番外編

蜜夜のつづきを

「……ラギ……、起きてる?」


 ゆっくりと身を捩ると、肩に回された手がくたりとベッドに落ちる。ラギウスに向き合うように体勢を変えても、ベッドの軋みにすら反応を示さないのだから本当に眠っているのだろう。

 当たり前だ。メルヴィオラでさえ、自分がいつ眠ったのか記憶にない。おそらくほぼ気絶のように意識を失ったのだろう。体に残る気怠さと鈍い痛みがその証拠だ。


 窓の外はまだ夜の闇に染まっているのに、部屋の中はぼんやりと薄暗かった。サイドテーブルに置かれたランプの炎が、暖色の灯りでベッドの周囲の闇を追い払っている。そのせいで、隣に眠るラギウスの寝顔がはっきりと見えてしまった。


 精霊国とも呼ばれるヴァーシオンの王族は、精霊のようにとても美しい姿をしていると噂されている。

 その噂に違わぬ美貌が、目の前にあった。いつもはその言動から少し幼くも感じる彼だが、やはりヴァーシオンの王子なのだと納得するほどの美しい寝顔だ。

 まるで彫刻のように完成された顔には、先程の情事の名残がうっすらと残っていて、まだ乾いていない汗に濡れて赤い髪が額に少しだけ張り付いている。


『ヴィオラ……俺を癒やしてくれよ』


 耳元でささやかれた声が、まだ鼓膜を揺らしているようだ。誰も見ていないのに恥ずかしくなって、シーツを鼻の下まで引き上げる。あまいにおいの残るシーツには二人分の熱が篭もっていて、ずっとくるまっていたいと思う反面、ここから逃げ出したいとも思ってしまう。


 けれどラギウスがまだ瞳を閉じているから、メルヴィオラはもう少しだけこのあまい余韻に浸っていようと思った。


「……ラギ」


 起こさないように、名をささやく。こんな風に無防備な寝顔を見られるのは自分だけなのだと、子供じみた優越感に頬が緩んだ。


 そっと、指を伸ばして。

 彼の顔に刻まれた傷跡に触れてみた。

 顔に残った二つの傷跡がどのようにしてできたのか、メルヴィオラはまだ知らない。知らないことばかりだ。

 きっとこれからも、まだまだメルヴィオラの知らないラギウスの顔が出てくるのだろう。そのすべてを、全部さらけ出して欲しいと思う。

 喜ぶ顔も、悲しい顔も、怒った顔はあんまり見たくないけれど、嫉妬にふて腐れる顔なら見てみたい。こんな風に誰かを心から欲しいと思ったのは初めてだ。

 ラギウスも同じ気持ちでいてくれたのなら、それはとても幸せなことなのではないかと思ってしまった。


「何だよ。まだ足りないのか?」


 掠れた声が聞こえたかと思えば、傷跡に触れていた手をぐっと掴まれて。


「お前が望むなら、それに応えねぇとな」


 ニヤリと弧を描く唇が、メルヴィオラの指先を甘噛みする。


「起きてたのっ!?」

「お前が煽るから起きた」

「煽ってなんかないわよっ」

「あんだけなまめかしく触っておいて?」

「ちょっと触れただけだもの!」

「にしては物欲しそうだったぞ。指先も……いまの顔も」


 反論する前に唇をやわく啄まれる。触れるだけのキスなのに、体がじんと痺れてしまう。いつの間にかラギウスが覆い被さっていて、目を開けばランプの灯りに照らされて、色気のある陰影を乗せた笑みがメルヴィオラを見下ろしていた。


「えっ!? ちょっと……待って、うそでしょ」

「何が?」

「何がって……もうじゅうぶんでしょ!? ラギウスだって疲れ果てて眠ってたじゃない」

「仮眠取ったから大丈夫だ」

「そういう問題じゃな……んぅ!」


 言葉を奪うように、今度は深く強引にくちづけられる。キッと睨み上げれば、それすら喜ぶように魅惑的な笑みを浮かべて。


「起こしたお前が悪い」


 ゆっくりと身を屈めたラギウスが、メルヴィオラの鎖骨に新しい花びらを咲かせた。


「待っ……て! 待って待って、ごめんなさい。もうむり……」


 謝罪も反論もキスの雨にさらされて、濡れた言葉は意味を持たない音の羅列に成り果てる。うっすらと滲んだ涙は、なけなしの抵抗と共に舐め取られてしまった。


「早く俺の全部を覚えてくれ」


 耳元であまくささやかれて、体の芯がぞくりと震える。


 メルヴィオラが起こしてしまったのは獣だ。黒い狼の耳と尻尾を、きっといまも隠し持っているに違いない。

 ならば敵うはずなどないじゃないかと、メルヴィオラは再び白い海へと溺れてゆくのだった。




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