05

 塀に叩き付けられた『紫炎』は、よく見るとその両肩にナイフが刺さっていた。蹴り上げた時にか、少女が刺したのだろう。ゆっくりと歩み寄る少女が、腰の剣を抜く。額に首筋にと冷や汗を浮かべた『紫炎』の前で立ち止まり彼を見下ろして、にっこりと笑った。それはそれは美しく、冷たく、強く、儚く、雪の華のように完璧な微笑みで。


「あ……アンタ、一体、なんや……」

「さあ、何だと思う?」


 変わらず底冷えするような笑みを浮かべたまま、とぼけるように言う。痛みからなのか別の理由があってか、動けないまま少女を見上げる『紫炎』は、まるでを畏怖し侮蔑するような目をしていた。


「その目、とても不快だわ」


 笑みを絶やさず言った瞬間、少女の手にしていた剣は彼の胸元を貫いていて。剣を抜くのと同時に、生々しい嫌な音が響く。

 息をすることを止めた『紫炎』の髪を引っ掴み、少女は軽く剣を薙いだだけで彼の頭と胴体を斬り離した。肉も骨も断つこの動作は、かなりの力が要る筈だ。それをか細い腕の少女は、いとも簡単にやってのけた。

 まさか。じっと彼女を見つめながら、ガスマスクを外して桂十郎は考えを巡らせる。二年前と言った。少なくとも二年前には殺し屋だったということだ。だがあの華奢な身体のどこにそんな力があるというのか。長身ではあるようだが、袖と手袋の間から覗いた手首は細かった。声にもどことなく幼さが残っている。どう見ても未成年だが……いや、『羊』のような例もある。歳は関係ない。

 それにしても分からない。長身の少女、白い和装、桜色の襟巻き、うなじまでの金髪、暗器使い、怪力……それら全てを持ち合わせた殺し屋の情報を、桂十郎は持っていなかった。

 斬り離した首の断面から流れ出る血で壁に大きく花の絵を描いた少女は、それまで乱雑に扱っていた頭をご丁寧に遺体の膝の上に放り、その肩からナイフを引き抜いていた。

 考える。情報の無い殺し屋で、怪力。そう多くの殺し屋を知っているわけではないが、有名どころなら多少は分かる。筆頭は『氷の刃』だろう。今し方少女が描いた花の絵がそれを証明している。先日聞いた話では、友人である青水を狙っていた殺し屋のうちの一人だという。それなのに、殺されずにいたと。もし彼女がだとすれば、『羊』が情報を持っているだろう。

 ふと先程まで戦っていた場所を振り返り、少女は手を動かす。手首に装着していた斬鋼線を上手く操って散らばった武器を手の中に納め、袖や懐に仕舞いこんだ。最後にキラリと光る何かを手に納め、桂十郎に歩み寄る。

 至近距離で立ち止まった少女は、僅か上にある桂十郎の顔を見上げ、また纏う空気の温度を下げる笑みを浮かべた。


「アナタ何も知らないようだから、今回だけは見逃してあげる。二度目は無いし、もし余計な事口外したら……殺すわよ?」


 そう言っては桂十郎に背を向け、首の後ろで何かを繋ぐようにしながら少女は歩き去ろうとする。

 作業を終えた様子で下ろそうとした少女の手を、桂十郎は咄嗟に掴んでいた。いつの間にか少女が持っていた小さな鈴が、リン、と音をたてる。少し驚いた様子で目を見張って、少女は彼を振り返る。


「……何?」


 ひどく短いたった一言を、突き放すかのような冷たい声で、冷たい瞳で少女は言い放った。

 一方の桂十郎の方は、そこからどうするのかなんて考えていなかった。何を言おうとしたのか、何をしようとしたのか、自分でもよく分からないという始末。それなりに長い時間外に居るから、仕事は押しているだろう。早くしないとまた誰かさんに小言を言われるし、面倒くさい。 だけどそれでも、彼女を引き止めておく理由を探している自分も居て。


