第1章 刻の怪獣 (2)

 ―〝2052年、6月13日、午前0時〟

 住居テントの外は気が付けば真っ暗になっており、灯りはほとんどが消されている。これは怪獣や野盗が光源を見てやって来ないようにするためだ。

「……もうこんな時間か」

 一応銃や装備のメンテナンスをひとしきり終えていた俺は、突撃銃と最低限のサバイバルキットなどを入れた鞄を持って住居を出る。

 そして集落の出口へ向かうと、眠そうな目をした見張りが俺を見つけた。

「シンじゃないか、どうしたこんな時間に」

「すまない、ちょっと出てくる」

「出てくるって、外にか? なんでまた……」

「頼むよ、見逃してくれ。大事な用があるんだ」

 俺が頼み込むと「すぐに戻ってくれよ」と見張りはため息交じりに通してくれる。深夜に、それも1人で外へ出るなど危険極まりない行為ではあるが、彼は俺を信用してくれたようだ。

 俺は月明かりだけが照らしてくれる旧市街地へ出る。当然シーンと静まり返っており、人の気配も怪獣の気配もない。どちらかといえば幽霊でも出そうな雰囲気だ。

 そんな中、俺は周囲を警戒しつつ大通りを進んでいく。そうして急ぎ足でしばらく歩くと―〝海〟が見えてきた。

 もっとも、俺が着いた場所は港でもなければ砂浜でもない。海がかつての都市部まで浸食してきているのだ。月光が照らす光で、海面下に沈んだビル群や乗り捨てられた車などが透けて見える。

 かつて人類は、破壊の怪獣を倒すためになんでもやった。あらゆる兵器を投入した。その中には当然核兵器もあり、核弾頭を搭載したミサイルが世界中で数千発は使われたと聞く。幸いにも日本に核は落ちなかったが、その結果海面の水位が上昇して旧東京の一部は水没し、今に至る。

「……昔、この辺は美味い飯屋がたくさんあったんだがな。子供の頃はよく食いに行ってたのに」

 こうなっちゃ見る影もない。無常なもんだ。

 俺は水際に近付き、ゆっくりと膝を突く。そして鞄の中から小さな紙の船を取り出した。

 煤で汚れた紙を、折り紙のように折って作った小船。それには―〝凪千代アズサ〟と名前が書かれている。

 俺はそれを水面に浮かべ、彼方へ向かって押し出す。

「10年……お前が俺を守ってくれてから、もうそんなに経ったよ、アズサ」

 これは俺が毎年欠かさず行っている、命の恩人への弔い。

 墓すら用意されなかった英雄、そして大事な幼馴染への墓参りだ。

「見てくれよ、俺は今年で29歳。もうちょっとで立派なおっさんだ。髭も伸びてきて、随分みっともない姿になって……歳は取りたくないもんだよな」

 俺は水面へ向かって語り掛ける。

 そこにアズサはいない、そうわかっていても。

「そうそう、今俺がいる集落は悪くないところでさ、いい奴ばっかりなんだ。特にトーバっていう子供は俺に懐いてくれてて、今度銃の撃ち方を教える約束をしたよ。アイツはきっといいハンターになれると思う。お前にも会わせたかったな。それから―」

 そんな話をしていると―水面にポタッと一滴の水が落ちた。

 最初は雨でも降ってきたのかと思ったが、それが空から落ちてきたのではなく自分の目から落ちた物だと気付くまで時間はかからなかった。

「…………10年……10年だぞ? もうそんなに経つのに、俺はまだお前の仇を討ててない。それどころか日々を生きるのに精一杯で、小型怪獣を殺すのが関の山で、今じゃ破壊の怪獣がどこにいるのかすらわからないなんて……こんなの、あんまりに惨めじゃねえか……」

 俺は悔しさのあまり、膝の上で拳を握り締める。

 必ずアズサの仇を討つ―そのためならなんでもやる―。そんな怒りと憎しみに取り憑かれて、俺はこの10年間を生きてきた。そのために怪獣との戦い方を覚え、銃を使えるようになり、今日の今日までしぶとく生き残ってきた。

