第49話

 不貞行為の真相を知ったのは二人が蒸発した約2か月後――夏休みに入る前だった。


『ママね? 最初から最後までパパに愛されてなかったみたい。『好きだ』って言われて私も好きになりたいと思って付き合ったのに。『愛してる』って言ってくれて私もこの人を愛したいと思って、愛を分かち合いたくて結婚したのに。溢れ出る愛を形にしたくてアナタを産むと二人一緒に決めたのに。最初から最後まであの人は私を愛してはいなかったみたい――ハハッ』


 そう――ママは壊れる前にオレに言った。

 泣いているのに泣いてない――ただただ両目から透明な液体が流れ落ちるだけ。

 笑っているのに笑っていない――ただただ両目を大きく見開いて歪に口元を歪ませてるだけ。

 オレを見ているのに見ていない――ただただ真っ黒い瞳にオレを映しているだけ。

 

 何とも言えない不気味で不思議でどうすればいいのか、どう声を掛ければいいのか分からない。ただただ薄暗い夫婦の寝室でパパのノートパソコンの光に当てられたママがいた。


『あぁ』


『ッ!? ママッ!!』


 徐に立ち上がったママの太ももから一つ前にパパが使っていたスマホが滑り落ちる。そしてほんの数秒のラグの後、続くようにママは倒れた。

 時刻は17時。定時上がりのパパが職場から帰ってくる時刻だった。


『――あ』


 ママが精神崩壊を起こして倒れた同日。知らせを聞いて飛んで来た叔父によって強制的に家へ帰されたオレはママの膝から滑り落ちたパパのスマホの電源をONにしてロックの解除を試みてみた。試み3回目の0401――娘であるオレの誕生日でロックは解除。軽い胸焼けを感じたのを覚えてる。

 

 最初に映し出されたのはL〇NEの画面であり、今度はスリープモードだったノートパソコンの画面を付けてみると(ちょくちょく使ってたのでパスワードは知ってる)、こっちもL〇NEのログイン用のバーコード画面が映し出されているのを見つけた。


『――』


 嫌な予感に眩暈と吐き気を覚えながらL〇NEのバーコード読み取り機能を起動させたパパのスマホでノートパソコンの画面に表示されているバーコードを読み取ってみる。


 ――ログインした。出来てしまった。しかもスマホの方には無かった最新のトーク履歴もあって、一番上にある帯々兄ぃのママさんの名前があった。


『んっ』


 苦味を感じる生唾を飲み込んで帯々兄ぃのママさんのトーク画面を表示。表示した瞬間、背筋がゾッとした。見覚えしかない二人が同じベットに横たわって幸せそうにしている写真があったから。”愛してる”って言葉がそれに続いてたから――。


 ――1分……5分……10分……15分……30分後、再びスリープモードでノートパソコンの画面が消える。真っ黒の画面には数時間前のママと同じ”何とも言えない不気味で不思議な表情”を浮かべたオレ――久遠九々が映っている。そして譫言の様に『帯々兄ぃごめんなさい』と、帯々兄ぃと謝罪の言葉を繰り返していたのでした。



