番外第4話 そうこうはくもなか

 雲一つ無い青空が広がるある日、夕雨と雨月が『かふぇ・れいん』の店内で作業をしていると、ドアベルを鳴らしながらドアが開き、豊与世司尊ほうよせいじのみことが入ってきた。


「二人とも、お疲れ様」

「あ、豊与世司尊さん」

「お待ちしていましたよ。本日はどなたをお連れになったのですか?」

「うん、この子だよ。さあ、入ってきて」

「は、はい……」


 緊張した面持ちで入ってきたのは、薄い紫色の着物姿の幼い少女であり、サラサラとした短い黒髪に小さなかんざしを挿したその姿に夕雨は嬉しそうに微笑んだ。


「わぁ、可愛い。豊与世司尊さん、この子は何の神様なんですか?」

「まだ司る物を与えられていない生まれて間もない子で、名前は小花こはなだよ。元々は別の神が教育担当だったけど、その神が他にも担当してる子に少しかかりきりにならないといけなくなったから、しばらくは僕が面倒を見る事になってるんだよ」

「夕雨さんもご存知の通り、世界には様々な物が次々に出来ていますから、それを司る神というのも生まれてこないといけなくなるのです」

「中には雨導絆月尊うどうはんげつのみことのように司る物が他の神と同じになる事もあるけどね」


 カウンター席に座って豊与世司尊が笑いながら言う中、隣に座った小花は不思議そうに辺りを見回した。


「……こちらのお二人がこのお店を営んでいらっしゃるんですよね?」

「はい、その通りです。元祭神の私と人間である夕雨さんの二人で様々な方のお悩みも聞きながら経営をさせて頂いていますが、やはり不思議ですか?」

「あ、はい……」

「まあそんな二人自体が中々無いからね。そういえば、最近人間の中でマナーの悪い人が多いって聞くけど、ここはそういう客とは無縁だから心配はいらないか」

「ふふ、そうですね。ここにいらしてくださる皆さんにはとてもよくして頂いています」

「けど、たしかに多いって聞きますよね。因みに雨月さん、お客様は神様なんていう言葉がありますけど、これって別にそのままの言葉ではないですよね?」


 夕雨の問いかけに雨月は静かに頷く。


「はい。この言葉自体はとある演歌歌手の方が発祥のようですが、本来は舞台に立つ際は敬虔けいけんな心で神に手を合わせる時と同様に心を昇華させなければ真実のげいは出来ないという想いが込められた言葉のようです」

「だけど、今はその事すら知らない人間が言葉通りの意味だと思って使っているわけか。それで、その演歌歌手というのはまだご存命なのかな?」

「いえ、故人です。因みに、多くの経営者が経営における重要な言葉として考えている物に三方よしという物がありまして、これは売り手、書い手、世間の三つにとって良い商売を心がけようというものです。

この言葉は現在の滋賀県の商人であった近江おうみ商人が持っていた経営理念のようで、大坂商人や伊勢商人と並んで日本三大商人とも呼ばれていたようなので、現代でも多くの経営者が三方よしを経営をするにあたって重要な理念だと考えているようです」

「三方よし……私達にも重要な言葉ですね。もっとも、ウチはいつもは雨の日のみの営業な上に来てくれるお客さんもこれまで雨に導かれた人達ばかりなのでちょっと小規模ではありますけど」

「そうですね。ですが、夕雨さんが仰ったように私達にとっても重要な言葉ですのでそれは大切にし、先程のお客様は神様という言葉や他にも誤用されがちな言葉もしっかりとした意味で使っていきたいですね」

「それが一番だからね。さて……それじゃあそろそろ何か頂こうかな。今日はそのためにわざわざ晴れの日だけどこうして働いてもらうわけだし」


 豊与世司尊の言葉に小花は申し訳なさそうな顔をする。


「お二人とも、本当に申し訳ありません」

「いえ、構いませんよ。こうして新たな出会いに恵まれた事、そしてこの先の世界を担う新たな神の助けになれる事は嬉しいですから」

「ですね。さて、今日は何にしますか?」

「そうだね……いつもなら僕のお気に入りを頼むところだけど、せっかくだからお任せにしようかな」

「わかりました。では、夕雨さん」

「はい、雨月さん」


 雨月の言葉に対して夕雨が頷きながら答えた後、二人は作業に取り掛かり始めた。そして、アイコンタクトも交わさずに速く作業を進めていく二人の姿に小花は目を輝かせた。


「豊与世司尊様、お二人はすごい方々なのですね!」

「うん、そうだよ。二人は神と人間が一体化した存在だから、こうして視線も言葉も交わさなくても力を合わせる事が出来るんだ。もちろん、お互いに信頼してるからでもあるけどね」

「ふふ、そうですね」

「雨月さんなら大丈夫だって確信がありますからね」

「私もですよ」


 そう言いながら二人は揃って微笑み、豊与世司尊と小花が見ている中で作業を続けた。そして数分後、二人の目の前にはうっすら紅色と白色に染まった鈴型の最中が載せられた皿が一枚ずつと白い湯気を上げる緑茶が注がれた湯呑み茶碗が一つずつ置かれた。


「そうこうはくもなかと緑茶、お待たせ致しました」

「そうこうはくもなか……ですか? たしかに最中は紅白ですが……」

「……ああ、なるほど。そうっていうのはそういう事か」

「豊与世司尊様はお分かりになったのですか?」

「まあね。それじゃあ頂こうか」

「はい!」


 小花が返事をした後、二人はいただきますと口にし、それぞれ別の色の最中を手に取って口へと運んだ。


「……お、美味しい! 紅い最中の中は白餡なんですね!」

「そうだよ。白餡もそうだけど、中には小さく丸めたお餅も入れてるんだ」

「そして白い最中の中の餡はなんだか赤くて酸味があるけど、これは何餡なのかな?」

「それはトマト餡です。甘さは控えめにしていますが、それでも甘さ以外にもある方がいいかもしれないと考えた夕雨さんが調べたらトマトでもアンコが作れるとの事だったので試行錯誤しながら作って下さいました」

「トマト餡……あ、そうこうはくもなかのそうは対って意味の“双”ですね!」


 小花の声に雨月は優しい笑みを浮かべながら頷く。


「ご名答です。そして紅白が二つあるという意味の双でもあります」

「紅白って日本の伝統色でめでたい物だと言われているし、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味してると言われてるから、それが二つあったら更におめでたいかなと思ったんだ」

「加えて、この形は神社にある御鈴みすずを象っていて、鈴の音は古くから邪気を払うと言われていますのでこれから神として育っていく小花さんの今後に悪いモノが待っていないようにという祈りもこもっていますよ」

「私の今後……」


 雨月の言葉に小花が嬉しそうな顔をすると、豊与世司尊は小花を見ながら静かに微笑んだ。


「よかったね、小花。それにしても、こういう物なら正月にはピッタリそうだね。後は人間達にとって神頼みの時期になる三月とか」

「ですね。小花ちゃん、私達も応援してるから神様としての修行頑張ってね」

「はい! お二人とも、改めてこれからよろしくお願いします!」


 晴れやかな顔で言う小花を三人は微笑ましそうな顔で見つめた後、『かふぇ・れいん』の店内はしばらく賑やかな声で満ちていた。

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