 それなのに―俺はまだ彼女の復讐を成し遂げていない。それどころかネットや電話などあらゆる通信回線が消滅した現在では、破壊の怪獣の所在すら掴めないという有様。

 ただ生き残っただけの個人など―この時代では無力でしかないのだ。

「俺にはもう、復讐なんて無理なのかな……。俺はこのまま死んでいくのかな……。俺は一体なんのために、お前に生かされたんだ……? 答えてくれよ……アズサ……」

 ―終焉後に過ごした10年という歳月の中で、俺の心はすっかり疲れ果てていた。

 惨めだった。今の自分が、ただどうしようもなく。

 あと何年こうして惨めな気持ちを味わえばいい? いや、この世界の中で俺はあと何年生きていられる?

 アズサの無念を晴らしたいだけなのに、自分の無力さがどうしようもなく恨めしい。

「俺は……俺はどうしたらいい……? やっぱり落ちこぼれの俺なんかじゃ、お前にすら殺せなかった怪獣を殺すなんて……」

 俺は全てを諦めそうになっていた。心が崩れそうになっていた。

 ―その時である。

 俺はふと揺れを感じた。身体に伝わる地面の揺れは徐々に大きくなっていき、併せて響くような地鳴りが聞こえてくる。

「!? な、なんだ!? 地震か!?」

 俺は叫ぶが、すぐにそれが地震の揺れと異なることに気付く。

 これはまるで、巨大ななにかが動いているような―。

「この振動……まさか!」

 俺は海へと目を向ける。

 そして、その直後――

『ヴゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!』

 水面下から飛び出してくる超巨体。

 溶岩のような真っ赤な血管が無数に覗く分厚い黒皮膚。異様に突き出た鰐のような口と鋭い歯。

 見間違えようもない―破壊の怪獣―!

 だが、飛び出してきたのは奴だけではない。

 破壊の怪獣の大口に噛み付かれ、全身が傷だらけになった別の怪獣の姿もある。

「アレは、怪獣がもう一体……!? 怪獣同士が戦ってるのか!?」

 もう一体の謎の怪獣は破壊の怪獣と比べれば小柄で、全長はおよそ300メートル前後。青と白に分かれた皮膚を持ち、手足のような四肢を生やしたその姿形はどことなく人体に近い。

 破壊の怪獣に噛み付かれた謎の怪獣は街中に向かって叩きつけられ、廃ビル群を破壊しながら転げ回ると、そのまま沈黙する。

『ヴォオオオ……』

 謎の怪獣が動かなくなったのを確認した破壊の怪獣は反転し、再び海へと戻って行く。

「ま、待ちやがれ! 今日こそお前を―!」

 俺は奴の超巨体に向けて突撃銃をぶっ放す。迷いなくフルオートで全弾叩き込むが、破壊の怪獣は気にする素振りすら見せず水面下に消えていき、ズシンズシンという足音を響かせながらすぐに見えなくなってしまった。

「クソッタレが! ようやく見つけたってのに……!」

 俺は海に向かって負け犬のように吼える。

 ようやく、ようやく見つけたのに、傷付けるどころか、また無視されるなんて―ッ!

 俺は怒りと無力感でギリッと歯軋りを鳴らし、銃のグリップを強く握り締める。

 だが、その時間も束の間だった。今度は街の中で沈黙していた謎の怪獣が息を吹き返し、のそりと起き上がる。

「アイツ、まだ生きてたのか……!?」

『グウゥ……』

 謎の怪獣は明らかに満身創痍で、まだ動けるのが不思議に見えるほど身体中に大怪我を負っている。それでも破壊の怪獣を追うように歩き出すが、すぐにフラリとよろけて俺の近くに倒れてきた。