「――成程! これが巷で話題の親ガチャ失敗というやつかい。――痛ッだ!?」


 久遠九々から不倫の始まり、不倫の最中、逃亡計画――など、色々な話を聞けたのでその感想をありのまま伝えたら二宮棗に頭を叩かれました。


そんな風嬉しそうに納得するな。口にした言葉も今現在でその親の存在に苦しめられている子供に言って良い言葉じゃない」


「そ、そうなの? ごめんなさい。……ごめんね」


 少し怒った顔で諭す二宮棗に素直に二人に謝罪する。結構不味い事を言ったみたいね。


「別に俺への謝罪はいい。俺の事は何だっていい。ただ今後、二人帯々・九々の前では言わないでくれな」


「Mais oui。――ん? どうしたね?」


 顔に出ていた怒りの感情を控えて頼む二宮棗に私は力強く肯定で答える。そして意識を再び久遠九々に向けると彼女は何やら質問したさそうに二宮君を見ていた。


「あっいや……その……ずっと気になってたけ……気になっていたんですけど、二宮先輩はその……オレと同じぃ……?」


 おずおずと申し訳なさそうに質問する久遠九々に対し、二宮棗は三秒程度の沈黙の末にその問いの答えとして頷く。


「あぁそうだよ。ただ受けた傷の深さと傷口の見た目は全然違うかな? 君が包丁での切創なら俺はチェーンソー……みたいな? ――はい」


 と、二宮君は自身のスマホを操作してそれを久遠少女に渡した。


「? はい――”20XX年夫による妻の浮気相手殺人事件”」


「ん? あらあらまあまぁそれって」


「あぁ。勝手に背負わされていた俺の過去の事だ」


「えっ!?」


 口に出して読まれたスマホの一文でそれが二宮棗の過去であるとすぐに分かった。どうやら今までやんわりとでしか話さなかった自身の過去をちゃんと話す気になったらしい。


「俺の家は小学4年生の時点で夫婦仲は終わっていてな? 親父は癇癪持ち上に重度のアル中のゴミ。帰ってくれば常に不機嫌。やれ会社が~やれ社会が~やれ税金が~――と、常に不満たらたら。そんで酒が入れば簡単に手が出てくる駄目な父親の駄目人間。母親も母親で自分第一の性格で俺が熱を出しても病院に連れて行かず薬すらも与えずにその分浮いたお金を自分の遊びや欲求の為の金に回す屑。息子の俺の事は二の次三の次、最終的には俺との約束事は守らなくて当然のこれまた駄目な母親の駄目人間だった」


「……」


 全くもって酷い家庭環境である。この話を聞くのは二回目だが、よくそんな両親からこのナイスガイな男が生まれ育ったものだ。

 これは――男性版シンデレラかな? と、二回目もそう思いましたね。


「で、小学5年生の時に母親の浮気が発覚。しかも自分の幼馴染の男二人と。期間も息子の俺が生まれる前から。当然、怒り狂った父親が膨れ上がる怒りに飲まれて遂には母親の浮気相手だった幼馴染の片割れを素手と灰皿を使って撲殺した。騒ぎを聞いたご近所さんが通報してくれなかったら死体は更に増えてたと思う」


「っ……あの……パパとママは?」


「親父は未だに塀の中。母親は俺を捨てて生き残った方の幼馴染と失踪した。高校入試試験直前に運良く心から信用できる人、職場を見つけたから今はもう一人で何とか生活してるけど、それまでは両親の祖父母や叔父達、親戚に沢山迷惑を掛けて生活してた。――」


「?」


 ふと目を瞑る二宮君。数秒間の沈黙の末にその口と目が開かれる。とても優しい――そんな不安を一切相手に与えたくないといった表情と声で久遠九々に語り掛けます。

 

 が、


「君がやったんじゃない。君は悪い事は何もしてない。だから――これ以上苦しむ必要はない。一人勝手に苦しむ事はないんだ。後悔する事だってない。二人にとっての子供だからと”ああすれば良かった。こうすれば良かった”と、後悔も懺悔もあり得たかもしれない可能性に苦しむ事もない。幼い子供なら尚更だ。小学生なら尚更っ、なんだよ……」


 最後に一瞬、怒りの感情が垣間見えてしまう。感情が溢れてしまう。それを塞き止める様に私は二宮君の肩にそっと手を添え、反対側の方にも麻紗姉さんの手が添えられた。


「っ――……ありがとう。もう大丈夫」


「「ん。お安い御用で」」


 これくらいなら何時でも、これくらいなら何度でもしてやる――と、私と麻紗姉さんは数回その肩を叩いてからその手を戻す。


 ――で、この様子を羨ましそうに見る者が一人。


「羨ましいか? 九々」


「うん」


「俺は此処に至るまで約7年掛かった。色んなものを傷つけて、それ以上に傷ついて。時には自暴自棄になって死のうとした――でも生きた。死ぬ前に俺が背負わされた重荷を梨が否定してくれたから。梨の他に”そんな勝手に背負わされた重荷をなんでテメェが勝手に背負ってんだ?”って、色んな人が言ってくれて……背負わされてた重荷を下ろす事を手伝ってくれたから俺は君が羨む世界に至る事が出来た」


