第7話 彼女を連れ去られた日
それから特になんの進展もなく夏が過ぎ、秋が過ぎた。
季節は冬を迎え、かなり寒くなってきている。まだ雪は降っていないが、ちらついてくるのも時間の問題だろう。
そんな寒空の下、チーズの配達をしていたヘイカーは声を掛けられる。振り向くと、そこにはリゼットの姿があった。
「リゼット。仕事終わったのか?」
「ええ。ヘイカーはまだ配達が残っているの?」
「うん。後二時間は掛かりそうだな」
「そう。じゃあ無理でしょうね……」
「なにが?」
ヘイカーが首を傾げると、リゼットは首をすくめて言った。
「こんな寒い日は、あなたの作ったグラタンを食べたくなってね」
リゼットの方から誘ってくれる。こんなチャンスは二度とないかもしれない。ヘイカーは喜び勇んで返事をする。
「わかった! 後二時間……いや、一時間半でいい! 待っててくれるか!? 配達終えたら、ソッコーリゼットん家に行く!!」
「え? いえ……」
「なに? 待てねー?!」
「待つのは一向に構わないんだけど、あなたはいいの?」
「いいに決まってるって! じゃ、すぐ終わらせてくっから!!」
ヘイカーは次の配達先までダッシュで向かった。冬だというのにゼェゼェ汗だくになりながら、全ての配達を終わらせる。そしてまたもダッシュでクルーゼ家に向かった。
「ういーーーーっす! 北水チーズ店ーーす!」
ついいつものように叫び、ドアノッカーを叩く。クージェンドが開けてくれ、ヘイカーは上がらせてもらった。
「それではリゼット様、私は失礼します」
「ええ、ご苦労だったわね」
クージェンドは本日の仕事を終えたようで、家へと帰って行った。
つまりこの屋敷には、リゼットとヘイカー、二人きりだ。
「クージェンドさんってこんな帰るの早かったっけ?」
「今日はあなたが夕飯を作ってくれるというし、早目に帰らせたのよ。いつも遅くまで働かせてしまっているからね」
なんにせよ、二人きりなのはありがたい。
ヘイカーは早速、リゼットのリクエスト通りにグラタンを作った。他にもいくつかサイドメニューを作り、リゼットと共に食べ進める。
「やっぱりあなたの料理は絶品ね。どこの店で食べるよりも美味しい。フェリーチェの女主人が、あなたに味見をさせるのも頷けるわ」
「リゼット、あれからフェリーチェ行ったの?」
「ええ、数回、一人でね」
一人で。それはまだ、恋人がいない証拠だろう。ついでに友達も。
「こ、今度、オレと、一緒に……」
「ヘイカーは絶対味覚というものを持ってるってフィオさんに聞いたけれど、それはどういうものなの? 人が作った料理を再現できる?」
リゼットの興味はヘイカーの舌にあるようで、身を乗り出して聞いてくる。
「完全な再現は無理だよ。オレは料理人じゃねーし。でも使ってる材料なら、出汁に至るまで当てられる」
「すごいわね。全くもって羨ましい……」
「リゼットは自分の記憶に頼って作んない方がいいよ。料理本とか買ってきて、それに忠実に作ることをお勧めするね」
「なるほど、料理本ね」
リゼットの目からはウロコがぽろぽろと落ちている。この頭の良い人間が、そんなことにも気付かなかったのだろうか。
「今度、料理本を見ながら作ってみるわ」
「作ったら教えてよ。オレ、味見に来てやっから」
「い、いいの? また不味い物を食べさせられるかもしれないわよ?」
「オレ、リゼットの料理を不味いなんて言ったことあったっけ?」
そう問うと、リゼットは申し訳なさげに、しかしどこか嬉しそうに「じゃあお願いするわ」とヘイカーに依頼してくれた。
それからは二週間に一度のペースで、クルーゼ家へ足を踏み入れる事となる。
ヘイカーの睨んだ通り、料理本を見たリゼットの料理は、劇的に美味しくなった。と言っても味が濃すぎたり薄すぎたり焦げたり、ということはあったが、それでも人間らしい食べ物になったのは確かだ。
何度も味見を続けるうち、リゼットとの距離も近くなったように思える。今告白をすれば、オーケーをもらえる気さえした。
「ふう、ようやく出来上がったわ! 食べてみて!」
この日、リゼットはファレンテイン料理のフルコースにチャレンジしていた。丁寧に作るのはいいが、作り終えた時にはもう三時になろうとしている。これでは昼ご飯でなく、三時のおやつの時間だ。
お腹はペコペコだったが、ヘイカーは文句を言わずに待っていた。
