【No. 008】甕に乗った悪役令嬢【残酷描写あり】(異世界ファンタジー)

甕に乗った悪役令嬢

「それではお兄様、また会う日まで。ごきげんよう」

「ああ。達者でな、ヘレナ」


 最後の別れを済ませたわたくしと兄の乗った丈夫なかめは、執行官の振るう大木槌に打たれ、それぞれ西と東へ向けて、斜め45度で打ち上げられた。

 何かを空に向けて打ち上げる時は、飛び立つ瞬間と、着地する瞬間が最も速い。

 初速が収まるまで甕の内側に首を引っ込めていた私は、速度が緩み始めたのを感じて甕の口から首を伸ばした。

 まるで亀にでもなったようで、こんな時なのに、少し可笑しい。


 襤褸布ぼろきれで特別あつらえされた大きなリボンを強風に煽られながら、東の空へ目を凝らす。

 青い空に小さく、羽虫のような黒い点が見えた。兄の乗った甕だろう。



 天を翔る龍の曰く。

 世界は丸い。


 西の果てと東の果ては繋がっている。ずっと西へ進めば、世界を一周して元の場所に戻ってくるそうだ。

 国で一番と二番の力自慢である執行官達に打ち上げられた二つの甕は、ともすれば、丸い世界の裏側で、再び出逢えることもあるのだろうか。


 頂点に達した甕が落ち始めるのを感じ、私は首を引っ込めて、墜落の衝撃に備えた。


 着水。


 甕の口から散った水飛沫は、涙より濃い塩味。

 甕から首を出して見回せば、前後左右が全て水。

 これが話に聞く「海」というものか。


 生成きなり木綿の獄衣に合わせて作られたリボンが海風を受け、甕はちょっとした帆船になった。



 窓もない牢の内では時間の感覚も失いつつあったが、追放刑の執行は昼前と聞いていた。

 日の方向から判断するに、今は西へ向けて風が吹いているらしい。

 風に逆らって船を進める方法など知るはずもないので、この風向きは都合が良い。


 いつも豪奢なドレスに大きなリボンを付けていた私が、粗末な獄衣に身を包んでいても、大衆が容易に私を見分けられるように。


 そんな馬鹿げた理由で装着を義務付けられたこの襤褸布は、毎朝結び直すたびに惨めな気分を呼び起こした。今は緩んだそれを自ら締め直すことすらできないが。


 そのリボンが今ではこの航海の唯一の手掛かり、小さな漂流船を動かす大事な帆になっている。


 風を受けて西へ、西へ。ひたすらに。


 それが私が選べる唯一の道。

 東へ進む兄とは真逆の、けれどいつかは繋がるはずの、断罪の旅路。



 § § §



 今から約二五〇年前。

 国家転覆を目論み、当時の王太子と、後のその愛妾の命を狙ったとされた兄妹がいた。

 王太子の婚約者であった妹ヘレナ。その兄にして侯爵家嫡子たるアーサー。

 兄妹は追放刑に処され、既に直系の絶えていた家名は断絶。民間には二人の名のみが、稀代の悪党として残された。


 公式の記録には「追放刑」とのみ記されているが、その実態は大きく異なる。

 四肢を切り落として傷を塞いだ上で、甕に押し込められ、力自慢の刑吏が大木槌で打ち飛ばす。実質的な死刑であり、およそ「追放刑」などと呼んで良い代物ではない。


 刑の執行後、兄は上空からの落下時に即死。妹は海面に落ちたために即死は免れたが、海上での漂流中に渇死。

 兄の遺骨は落下地点を領有する隣国が、妹の遺骨は海上で甕を回収した海洋国家が保管してきた。


 後世の研究により、兄妹の物とされた数々の悪行は王政府の情報操作による冤罪であり、実際には全て王太子と愛妾の所業だったことが明らかにされている。

 王家及び政府による公式の声明はないが、明確な否定もなく、死後二〇〇年以上経って冤罪の汚名が晴らされた。

 この残虐で馬鹿げた刑罰の裏には、王太子と愛妾、それぞれの恋敵への理不尽な嫉妬があったとも言われる。


 遺骨を保管する両国とは、件の王太子が王位について以来長らく交戦状態にあったが、終戦と国交回復を機に、元侯爵家の遠縁の家系が遺骨の返還交渉を開始。

 この度ようやく悲劇の兄妹の帰国が叶った次第である。


 改めて関係者のみの間で葬儀が行われた後、二人の遺骨は今月三日、一族の墓所へと納められた。

 現在、墓所の一般公開の予定はない。


(文責・クラーク=アイザワ)

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