「うわッ! ゴホッゴホッ……一体なんだってんだよ……!」

 怪獣の巨体が倒れた衝撃で地面が揺れ、大量の砂埃が舞い上がる。そんな中で俺はゆっくり瞼を開けると―すぐ眼前に、謎の怪獣の頭があった。

『グ……ゥ……?』

 謎の怪獣は僅かに頭を動かすと、俺の方を見てくる。

 その巨大な瞳と目が合った俺は、反射的に銃口を向けるが―


『………………オマエハ…………ソウカ……ケッキョク、マタコウナルノカ……』


「っ!? か、怪獣が言葉を……!?」

 俺は驚愕する。

 怪獣が、言葉を発した。今、確かにコイツは人の言葉を話した。これまで人語を話せる怪獣など見たことも聞いたこともない。

 それに、なんて言った? 〝結局またこうなるのか〟って言ったか?

 それはどういう―。

 俺が困惑し動揺していると、謎の怪獣は僅かに首を動かして頭をもたげる。そして―大きく口を開いて、こっちへ向かってきた。

「しまっ―!」

 逃げる猶予さえなかった。俺はそのまま奴の口に捕らえられ―飲み込まれた。


◴ ◷ ◶ ◵


「う……うぅ……」

 ―目が覚める。俺はどうやら気を失っていたらしい。

 なにがあった? なにが起こったんだ? 確か謎の怪獣に飲み込まれて……。

 身体を起こして周囲を見てみると、辺りはなにもない真っ暗な空間だった。

 とても、ここが怪獣の腹の中だとは思えない。音も匂いも風も一切感じないのだ。むしろ天国か地獄だとでも言われた方がまだ納得できそうな場所である。

「ここはどこだ……? 俺はあの怪獣に喰われたはずなのに……」

『…………シン…………シン……』

「! 誰だ!?」

 どこからか、俺を呼ぶ声が聞こえた。

 人の声帯から出る音とは異なる、腹に響くような不気味な声だ。

『ランドウ……シン……オレノ、コエヲ、キケ……』

 また声が聞こえたかと思うと―暗闇の中から、突如謎の怪獣の頭が現れる。

「ッ!! お前はさっきの……なんで俺の名前を……!?」

『オレハ、マタ、シッパイシタ……。オレハ、マタ、カエラレナカッタ……』

 それは酷く衰弱して弱々しい、まるで縋るような声だった。

 この怪獣はもうすぐ死ぬ。それが俺には直感的にわかった。

『オレノ、チカラヲ、オマエニヤル……。ダカラ……ダカラ、ドウカ……コンドコソ、ウンメイヲ、カエテクレ……』

 直後、謎の怪獣の口の奥から〝青白く光り輝く玉〟が出てくる。揺らめく光を放つその玉は俺の目の前までゆっくりと浮遊。そして俺の胸にぶつかると、そのまま体内へと消えていった。

「う……!? な、なんだ今のは! 俺に一体なにをした!?」

「アイツヲ……アイツヲ、タオセ……ホロボセ……。ドウカ……アズサノ、カタキヲ……」

 そう言いながら、謎の怪獣の頭はボロボロと崩れて塵になっていく。

 コイツ、今―彼女の名前を呼んだ―?

「アズ、サ……? どうしてお前がアズサを知ってる!? お前は何者だ!? 答えろ!」


『オレハ……オレハ………………刻ノ…………怪獣……』


 そう言い残すと、謎の怪獣の頭は完全に塵へ成り果てた。

 残された俺は茫然とするが、すぐに自分の身体に異変を感じた。

「うぐっ……! これは……!?」

 胸が―いや、心の臓が熱い。燃えるように。

 胸部が青白く発光を始め、その強烈な光は俺の全身を包み込んでいく。

 同時に、俺は光の中で垣間見る。俺の肉体が―人外の〝何か〟へと作り変えられていく光景を。俺が俺でなくなっていく、その過程を。

「う―うああああああああああああああああッッッ!!!」

 恐怖と困惑が入り混じり、俺は絶叫する。

 だが光に取り込まれた俺の意識は徐々に遠くなっていき―そして遂には途絶えた。


◴ ◷ ◶ ◵

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