2. 学生期 ~狂乱~


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 ドサッと何かが音を立て、全身に痛みが走った。辺りはすっかり夜の闇に包まれている。秋の虫が盛んに鳴き、冷たい風が周囲の樹々を無慈悲に揺すっていた。


「ああ、気が付いたか」


 この低い声は……クランシィ様か。うちの上司の右腕だ。自分より十代ほど前に、やはり最優秀で魔導学院を卒業し、今や最若の上級魔導士候補である。

 整った顔立ちと、魔導士のくせに鍛えられた長身で、社交界に出れば黄色い歓声が上がるときた。


「では後は頼んだぞ」


 カドック様の声もする。強烈な眩暈めまいがして、上手く立ち上がれない。何か言おうとして口を開きかけた瞬間、太い樹の幹に身体が打ち付けられていた。


「ぐ……」


 これは、風の攻撃魔術だ。繰り出したのは、あちらで魔杖まじょうを構えてニヤついているクランシィ様。

 次の攻撃を防ごうとして自分の袖口に手をいれるが、外套がいとうの中から魔杖が忽然こつぜんと消えていた。


「これか? どうしても欲しいのならやっても構わぬぞ。

 ――ひざまずいて可愛くお願いするならな?」


 そうだ、この方はそういう趣味だった。女みたいにひょろっとした同期は、早々に『御手付き』となった。

 男色自体は神官時代には当たり前だったし、上の者に便宜を図ってもらうなら決して悪い取引ではないと思う。それはそうなのだが。


「私の魔杖などクランシィ様のそれに比べれば、何の価値もございません。

 それよりも、一体これはどういうことでございましょう」


 怒らせないように、愛想笑いで下手したてに出ることにした。痛みでどうにかなりそうだったが、素直に『助けてくれ』とすがれば更にいたぶってくるだろう。


「じゃあ――いらないってことで」


 いらないわけがなかろう! 実際には奴の魔杖の何倍もの価値がある。偉大な魔導士シャンレイ様の残した魔石を埋め込んだ、いわば家宝のようなもの。それを無造作に放り上げ、自分の魔杖で粉々にしやがった。


「いいね、そのにらみ方。ぞくぞくするよ」


 なんて男だ。同じ魔導士として、やって良い事と悪い事があるだろう。魔杖は自ら登録せねば、ただの棒っ切れだ。何故破壊する必要が。


「今宵限りで君は神殿から消えるのだから、必要ないだろう?」


 切れ長の瞳をギラつかせ、口の端を持ち上げた。クランシィが玩具を見つけたときの顔だ。

 本人としては最大限の笑みらしいが、目撃した者は一様に背筋に冷たいものが走ると訴える。


「今宵限りとは……どういう意……ごふっ」


「おや。手加減したつもりなのだが、案外ヤワな身体だ。同じ首席卒業を名乗っておきながらそれは良くないね、シャンレイ」


 腕輪として身に着けていた魔石もない。普段ならすぐに指先に集まる魔力も、全く感じられなかった。あの酒に呪い薬を仕込んだか。


「君はメルヴィーナ様を襲おうとして、我々に見つかり、そのまま神殿を逃げ出したんだよ」


 ――という筋書きで片付けるつもりだな。彼女を狙っていたのは、お前だろうに。


 月明りの中、重厚な建造物の輪郭が薄っすらと視界に入る。神殿の奥から霊山に運び込まれたということか。

 原因は一つしかない。あの偽りの聖女を担ぎ出す魔術の独占。


「はは……げほっ」


 自分の愚かさを笑おうとして、せき込んだ。木に背中を預けても、立っていられる自信がない。

 上級魔導士以外は立ち入りが禁止されたこの場所なら、殺されても誰にも発見されることなく朽ち果ててしまう。偉大な魔導士様の血を引いていながら、若い身空でこのザマとは。


「それでも君には多少の羞恥心が残っていたらしく、自らの愚行を恥じて行方知れずということで」


 確かに愚行は恥じている。未婚女性と部屋で二人きりになるなどという貴族としての愚行ではなく、上司たちの企みを見抜けなかったという魔導士としての愚行を。


 いや、普段の自分なら気が付いただろう。このところ根詰めて研究を重ね過ぎた。思わぬ発見に浮足立ち、寝食を惜しんで報告書を書き上げたりするからだ。

 自分に向けられた悪意を防げぬ時点で魔導士失格。それは学生時代、並み居る競争相手を次々に蹴落としていった頃からの信条だ。

 こんなことなら、もっと大勢の魔導士の前で発表してやるんだった。偶然とはいえ、巻き込んだのがあの聖女では何の使い物にもなりやしない。


「私が手ずから仕留めてやるんだ、感謝おし?」


 クランシィが魔杖まじょうをこちらに真っ直ぐ向けた。殺される、そう思って目を閉じた。


「――なっ」


 衝撃波が何も来ず、向こうで妙にくぐもった叫び声が上がる。目を凝らすと、先輩の自慢の顔がヒキガエルにすっぽり覆われていた。


 状況を把握しかねるが、逃げるなら今だ。足を引き摺りながらも、木々の間を闇雲に移動した。

 霊山など片手の指で数える程しか入ったことがない。上級魔導士の誰かが引率するのだから、何も考えずに後ろを附いて行っただけ。そもそも都会暮らしの自分が、夜の山でどう動けばいいかなぞ分かるわけが無いのだ。