「うん」


「君には? そんなお節介焼きは居ないのか? もう居なくなってしまったのか?」


「っ」


 久遠九々は押し黙る。息を飲む。視線が泳ぐ。口を開こうとする度に唇を噛む。唇が裂けて血が流れる――。


 それでも私達は見守った。いじらしく手遊びをしてしまう彼女の手を見守った。そして言葉を待つのだ。話させるのではなく、話してもらう為に。己がペースで全てを話してもらう為に。


 ――そうして待つ事、彼女の声が塞き止められる事9回目にしてようやく塞き止めていた何かが壊れてくれた。


「帯々兄ぃが……いるっ。けどッ――オ、オレ帯々兄ぃに酷い事言った。『一緒に生まれて来るんじゃなかったッ!!』って、酷い事言っちゃったんだ。それをずっとあやまれずにいる。嫌われるのが怖くてオレのパパと帯々兄ぃのママの事を話せずにいるッ!」


「「「――……そっか」」」


 ようやく聞けた。久遠少女の心の奥底をようやく聞く事が出来た。――と、私達二人が少しばかりの感傷に浸っていると麻紗姉さんの口が開かれる。


「なら蒸発した親の事だけ、私から帯々君に話してあげようか? 私なら巧い具合に――」


「やめてッ!!」


 と、麻紗姉さんの提案を遮って拒絶する。それに麻紗姉さんが「どうして?」と返す。


「オ、オレの知らない所で帯々兄ぃに嫌われたくない。オレが知らない所で帯々兄ぃに許されたくない……からっ! だからっ……言わないでぇ」


 久遠帯々に嫌われる未来を想像してしまったのか、怯え切った様子で懇願される。


 ――でも止まらない。同じ苦しみを味わった二宮君は止まらない。


「じゃあ……じゃあさ? 俺達を助けると思って一緒に考えないか? どうすれば嫌われずに済むかを。どうすれば最高のハッピーエンドを迎えられるかを」


「え?」


「俺は一人で悩んでた。だから七年も掛かった。そして七年も掛かってしまった事に今は後悔してる。だから……だからこそ黙って見守るなんて出来ない。余計なお節介に思われても一緒に悩みたい。ウザがられても良いから支えたいと思ってる。こいつが俺にしてくれたように」


「!」


 あらあらまあまぁ! と、内心驚きながらも二宮君に続く。


「――もし、もしも気が引けるというなら弱音を吐いた分だけ私が振舞う料理に旨いと言いなさい。体調を崩した時に食べるお粥にも、ね? そして久遠少年と一緒に皿洗いやお使いに行ってきなさいな」


 二宮君に比べるととても浅はかであっけらかんとした台詞と言い方だけど、けどそのおかげで落とす事なく受け止められたみたい。


「あ、ありっ……ありがっ、とう……ございますッ。よろし……っく、お願いっ……しますぅ――」


 と、お礼を言いつつようやく年相応の泣き方をしてくれましたとさ――。


「……」

 

 ――ふむ。予定では久遠少年お手製のタルタルソースを食べて貰い、それで心を開いた所で淳兄さんと共に外で待機していた久遠少年を呼び出して仲直り。そんであわよくば明日から7人でご飯を囲むつもりだったけれど、どうやらまだまだ先になりそうです。


「とりあえず今日は二人共々泊っていきなさい」


 そう言って外で待機して貰っている淳兄さんと久遠少年に”今日は外泊して”と、連絡するのだった。

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