第64話

 真に罪滅ぼしをするべきだったのは九々ちゃんだったのに――。

 姉さんのこの言葉を聞き、僕は何の為に嫌な気分を押し殺してまで九々の教室に行っていたのか? 何の為に慣れない料理を頑張ったのか? 何の為に此処に居るのか? その全てが分からなくなりました。

 

 だって僕は許されないと分かっていてもそれでも九々に許されたくて……その為にずっと耐えてきたのだから。

 それなのに許しを乞う必要は端から無くて? ――いや分かってる。こんなのはただの私怨だ。気持ちに折り合いをつけられないから私怨に変換しているに過ぎない。それに僕達がこうなったのは九々のせいじゃない。九々だって被害者だ。真実を知ったのだって僕達がこうなった後。あの言葉を投げられた後なんだ。なら僕達に真実を伝える前に心の整理が必要になる筈。それも長い時間必要になるに違いない。


 うん分かってる。そんな事は分かってる。分かってる分かってる分かってる! ――けどッ!? それでも九々へ抱いていた気持ちがぐちゃぐちゃになっちゃって分からない!?


「そう……だよ……っ」


「! あっ……」


 擦れた声に反応して下がっていた視線をあげると、九々が僕を見ていた。そして九々は僕に言う――「ごめんなさい」と。遂にダムが決壊した様に目に溜めていた涙を流しながら。


「本当はもっと早く言いたかった。でも怖くて言えなかった。独りぼっちになるのが怖くて……ずっと後悔してるあの言葉をそのまま返されるのが怖くてなにも言えなかった」


「九々……」


 あの言葉とはきっと僕が先ほど思っていたあの言葉だと――九々が一番辛い時であり、僕と九々が決別した日に言った言葉だと分かる。


「本当にごめんなさい。『一緒に生まれて来るんじゃなかったッ!!』なんて酷い事言ってごめんなさい。帯々兄ぃが辛い時に寄り添ってあげられなくてごめんなさいっ」


「んっ」


 チクリチクリと、九々からの沢山の「ごめんなさい」に心が痛くなる。辛そうに泣く九々を見て胸が苦しくなる。そして何より、許して欲しいと思うばかりで九々の気持ちに気づいてあげられなかった自分が許せなかった。


 だから僕は立ち上がって言う――「もういいよ。もう……いい――」と。出来うる限り優しく。可能な限り微笑みながら近づいていく。


「! 帯々君――……え?」


 と、近づく僕を抱きしめようと九々から手を離し、両手を広げた姉さんを搔い潜って床に倒れそうになっている九々の身体をそっと抱きしめる。


「九々。守ろうとしてくれてありがとう。そしてごめんね? 自分の事ばっかりで九々の気持ちに気づいてあげられなかった。本当にごめん。――姉さん」


 僕達を守ろうとしたその小さい身体を強く抱きしめながら、僕は生まれて初めて姉さんを睨んだ。


「九々は何も悪くない。悪いのは欲望に負けて僕達を捨てた両親であり、そうなったきっかけを作りだした姉さんのせいだ」


「――はい?」


 思い当たらないのか姉さんは首を傾げる。そんな姉さんに激しい怒りに身体を震わせながら僕は言った。


「僕とっ……僕と同じようにお母さんにも求めたんでしょう? 歪みきった愛情をお母さんにも求めたんでしょう? お父さんがしたように私を殴ってくれって頼んでたんでしょうっ?」


 絶対に違うとそう思いたかった。でも先ほどのお母さん達の不貞行為の始まりと、例のトイレで吐く夢。この二つのおかげで母さんがどうして不貞行為に走ろうと思ってしまったのか――その本当の理由に行き着く。


 お母さんもまた、僕と同じように姉さんからDVを求められていたんだと思う。


「姉さんはずっとお父さんからの暴力をただの愛情の裏返しだと思ってたもんね? なら……それが急に無くなったら? 愛情の供給が急に途絶えてしまったら? 答えは簡単。姉さんの事だから他から愛情を受けようとする。それが僕であり、お母さんだった」


「……」


「確かに……確かにお父さんの暴力は愛情の裏返しだったかもしれない。でも愛してるから暴力を振るってた訳じゃない。お父さんは父親として自身の娘である姉さんの異常な自己愛を直させようとしてただけ。愛してるから暴力を振るうなんてそんな馬鹿な話、僕達のお父さんがするわけないでしょう!」


「……」


「でもお父さんはそれしか知らなかった。だから他に良い方法が見つかるまでそれに頼るしか無かった!」


「……」


「それなのに……それなのに姉さんは『これがお父さんなりの愛情表現』だとお父さんが直させようとした自己愛から目を背け続けた。溺れ続けた!」


「……」


「――結局、お父さんや二宮先輩が言ってた通りになったんだね? 自分の欲求の為なら誰かを平然と傷つけられる怪物に。もしこの世に勇者が居たのなら、きっと姉さんは討伐される。例え人の形をしていようと、例え人の言葉を返そうと問答無用で討伐されるだろうね? だって姉さんは自分以外の全員を不幸にしてでも狂った自己愛を満たそうとするケダモノであり――怪物だからッ!」


