままやと勢いでキスしてまうかもしれんけど、それやとあかん?」
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