 すぐに足元を取られ、地面に転がった。


「貴様あっ」


 全く勘弁してくれ。この男ときたら、キイキイと。町娘のように喜怒哀楽が激しい。

 ああそういえば、年寄りの上級魔導士たちには、取り入っているのだったな。以前耳にしたうわさを思い出し、せせら笑ってやった。


「ほう! まだそんな余力があったか。褒めてやろう。だがな――」


 勝ち誇ったクランシィが、顎をしゃくった。


「――お前の後ろは崖だぞ」


 逃げ場がない? だから何だと言うのだ。殺すなら殺せ、とにらみ付けた。


 クランシィの魔杖から生み出された風圧に、ゆっくりと身体が押し出される。最早これまで。


 諦めて落下に身を任せようとしたら、その横を物凄い形相のクランシィが悲鳴を上げながら通り過ぎて行った。

 一体何が、と眉をひそめたが、その後は樹々の枝という枝に何度もぶつかり、最後は地面にたたき付けられて気を失った。




*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*◇*◆*




 朝日が昇り、昨夜自分が落ちたであろう崖を見上げる。


 普通なら助かるまい。現に砂利道に横たわるクランシィはこと切れていた。自分は落ちた場所が良かったのだろう。折れた枝や大量の落ち葉がクッションとなってくれた。落ちる際にも岩肌や樹々にあちこちぶつけたのが、逆に衝撃を和らげてくれたらしい。


 草一本生えず、落ち葉も積み重ならない砂利道には、古代の魔術が掛けられているという。きしむ身体を引きりながら、先輩の屍体したいに近寄った。


「……カエル?」


 屍体したいの向こうには、土色のヒキガエルが苦しそうにじっとうずくまっている。あちこち傷だらけで、後脚は消えかけていた。

 精霊の眷属けんぞくは、付き従った聖女が死んでも滅多に亡くならない。本当がどうかは知らないが、霊山に帰るだけだと言われている。だがまれに、聖女をかばって命を落とす場合がある。


 その時には身体が空中に融けてしまうのだと古書にあったが、もしかしてこのことか?

 いや、これはあの老婆が何より可愛がっているペットのようなもの。何故自分を助けた。全くもって分からない。


 だが一刻も早く逃げなければ。まずは薬丹を探そう。

 あれは自らの魔力の塊。魔導士ならば恢復かいふく魔術を教わる学生時代から、コツコツと自分の魔力を練り続けて、いざというときに備えるのだ。クランシィが魔杖や魔石と共に取り上げた可能性が高い。


 覚束ない手つきで屍体したいの袖口を探ると、見覚えのある細い金鎖が出て来る。その先にぶら下がる飾り珠をじ開け、中に入った自分専用の丸薬をなんとか口に含んだ。

 やっと魔力が身体に流れる感覚がよみがえる。多少は痛みが緩和されたが、恢復魔術を行使するには全然足りない。


 死体の胸元に飾ってあった、一番強力そうな魔石に手を伸ばす。

 この姿勢だとヒキガエルと真っ直ぐ目が合ってしまう。逸らすことも出来ずにその場で魔石を握り締めたまま堪えていると、精霊の眷属けんぞくはとうとう完全に気化してしまった。


 身体の自由が利くようになり、クランシィの外套がいとうから奪えるものは全て奪う。

 向こうに転がった魔杖まじょうも、持ち主が死ねば他人が登録し直せる。幸いなことに財布まで袖口に入れていた。神殿内で使う場所なぞ思い付かないのだが――あちこちに放った子飼い共の駄賃か。


 ついでに目の前の男に火の魔術を放った。奪った魔石の中で一番の安物を投下し、分解魔術で一瞬で灰にする。


 複雑な恢復かいふく魔術は後回しだ。歩ける程度の体力を補充出来ればそれでいい。この砂利道を辿たどれば霊山から出られるだろう。

 表向きは失踪したはずの人間が、他殺死体で転がっているかもしれない場所なのだ。しかも今の神殿は人手不足が著しい。カドックが大掛かりな捜索隊をすぐに放つとは思えなかった。




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