 と、目を見て最後まで言い切る。最後まで目の前の怪物姉さんを睨みつけて――。


「――……はぁ喉乾いちゃった。それ頂戴」


 突然喉が渇いたと言ってテーブルに置かれていたお酒を貰って飲み、飲んだその口から不気味な笑い声が漏れ出す。


「んっ――ふぅ……んひっ? 自己愛ねぇ……んひひっ。ねぇ帯々君? 自分を愛する事って悪なのかな?」


「別にそれ自体は悪じゃない。でも姉さんは自分を愛す為なら平然と誰かを犠牲にする。だからっ――」


「うんそうだね! でもね帯々君? それって人として当たり前の事じゃない? 自分の幸せの為に他人を犠牲にしなきゃいけないのならあらゆる理由、理屈、根拠、事情、所為、由、わけを駆使して犠牲にする。お母さんだって子供の将来を犠牲にして女としての幸せを掴んだ。――じゃあ娘の私だってそうする」


「ね、姉さん?」


 ケタケタと不気味な笑みから一瞬で真顔になる姉さん。その手に度数96%と明記された酒瓶を持ったままゆっくりと確かな足取りで近づき、再度僕達の目の前に来るなり「最後っ屁で動かれても困るしねぇ」と言ってその手にある酒瓶を二宮先輩の頭上で逆さまにして中身を垂らした。


「ッ、やめっ――痛ッ!?」


 やめさせようとした瞬間、二宮先輩に垂らしていた酒瓶をぶつけられてしまい倒れる。鈍い痛みが額に広がり咄嗟に抑えた手には見た事ない程の量の血が付着。右側の視界も目に血が入ったのか若干赤い。


「帯々兄ぃ!? ――アグッ!?」


「! は、放し……てっ……」


 駆け寄ろうとしてくれた九々を姉さんが力ずくで押し倒し、姉さんの指示を受けた女子高生の先輩達が僕と二宮先輩を取り押さえる。二宮先輩は元より、軽い脳震盪なのかこのアルコール匂いのせいなのか、僕も抵抗らしい抵抗が出来ずに床に叩き伏せらてしまう。


「桜ちゃん。キッチンに麺棒とサラダ油があるから持ってきて」


「? 開通済みにして良いの?」


「良やもう……それよりもお姉ちゃんに楯突いたらどうなるのか? お姉ちゃんを悲しませたらどうなるかを姉不幸者にわからせてやる」


「ん、了解。――! あぁでもそれはそれで良いもの見れそう」


 と、僕を見下ろしながら不気味に笑った六出桜さんは指定の品々をキッチンから持ち出しては、サラダ油を塗った太さ250ml缶ぐらいありそうな麺棒を姉さんに渡す。


「な、なに? その棒でなにするの?」


「ぅん? 今からこの麺棒を九々ちゃんのココにぶち込んで女の子から女にしてあげるの。まぁこのサイズ感だと開通どころか裂けちゃうかもだけど」


「「!?」」


 服の上から九々の陰部を麺棒でなぞりながら言った姉さんの台詞に僕と九々は絶句。九々は直ぐに精一杯両足をバタつかせて抵抗してみせたけど、六出桜さんに背中から上半身を抑えられた挙句、飲まされたお酒と変な薬のせいで容易に足を掴まれてしまいそのまま強引に股を開かされた。

 

「やめてお願いッ! 姉さんッ!!」


「やだやだ! ヤダッ!?!?」


「うるっさぁ……あーはいはい大好きな帯々君に捧げられなくて悲しいねぇ? 帯々君も貰えると思ってた初めてもお姉ちゃんに奪われて悔しいねぇ! アハハ!!」


 僕達の悲鳴を嘲笑いながら姉さんは九々のスカートの中に麺棒を入れる。姉さんの腕が九々のスカートの中に入っていくにつれて九々の表情が恐怖に歪んでいく。


((梨さんっ))


 恐怖と悔しさに思考を支配されている中で、僕を絶望から救い出してくれた梨先輩を強く想う。そして”助けて”と願う。


 神様でも仏様でもない――僕達に手を差し伸べてくれた梨先輩に願った。


「――ん? なに今イイ所なん――……え?」


「メリークリスマス」


 ア”――? という間の抜けた短い悲鳴と共に聞き慣れたパーティークラッカーが鳴る。

 痛みと悔しさで狭まっていた視野を広げてみるとそこには僕の命を救ってくれた人が立っていて、


「あらあらまあまぁ、灼熱のアスファルトに落とされたミミズみたい」


 と、まるで物語の窮地に現れる勇者の様に現れた六出梨先輩が、右目を抑えながら悶え苦しむ姉さんを見下ろしていた。

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