「すごいな、リゼット。この短期間でこんなに作れるようになったのか」
「褒めるのは、食べてからにして」
「そうだな、いただきま……」
「待って!」
正に食べようとした瞬間、リゼットにストップを掛けられてしまい、ヘイカーはフォークを持った手を下げる。
「なんだよ?」
「その……結構、上手く出来たと思うのよ」
「……うん、食べてねーけど、そんな感じだな。だから?」
「だから、その……他に食べてもらいたい人がいて……」
リゼットはモジモジと少し顔を赤らめて、言い淀んでいる。ヘイカーは、とてつもなく嫌な予感がした。
「……誰」
「ロ」
「あーー、わかったよ!呼んでこいよ!」
最初の口の開きを見ただけで、誰を呼びたいかなど明瞭だ。ヘイカーが投げ捨てるように言うと、リゼットは「ありがとう」と嬉しそうに顔をほころばせながら玄関に向かって行ってしまう。
なんだよ……
料理を食べさせたかったのは、オレじゃなくてロレンツォかよ……
ヘイカーはフォークをポイと投げた。置いてあったスプーンに当たってカシャンと行儀悪く鳴る。
ヘイカーは深く息を吐き出すと、おもむろに席を立った。リゼットとロレンツォ、三人で食事なんて我慢できそうにない。せっかくのリゼットの料理だったが、フェリーチェかどこかでご飯を食べて帰った方が良さそうだ。
玄関に向かうと、靴を履き終えたリゼットがこちらを見て「ヘイカーも一緒に行く?」と微笑んでくる。
「いや、オレは……」
と言いかけた時だった。今まさにリゼットが呼びに行こうとした人物が、ノックとほぼ同時に扉を開けて飛び込んで来たのは。
「リゼット! 来てくれ!!」
「ロレンツォ!?」
いきなり現れたロレンツォが、目を丸くするリゼットの手を強引に引っ張る。その姿を見ただけで、ヘイカーはカッと熱くなった。
「ロレンツォ! なにすんだよ、手を離せ!」
しかしロレンツォはヘイカーの存在など気にも留めず、リゼットを連れ去ってしまった。
「な……なんだよ……」
開け放たれたままの玄関。手を繋いで去っていく、リゼットとロレンツォの後ろ姿。これほど惨めなことはない。二人が消え行く姿を、ヘイカーはただただ見送るしかなかった。
ヘイカーはトボトボと部屋に戻り、リゼットの作ったファレンテイン料理のフルコースを見る。食べちまおうか、と思った。が、これはリゼットがロレンツォのために作った料理である。帰ってきた時、食い散らかされていては、リゼットが可哀想だ。
結局ヘイカーは料理には手をつけずに、クルーゼ家を出た。リゼットがいつ帰ってくるのかわからないため、隣に行きカールに言うと合鍵を出して閉めてくれた。
「で、リゼットはどうしたんだ?」
鍵を閉めたカールは、少し難しい顔をしてヘイカーに問う。その問いに、ヘイカーはそっぽを向きながら答える。
「しらね。ロレンツォが連れてった」
「追いかけなかったのか?」
「あの二人のスピードに、オレが付いて行けるわけないだろっ」
八つ当たりの如く語尾を荒げて言うと、カールは厳しい顔をして言う。
「お前、ボーッとしてたら他の奴にリゼットを取られっちまうぞ!」
「オレだって、努力してんだよ!!」
ヘイカーがそう言うと、カールに鼻で笑われた。
「はんっ! 努力? お前のは努力じゃねーよ。告白も出来ないヘタレ小僧が」
「リゼットがロレンツォのことを諦めてねーのに、告白しても無駄じゃないかよ!」
「だからってチマチマお料理教室か? 馬鹿か、お前は!! リゼットの恋路を開かせてどーすんだよ!自分を磨いて振り向かせるくらいのことをしろ! それが努力ってもんだろうが!」
リゼットを振り向かせるくらいに強くなれということだろうか。そんな努力は無駄だ。無意味だ。あの女に惚れられるほど強くなんてなれっこない。カールは、自分が強いからそういうことを言えるのだ。
こっちは雷の魔法が使えるだけの、チーズ店の息子である。中学から剣を習ってはいるが、強くなれる気がしない。騎士職が向いていないことなど、百も承知だ。
「努力って、なんだよ! 頑張ってもちっとも剣の腕が上がらねーオレの気持ち、カールに分かんねーよな!」
「ああん?! 俺はなにも強くなれなんて……オイッ!!」
ヘイカーはカールの言葉を最後まで聞かずに、その場を逃げ出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます