第38話
「お話があります、お父様」
父の書斎に入って、机に向かう父にそう言った日のことはよく覚えている。
私が中学3年の7月だ。
空は青く澄んでいて、夏が近くまでやってきていることを感じさせた。
偶然にも、私が初めてタカナシさんに出会った日に似ていた。
私はひどく緊張していた。
心臓が早鐘のようになっている。
私が父に申し出をするのは人生で2回目、あの花火大会の1件以来だった。
「この高校に進学したいと考えています」
私はそう言って、パンフレットを父の目の前に差し出した。
無言の父に私は説明する。
この高校がいかに素晴らしいか、氷川の長女として自分がこの高校に進学することがいかに将来的に有益か。
自室で懸命に考えたプレゼンを披露する。
父は何も言わず、パンフレットに視線を落としていた。
私がプレゼンを終えると、父はゆっくりと口を開いた。
「この高校に行くには、家を出る必要があるな」
大丈夫。想定の範囲内の反応だ。
「はい、学校近くに拠点を構える必要があります。しかし、それだけの労力を費やしてでも、この高校に進学することは十分な見返りがあると思います。
また、お父様や使用人の庇護のもとを離れ、自律した生活を送ることで将来氷川を背負う者としての品格を養うことができると考えます」
淀みなく私は説明する。
しかし、父は私の説明になんの反応も示さない。
沈黙が訪れる。
私は手のひらにベッタリと汗をかいているを感じた。
「何年か前に」
父は私の目をじっと見ていった。
無機質な、生きていることを感じさせない目だ。
「お前が、勝手に外出したことがあったな」
花火大会に行った日のことだ、とすぐにわかった。
想定外の流れだ。
なんで、今その話になるんだろう?
「……はい、その節はご心配をおかけして大変申し訳ございませんでした」
「いや、心配などしていない」
父はなんの
「お前は結局帰ってくるのだから。あの日だって帰ってきたろう?」
「……はい」
その時、父の口元が少し緩んだ気がした。
笑っている?
「誰も、運命からは逃れられない」
父は開いていたパンフレットを閉じた。
「ここに進学したいのなら、すればいい。金も出そう」
私は拍子抜けしてしまった。
こんなにあっさり行くと思っていなかったから。
ありがとうございます、と頭を下げる。
父はその後、口を開こうともしない。
私は辞去しようと一礼して扉の方へ振り返った。
扉に手をかけた時、背中越しに父が声をかけてきた。
まるで、世間話でもするかのように。
「お前、母親に似てきたな」
私は呼吸が止まりそうになった。
振り返ることができなかった。
父がどんな顔をしているのか、見たくない。
そのまま、扉を開けて廊下に飛び出すと、廊下を走っていた。
自室にたどり着いた時、まだ、それほど暑くもないのに全身が汗で湿っていた。
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