「ええと……そうだ、怪我。手当するから、こっちに」

「あんな雑魚相手に怪我なんてするわけないじゃない」


 掴まれた腕を軽く振り解き、少女は嘲笑うかのように鼻を鳴らした。実際、少女の纏う着物はほつれひとつ無く、飛び散った紅い華も見たところ返り血だけのようだ。

 そんな馬鹿な。思わず絶句する。確かに『紫炎』のナイフは少女に向けられていたし、刺さらなかった、なんて距離ではなかった。だというのに、無傷。『紫炎』が驚いていたのはこれか、と妙に納得した。


「でも、俺を庇った時の傷は……?」

「何か勘違いしてない?」


 心底不快そうに、少女は眉を寄せて桂十郎を睨み上げた。


「言っておくけど、あたしはアナタを庇ったりなんてしてないわよ? あくまで自分の仕事を遂行しただけ。独りよがりな思い込みで勝手に──…………っ?」

「!」


 突然、言葉を止めた少女がゆっくりと手を持ち上げる。どこへやろうとしたのか、恐らくその手が目的の場所へたどり着く前に少女の身体が傾き始めた。

 驚いた桂十郎が慌てて手を伸ばす。至近距離で良かった、と、すぐに受け止められた少女を見てホッと息をついた。だがどうも少女の呼吸が弱い。

 とにかく少女をどこか休める場所へ連れて行こうと、桂十郎は彼女を背負い上げる。長身なだけあって重いが、あれだけの怪力を誇る筋力があるにしては軽いように感じる。それに、無数の武器を持っているようだが不思議とゴツゴツした感触は無い。まるで生身に衣服だけを纏っているかのようなそれだ。


「……おろして。あたしを、おいていって」


 弱々しい声で、肩口から少女が強がる声がしたが、無視して歩き続けた。倒れた少女を道に放置して行くなんてとんでもない。

 しばらく歩いて街に出ると、通行人がチラチラと見てくるようになる。そんなにおかしな光景だろうか? ただ不調の少女を運んでいるだけなのだが。

 救急車を呼ばなかったのは、彼女が殺し屋だからだ。身体の前面には返り血も着いている状態で、下手な言い訳は効かないだろう。まだその辺のビジネスホテルやなんかに連れて行く方が、少女にとっても良いかも知れない。

 適当に見付けたホテルに入っては一室取り、部屋に入る。それから少女をベッドの上に降ろすと、彼女はその端に座った。襟巻きを鼻まで上げ直して、桂十郎をまた睨み上げる。


「どういうつもり?」

「どういうって……明らかに体調不良みたいだから、休ませようかと思っただけだけど?」


 ニッと笑う桂十郎に、少女はあからさまに不快そうな表情を見せた。


「あたしは殺し屋よ? 依頼さえあればアナタのことも殺しに行くわ。殺し屋を助けて、アナタに何の得があるっていうの」

「君みたいな可愛い子に殺されるんならそれもアリかなー。あ、でも今はタイミング悪い。まだやんなきゃいけないこと多いし」

「世界大総統って馬鹿でもなれるの?」


 そんな筈はない。

 冗談半分で言ったことにも素で返され、桂十郎は苦笑した。「今は」どころか、自分が世界大総統である限りは殺されるわけにはいかないのが本音だ。だがその立場故に狙われ続けるのも事実。

 だから本来ならば、護衛も付けず殺し屋と二人きりになんてなって良い筈がない。殺してくれと言っているようなものだ。

 だけど少女は「依頼さえあれば」と言った。それはつまり、依頼が無ければ彼女に殺される心配は無いということではないだろうか。それに本人は否定したが、先程の『紫炎』との戦いで、少女は確かに桂十郎を庇った。理由までは分からないが、暗殺対象以外を殺さないことが彼女の美学でもあるのかも知れない。


「とにかく、一泊分この部屋取ってるから、好きなだけ休んでって良いよ」


 にっこりと笑ってみせると、少女はひとつため息をついた。

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